KBS レザリアムセンター -1- 1976

1973年にロサンゼルスのグリフィス天文台プラネタリウムでスタートしたレーザーショー「RASERIUM レザリアム」が、1976年3月から日本でも始まった。

場所は京都、既存のプラネタリウムではなく専用のドームを建てるという大掛かりな企画。
新聞や雑誌記事でレザリアムを知った私は、1976年5月に観に行った。
レザリアム パンフレット 表
レザリアム パンフレット 裏

1976年のパンフレット(三つ折を広げたもの)。最初はレーザリアムと名付けられていたようだ。クリックで拡大。
この後1978年まで京都で公演されていたレザリアムは、その後東京池袋サンシャインプラネタリウムに場所を移すことになる。
これから何回かに分けて紹介していきたいと思う。
クリプトンレーザーを光源とし、青緑黄赤の4色に分光した先の4組のXYスキャナーでリサージュ波形を描いたり、その光に回折フィルターをかけたりしながら音楽に合わせショーを行った。
オペレーターはレザリストと呼ばれ、マニュアルで制御用コンソールの操作を行っていた。
レザリアム チケット 表
レザリアム チケット 裏


チケット本体に日時指定券がホチキス止めしてある。パンフに「宇宙体験をしよう」とあるとおり、日時指定券を搭乗券、開場をチェックインと呼んでいる(笑)。
レザリアム プログラム表紙laseriun_program76_1.jpg


左はプログラム表紙。約25cm角。
今見ても十分かっこいい。
レザリアムの運営は日本文化財団と近畿放送。
右は最初のページの「ご挨拶」。
日本文化財団の名誉会長は松下幸之助氏!
ドーム画像と座席図から、かなり大きなことが分かる。
客席フロアのドーム半径は13.5m。
laseriun_program76_2.jpg
レザリアム 座席図


2014年3月1日

KBS レザリアムセンター -2- 1976

ドーム内に投影されたレーザー光を観てなぜ宇宙体験なのか?とお思いの方もいるかもしれない。

これはレーザー光の巧妙な光量調整に関係している。
プラネタリウムでドームスクリーンに投影された星が本当の天体に見えるのは、全体の輝度がとても低くドームスクリーンの光のあたっていない部分が暗黒となってスクリーンの存在が認識できなくなると同時に、目の前全体に広角度に広がる天体像により距離感を失い無限遠の感覚(錯覚)を得るからだと思う。
全く同等に、ごく輝度の低いレーザー光(数10mW位?)によるパターンの背景が黒く認識できなくなることにより、まるでレーザー光のパターンが無限遠の空間に浮かんでいるかのような感覚を得られるのである。
KBSレザリアムセンターのプログラムにも解説を寄せている坂根巌夫氏がレザリアムを紹介された記事。
クリックで拡大。
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YouTubeでlaseriumを検索すると多数の動画が出てくる中のこの動画(3:03からショーが始まる)が京都で上映されていたモノに近いか全く同じものと思われる。
さて、進化しつつLASERIUMは現役である。
2013年にLASERIUM40周年を迎えて、創始者たるIvan Dryer氏の講演“Laserium 40th Anniversary Presentation”の動画(氏の登場は07:21より)も公開されている。


2014年3月2日

KBS レザリアムセンター -3- 1978

KBS レザリアムセンターは1978年3月19日に公演終了となり、同年10月から東京池袋サンシャインシティで公開されることになる。

公演終了記念として”レーザーとホログラフィー展”が開催された。
こちらに終了間際のレザリアムをレポートした記事がある。
以下は”レーザーとホログラフィー展”のパンフレット。京都のレザリアムをもう一回観に行った記憶が無いので、東京でのレーザー関連の展示会か何かで手に入れたのだろうか。
Laser_and_Holography1.jpg
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Laser_and_Holography2.jpg


2014年3月8日

サンシャイン・レザリアム -1- 1978

1978年10月から、池袋サンシャインシティのプラネタリウムドームでレザリアムが公開された。

プログラムの内容は京都で上演されていたものと同じである。
こちらの8ページ目に見学記が載っている。
以下はパンフレットで2種類手元にある。10月5日公開決定!と記載されている方が公開間近に配布されたものだろうか。
サンシャイン レザリアム パンフレット1
サンシャイン レザリアム パンフレット2
サンシャイン レザリアム パンフレット3
サンシャイン レザリアム パンフレット4



