映画「とんかつ大将」に見る浅草松屋屋上、台東区象潟、富士小学校旧校舎、浅草警察署旧庁舎 1952

浅草松屋屋上にあったスカイクルーザーについて以前書いた。1952年公開の映画「とんかつ大将」の中に浅草松屋が登場すると知り、もしやスカイクルーザーが映っているかとDVDを買って観てみた。とんかつ屋の話かと思うとさにあらず、とんかつ大将というあだ名の青年医師(佐野周二)が主人公。

ちゃんと浅草松屋の屋上が登場し飛行塔と豆汽車が映るのだが、なんと登場人物はスカイクルーザー乗り場の出口付近にいてスカイクルーザー側から撮っているので肝心の乗り物が映っていない!左手に時計塔、奥に駒形橋が見えている。

上の取り消し線は私の勘違いで映画撮影当時のスカイクルーザーが未だ無かった風景がこの映画の冒頭に映っていた⁽¹⁾。以下の画像は映像を部分拡大したもの。スカイクルーザーがオープンしたのは1952年7月2日で映画撮影後のこと⁽¹⁾。

映画で主人公たちの立っていた場所は戦前の航空艇(ロープウェー)乗場を改装した「東京ピーク」という名前の展望台だった⁽¹⁾。下の画像に「ピーク」「展望」等の文字が見える。スカイクルーザー同様、東京ピークというネーミングもずいぶん格好いい。前にも書いたがスカイクルーザーは日本航空ボーイング747-400の愛称だったりそこから派生してホテル日航大阪バーラウンジの名前だったりしたが、東京ピークもそのものではないがパークハイアット東京ピークラウンジがある。

意外なことに他に映画にはとても懐かしい風景が映っていた。「とんかつ大将」は私の生まれる前の映画だが、後に私が通うことになる台東区立富士小学校(旧校舎)や隣の浅草警察署(旧庁舎)が登場していた。

主人公が男を伴い浅草警察署へ向かって歩くシーンがあり、二人の歩く姿を横から捉えながらカメラも移動する。そのシーンの背景に興味深い風景が映っている。映画のカット順に観ていくとまず象潟(きさかた)二丁目の文字。古い町名である。

次に町内の掲示板に「隅田川寒中水泳大会」のポスター。台東区主催のようだ。映画公開の1952年(昭和27年)にはまだまだ隅田川の水もきれいだったのかと思いきや1953年(昭和28年)を最後に中止されたとのこと。

二人が立ち止まる背景に台東区立富士小学校の煉瓦塀が見える。ああ、こんなだったなぁと思い出が蘇る。私が通っていた頃の旧校舎は1923年(大正12年)に竣工し9月1日に始業式を行い、いよいよ新校舎で新しい学期が始まるという日に関東大震災に遭遇するという数奇なスタートを切っている。下が卒業アルバムの校舎写真。

屋上の塀に見られる縦長のスリットが煉瓦塀にもあることに気付く。今見ると独特な建築デザインだ。塀で思い出したことがある。在学時暖房はコークスを燃料にしただるまストーブで校舎と煉瓦塀の間にコークス置き場があり、日直の二人が始業前専用バケツを持ってコークスを取りに行き、新聞紙と木の切れ端を焚き付けにしてコークスに火をおこすのだった。後年焚き付けに豆炭が加わったのを覚えている。校舎の写真を見てほしい。校舎角から右側、教室窓の一番上のガラスが丸穴の開いたブリキになっているところがある。それがだるまストーブの煙突用の穴でストーブ使用期間はそこからH型の煙突が出るのだ。

校舎1階窓の下に斜めになった窓のような物があるがそれは地下室用の明かり取りで、ガラスではなく金網が張られており地下は物置だったような気がする。また写真に朝礼台が見えており台の下横長の一角が茶色くなっているが実はここはプールで、使用しない間は枕木のような木をびっしり並べ蓋にして校庭として使っていた。狭い敷地を活用する工夫だったのだろう。

このカットの左手も富士小学校の煉瓦塀(こちらは高い)と校舎で、十字路の向かいに懐かしい浅草警察署旧庁舎が見えている。入口が中2階くらいの高さで両脇に階段がある。浅草警察署の沿革によれば旧庁舎が竣工したのも大正12年。同時期に2つ並んで大きな建物が建ったようだ。

1.観覧車通信 映画「とんかつ大将」と浅草松屋

浅草松屋のスポーツランド

浅草寺五重塔に上ってみた 7 2023

天気が良かったので12月8日に回向法要と牌殿参拝のため浅草寺五重塔院へお参りし、聖仏舎利参拝へ五重塔に上ってきた。

浅草寺五重塔に上ってみた 6 2023

浅草寺五重塔に上ってみた 5 2022

浅草寺五重塔に上ってみた 4 2020

浅草寺五重塔に上ってみた 3 2019

浅草寺五重塔に上ってみた 2 2018

浅草寺五重塔に上ってみた 2017

ミノルタ 16 MG-Sとミノルタ 16 QTのカタログ 1972頃

独自の16mmフィルムマガジンを使用する超小型カメラミノルタMINOLTA 16 MG-SミノルタMINOLTA 16 QTのカタログ。カタログは同じフォーマットで作られ同じモデルの同シーン別カットが掲載されていることから同時に発行されたようで、ミノルタ 16 QTが1972年発売なので1972年頃とした。しかしこちらのページではミノルタ 16 MG-Sは16 QTが出て販売終了となっており、この2つのカタログ間には時間差があったのかもしれない。

