サウンド&レコーディング・マガジン 1984年10月号

サウンド&レコーディング・マガジンバックナンバーの目次を調べていたら、1984年10月号に”レコーディング・レポート/井上鑑”という記事があった。

1984年8月号のLINDAシステム記事中に井上鑑さんのインタビューが掲載されているので、このレコーディング・レポートでもLINDAシステムが登場しているかもれない。
どなたかこの号をお持ちでしたらご覧になってみてください。


2012年2月13日

Wikipedia日本語版”LMD-649″を編集してみた 2012.2.7

Wikipedia日本語版”LMD-649″の”機能”と”後継機”を編集してみた。

誤りの訂正、詳細情報の追加、そして出典が不明な部分に要出典を付けた。
要出典部分を書かれた方に出典を示していただけるだろうか?楽しみである。



2012年2月7日

“電子音楽 in JAPAN”の中の”オレンジ” 2001

“オレンジ”情報の作られ方についてもう少し考えてみたい。

Wikipedia日本語版”LMD-649″の項で参考文献とされている田中雄二著『電子音楽 in JAPAN』アスペクト(2001年)を手に入れ、LMD-649とオレンジがどう書かれているのか調べてみた。
文字がびっしり詰まった分厚い本(総ページ数587ページ)だが、ここを覗かれているような方にはお薦めである。巻頭から非常に興味深くて面白い内容。古本なら安いですよ。
この本の494,495ページにLMD-649に関する東芝EMIの村田さん(今までMさんと書いてきたが皆さんお分かりでしょうから。。。)の雑誌内での発言と松武さんへのインタビューが掲載されている。
ここに私の名前が出てきたのは意外だった。それはさておき以下の松武さんの発言(とされる文章)が現在のLMD-649とオレンジについての認識の下敷き(の一部?)になっていることは確かなようだ。以下引用。

松武「スペックは8ビットで、秒数は1.2秒でした。これをのちに改良したのが”オレンジ”という機械で、こっちはPC-98を使っていて、12ビットで2秒になるんです。LMDの中身はZ80で、膨大なRAM(64キロ・バイト×12個)が挿さってました」

また松武さんのこの発言のあとで補足として以下のことが書かれている。以下引用。
のちのオレンジはPC-98のディスプレイ上で音の加工やタイミングを設定できるようになるのだが(それでも音色バックアップは、まだカセットへの録音記録だった)、

これらの発言をまとめると以下のようになる。

LMD-649 : Z80使用 A/D,D/A 8ビット 録音時間 1.2秒 64KbyteRAM×12個
オレンジ : PC-9801使用  A/D,D/A 12ビット 録音時間 2秒 データはカセットへセーブ
なんとも絶妙ななずれかた(笑)である。この本は1998年に刊行された「電子音楽イン・ジャパン 1955~1981」の増補版なのでインタビュー時期は1998年以前だと思われる。
LMD-649から見てみよう。録音時間1.2秒は以前紹介した雑誌記事通りであり、64Kbyte(バイト)RAM×12個は64Kbit(ビット)RAM×12個の間違いとみなせばこれも記事通りである。ところがなぜかここにZ80が登場し、A/D,D/Aは8ビットになっている。8ビットならRAMは8個で済むはずなので矛盾している。以前述べたようにLMD-649のA/D,D/Aは12ビットでCPUは使用していない。松武さんの発言でも12ビットと述べられているものがある。
次にオレンジ、また新型が出てしまった(笑)。私の想像ではこれは後のLINDAシステムと一緒になってしまっているように思う。ディスプレイ上で音の加工やタイミングうんぬんはその通り。しかしなぜかここに至ってもデータはカセットへのセーブだというのが不思議だ。
オレンジについてはこのブログ(最下部)のようにZ80を使用と書かれているものもある。以下引用。
LMD-649はすぐに改良版が作られ、Apple II互換機用のケースに納めたことから、アップルをもじって「オレンジ」と呼ばれました。CPUにz80、RAM64kb×12。その後も数々のレコーディングの現場で活躍しました。

上の文章はご丁寧にRAM64kb×12というところまで
“電子音楽 in JAPAN” の松武さんの発言と同じであり、 それがWikipedia日本語版”LMD-649″の文章とミックスされている。”電子音楽 in JAPAN”の文章が少し分かりにくい書き方なので誰かが文脈を読み違えPC-98とZ80を間違えたか、誰かが間違って文章をコピペしたのだろう。

“電子音楽 in JAPAN” を読めば、Wikipedia日本語版の”後継機”の謎は解けるかと思ったのに、

当時秋葉原などに数多く出回っていた、Apple IIの互換機製作用のプラスチックケースに後継機は納められた。Apple IIそっくりになった外観から、アップルをもじって「オレンジ」と命名。以降、数々のレコーディングの現場で、ジャケットにはクレジットされることなく活躍した。