2014年3月8日

サンシャイン・レザリアム -2- 1978

サンシャイン・レザリアムの入場券、裏は広告。以下画像クリックで拡大。

サンシャイン・レザリアム チケット1
サンシャイン・レザリアム チケット2


多分、入場者に配布されたと思われるプログラム。21cm×20cm。巻々四つ折になっている。
表紙と裏表紙。
サンシャイン・レザリアム プログラム1
サンシャイン・レザリアム プログラム 裏表紙


見開き。
サンシャイン・レザリアム プログラム 見開き


全部広げた左3面。
サンシャイン・レザリアム プログラム 三面


広告ページ表、裏。光洋は今でも有楽町ビルで営業中
サンシャイン・レザリアム プログラム 広告1
サンシャイン・レザリアム プログラム 広告2


2014年3月21日

サンシャイン・レザウンド 1986

これは和製レザリアム?といったようなもので、1986年10月~12月の3ヶ月間サンシャインプラネタリウムで行われたレーザーショーである。下はパンフレット(クリックで拡大)。

Sunshine_Lassound_pamphlet1.jpg
Sunshine_Lassound_pamphlet2.jpg


勤務先の仕事として私も制御系開発担当として関わっていた。
少なくとも1984年に京都で開催された国際伝統工芸博サントリードームの時にはレーザーショーシステムをSMPTEタイムコードで音声や外部機器と同期できるようにしていて、ここではその改良版システムが使われていたと思う。自動再生で上映中のオペレーションは不要だった。下はプログラムより。
Sunshine_Lassound_program1.jpg
Sunshine_Lassound_program2.jpg
 
 
 

Sunshine_Lassound_program3.jpg


確かFM局とタイアップして聴取者ご招待上映会もあったと思う。
さて、ここをご覧の方でレザウンドをご記憶の方 がいらっしゃいますかどうか。。。

2014年4月12日

YMO The Beeライブ画像 1979

The BeeにYMOがやって来た 1979 の中で、このライブ(YELLOW MAGIC SHOWと題された関係者向けショーケースライブ?)の画像や動画があったら見てみたいと書いたが、自分で持っていた(笑)。

といっても雑誌GOROの「テクノ・ポップス」特集記事(文・北中正和)内の小さなカットである。
このカットに撮影データはついていないが、背後にレーザーが投影されているディスコのダンスフロアでのYMOライブといえば”The Bee”しかない。
ページだけ外してとってあったのでいつの号かは不明。綺麗じゃないのはご勘弁を。クリックで拡大。
YMOatTheBee.jpg


背後のリサージュ波形は赤のようだが上のライン(レーザーで面を出していたかな)でクリプトンレーザーの4色であることがわかる。
これ自分がオペレートしてたんだなぁ(遠い目)。
2014.2.12 追記
2003年に”Weekly YMO web magazine”なる有料メルマガがあったことを今日知った(笑)。
その中にこのライブも取り上げられており画像があったかもしれない。
メルマガ目次                    10 11 12
おまけ
“The Bee”の原始的レーザー図形再生機で使用していた”The Bee”のロゴデータシート。
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2014年2月9日

ハウステンボス サウンドギャラクシー 3(音の銀河) 1992

サウンドギャラクシーのショープログラミングは1992年2月オープン前の現地で行われた。オレンジ広場にプログラム用のコンテナハウスが置かれ、スタッフがプログラミング用PCやコンソールを持ち込んだ。