 

浅草駅から浅草寺への混まない近道 2023

1.東武スカイツリーライン 2.東京メトロ銀座線 3.都営地下鉄浅草線 浅草駅から人混みを避けてサクッと浅草寺にお参りしたい方へおすすめのルート。初詣には使えないので注意!

1. 東武スカイツリーライン浅草駅から正面口ではなく北改札口を出る。下のマップへ

2. 東京メトロ銀座線浅草駅から 雷門・浅草寺方面ではなくホーム突き当たりの松屋・隅田公園方面改札を出て真っ直ぐやや坂道を上る通路を進み、浅草松屋のB1食品フロアに入りそのまま真っ直ぐ一番奥まで進んで階段を上がって進むと東武浅草駅の北改札口に出る。エスカレーターで1Fに上がり進んでも良い。以後1と同ルート。下のマップへ

3. 都営地下鉄浅草線浅草駅から(このルートはやや混む) 雷門方面改札からA5出口を出たら左折、浅草松屋方面へ進み神谷バーへの信号を渡ってそのまままっすぐ馬道通り沿いを進み、朝日信用金庫浅草雷門支店の角を左折。以後1と同ルート。下のマップへ

3+α. 都営地下鉄浅草線浅草駅からなるべく屋内ルートで行きたい場合は¥180必要だが雷門方面改札からA5出口に向かってすぐの東京メトロ銀座線浅草駅 駒形橋方面改札から入場し銀座線ホームを端から端まで歩いて松屋・隅田公園方面改札から出る(出場時要駅員対応)ルートもある。以後2と同ルート。下のマップへ

一眼レフに日付を入れるアダプター Dia デートナー DATENAR のパンフレット 1976

一眼レフカメラのレンズ前面に取り付けてフィルムに日付を写し込むアダプター。1970年に初めてデート機能を搭載したコンパクトカメラ キヤノデートEが発売されたが、一眼レフのデート機能は1976年発売のニコンF2データか、同じく1976年発売のキヤノンAE-1データバックA(発売年不詳)まで多分無かった時代。このパンフレットには発行年が記載されていないが、フィルムに写し込む日付のサンプルが「08 6 76」になっているので1976年と推測した。

何と実物をコレクションされている方がおられた!

レンズから写し込む?日付のピントは?と考えてしまうが心配ご無用、デートナーには日付用のピント調整つまみが付いている。パンフレットでも説明されていてまず被写体にピントを合わせた後、日付のピントを合わせるのだ。そう、だからこそ一眼レフでなければ実現できないアイデアだった訳。いったい何台売れたのだろう?

キヤノン Canon 110ED のカタログ 1975

Canon 110EDのカタログ。1982年頃、中古で買ってみた。残念ながらプリント画質が良くなくてほとんど使わなかった。このカメラのレンズを取り外し改造してマイクロフォーサーズのミラーレス一眼に取り付けるWeb記事では綺麗に撮れているので、やはりフィルムサイズとプリントの問題だったのだろう。

ステージ101の紹介記事 1970

グラフNHK1970年8月15日号に掲載されたステージ101の紹介記事。

自分がTVでよく観ていたのは前期(1970年1月~1971年3月)の頃だったと思う。検索すると充実した総合ファンサイトがありメンバープロフィールに特化したサイトもある。2021年には5枚組CDボックスセットまで出ている!

ステージ101の紹介記事 1971

α6400ライブカメラ屋外ハウジングの冷却対策 遮熱シート取付 2023

ライブカメラ屋外ハウジングの冷却対策について過去何回かブログに書いたが、いよいよ今年の暑さである。

ライブカメラ屋外ハウジングの冷却対策 2021

α6400ライブカメラ屋外ハウジングの冷却対策強化 2021

現在ペルチェクーラーは4台使用しており、7月にファンの回転数が落ちている(=冷却能力が落ちている)と思われる3台を新品に交換、魚眼レンズ面、カバー用ガラスフィルター内外面共にクリーニングした。カメラは気温でシャットダウンすることなく動作していたがハウジング内温度プローブの値が42℃近くまで上昇しているのを見て、直射日光の影響を抑えるべくエアコン室外機用遮熱シートでハウジング上面と左右面3面をコの字型に包んでみた。シートは想像以上にペラペラで、接着面の接着力はごく弱い。2枚重ねで使用することにした。

結果は以下の通り、別日なので大まかな比較だが-2℃位の効果はありそうだ。まぁ¥699で得られるなら十分だろう。