なにしろ暗くならないと始められないので、夜7時から夜中2~3時ころまで5,6日連続で行われたと思う。夜中は寒くて地面に引いたマルチケーブルが霜でカチカチになっていたのを思い出す。終わってから佐世保のホテルに戻り午後まで寝て、夕方またハウステンボスにやってくる生活だった。部屋の清掃・ベッドメイクで起こされるのがかなわんとタオルだけ変えてくれればいいから、などとホテルに掛け合ったような気がする。
照明・レーザー・街の電飾など光の演出は吉井澄雄さん。照明界では当時すでに大御所だが、大変気さくで分りやすく指示を出していただいた。現在もご活躍中でいらっしゃるようだ。
あまり知られていないと思うがサウンドギャラクシーには曲が2つあった。ほとんどの方の記憶に残っているのをA曲とすると、知られていないB曲があったのだ。A曲よりも現代的な感じだったと思う。ショープログラムはそれぞれの曲用にちゃんと2つ作られた。ハウステンボスオープン当時はA,B日替わりでショーが行われていたか、そもそもBはお蔵入りだったか記憶が無い。
プログラミング最終日に冨田勲さんが差し入れの日本酒を抱えて現場に見えられた。神近義邦氏が書かれて1994年に出版された「ハウステンボスの挑戦」ISBN4-06-206407-3の164~165ページに以下のような記述がある。
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平成四年の二月、港町ではサウンドギャラクシーのシミュレーションが繰り返されていた。夜十時半、凍てつくような寒さの中で、吉田直哉さんと冨田勲さん、それに光のスペシャリスト吉井澄雄さんが日本酒の一升瓶から茶碗酒をあおりながら仕事を続けられているのをよくお見かけした。
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なんだかこれだと毎日飲んでいたみたいだが(笑)最終日、仕事終わりで乾杯しただけである。
サウンドギャラクシーはなんと2003年まで続くことになった。あの規模のライトショーが国内で連日10年以上続いたのは珍しいことだと思う。ただ後年はメンテナンスが十分といえず、スタート時の状態が100%再現されているとは言えなかったのが惜しまれる。
以下はサウンドギャラクシーのショープログラミング中にハウステンボス内で撮った画像である。パレードのリハーサルが行われたり、まだ工事車両がたくさんいて工事中の個所があることが分かる。
35-ハウステンボス1992_2_1.jpg

38-ハウステンボス1992_2_2.jpg

41-ハウステンボス1992_2_3.jpg

私自身ハウステンボスのファンでもあり7,8回訪れたが2004年以降行っていない。お気に入りのアトラクションだったクリスタルドリーム大航海体験館が無くなってしまったこと、部屋からの眺めと海に面した明るいレストランが好きだったホテルデンハーグが閉まっているのが残念。一時期行われていた大村湾でのパラセーリングを体験できたのが良い思い出である(ルフティは強風で乗り損なった(笑))。

 

2011年2月7日

ハウステンボス サウンドギャラクシー 2(音の銀河) 1992

サウンドギャラクシーで使用されたサーチライトはロボサーチで、シャッターによるON/OFF、パン・チルトの位置制御、フィルタースクロールによる色変えなどがDMXでコントロール可能だった。

このサーチライトはハウステンボス内だけでなく、対岸にも確か4台ほど設置されていた。
地図から推測すると西泊ノ鼻だったと思われる。
このコントロールは専用回線とモデムで行われていたと記憶している。やや分かりにくいが前回リンクした画像のサウンドギャラクシー1と2の中央付近にある2つの光源の左側がそれである。ショーの行われる日は(つまりほとんど毎日だが)スタッフが行き防雨カバーの付け外しやメンテナンスを行っていたはずだ。
私が持っていたサウンドギャラクシーの画像が出てきた。リハーサル時のものだとおもわれる。
画像クリックで拡大。
25-サウンドギャラクシー1.jpg 
29-サウンドギャラクシー2.jpg 
32-サウンドギャラクシー3.jpg

2011年2月 7日

ハウステンボス サウンドギャラクシー 1(音の銀河) 1992

1992年3月にオープンするハウステンボス夜のライトショー「サウンドギャラクシー」のレーザーを勤務先が担当することになり、私は制御系のハードとソフトを製作することになった。

PC-9801を4台使い、1台をマスターコントローラーとしてコントロールルームに、残り3台をスレーブコントローラーとして3か所のレーザー光学台に配置した。各コントローラー間はRS-485ラインと、安全のために独立したレーザー光シャッター用ラインで結んだ。
マスターコントローラーはSMPTEタイムコード信号に同期してタイムライン上の制御データをスレーブコントローラーに送り、スレーブコントローラーはそれに従いXYスキャナーにアナログ図形データを出力した。マスター、スレーブともMS-DOS上のTurbo Pascalでアプリケーションを作成した。CP/M時代にPascalMT+やCP/M版Turbo Pascalを利用していて慣れていたし開発環境が使いやすかったからである。ちなみにPascalMT+はROM,RAM領域を定義できたのでZ80や64180組み込み用にも使えて便利だった。
レーザーはアルゴンレーザーを使用し、複数台の出力を合成することによりセンターは出力20W、左右は出力8Wだったと思う。

コントロールルームはオレンジ広場ビッケンビッケンの2階だった。ハウステンボスのページを見たらビッケンビッケンは健在である(笑)。マルチトラックテープレコーダー2台や音響・照明・レーザー各制御用のラックで室内はぎっしり埋まっていた。今なら当然SSDやSDHCカードなんかに入れたマルチトラック音源を出力させるところだろうが、当時はテープを回していたのだ。

2011年2月 6日