このようなことは全く書かれていない。
Wikipedia日本語版の著者は一体どこから上の内容を引っ張ってきたのだろう?謎は深まるばかり(笑)である。まだまだブログのネタになりそうだ。

2012年2月3日

EMULATORのカタログ 1981

月刊ログインアダルトソフトウェアコンテストの号を探したのだが今のところ見つかっていない。

代わりにEMULATORの日本語カタログと、SYNCLAVIER IIの英文カタログ・価格表が出てきた。
まずはEMULATORから。画像クリックで拡大。
EMULATORカタログ 表紙
EMULATORカタログ 裏表紙
EMULATORカタログ
2ボイス
¥1,950,000
4ボイス
¥2,500,000
8ボイス
¥3,120,000

2012年1月30日

パソコン自作力検定を受けてみた 2012.1.29

今日、パソコン自作力検定を受けてみた。

パソコンスペック記憶力検定だった。パソコンショップパーツ売り場店員採用試験と言えば分かりやすいだろうか?私自身は何とか70点位はいけたかなといったところ。
確かにスペック知識も自作の大切な側面だと思うが、全くパソコンを自作したことのない人間でも今日の問題なら暗記で満点近い点数が取れるだろう。
記憶力だけではまずいと出題者が思ったか、自作にもスペックにも関係ない小ネタ問題があったのも?だった。あと、正解のない問題が1問あったような気がする。
何の役に立つのか分からない第1回検定なのだからもう少し楽しい問題だったら良かったのだが(それを言ってしまうとペーパーテストでは無理かもしれない)。
取材の方が数名いらしていたようなのでどうだったか明らかになると思うが、試験会場をざっと見渡したところでは女性の方はお見かけしなかった。ちょびっと悲しい。
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・試験問題の再現 
方法の如何を問わず再現、試験問題の全部もしくは一部またはそれらの概要を、インターネット・テレビ・ラジオ・メール・文書・講義の他の手段を用いて不特定または多数の者が閲覧・視聴可能な状態に置くことを禁止します。
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って主催者は言っているので以上なるべく曖昧に(笑)。
試験の開始時、パ自検公式サポーター嬢にご挨拶(MC)いただいたのだが、会場の雰囲気との落差ぶりに受験者全員がコケた(嘘)。彼女が公式サポーターコスチュームの印象とは違いかなりな着エロ系なことがアキバらしいとも言える。

2012年1月29日

月刊ログイン アダルトソフトウェアコンテスト 1984年10月号

今回は少し恥ずかしい(笑)過去の出来事である。

月刊ログインで1984年に数ヶ月にわたってアダルトソフトの特集が組まれたことがあり、そのイベントとしてアダルトソフトウェアコンテストが行われ1984年10月号で結果発表された。
そこで1位を取ってしまった。賞金10万円20万円也。
当時PC-9801に接続できるビデオキャプチャー装置(ボードではなく3Uラックマウントケースくらいのサイズのもの)とビデオカメラ(白黒・SONY製)を持っていた。
それで神田で売っていたグレーゾーンのグラビア誌を取り込み、20枚くらいの画像をつなげて大きな仮想スクリーンとし画面上で自由にスクロールして好きな画像が見られるような、今で言えば画像ビューワーソフトを作った。TurboPascalで書いたかBASICだったか覚えていない。どの98でも動作するようにBASICで作成したと思う。
ソフトウェアのタイトルは”Windows”。翌1985年にアメリカで発売されることになるWindows1.0を意識してそういう名前にしたような記憶もある。
まぁ勝手に取り込んだ画像だったので、発表時にログインに掲載するのだったらグラビア誌の発行元に確認しておいて欲しいと編集部に頼んでおいたのだが、連絡がつかないとかで何となくうやむやに終わったように思う。まぁ、階調も解像度も良くなかったということもあっただろう。

“オレンジ”という名の幻

ブログにLMD-649について書き、資料探しや自分のブログへの反響を見るため”LMD-649″を検索することが多くなった。そこで必ず出てくるのが様々な”オレンジ”である。

LMD-649のハード設計・製作に関わり、その後のLINDAでソフト作成に関わった私だが、LMD-649ではない”オレンジ”というサンプラーは知らない。

まず、LMD-649は月刊ロッキンf 1982年3月号で紹介された1バージョン、1台しか存在しない。最初からA/D,D/A12bit、デジタルスイッチで再生開始アドレスと終了アドレスを指定できた。

結論的にはWikipedia日本語版に代表されるような記述の”オレンジ”は伝聞と推測から生まれた”幻”である。
以下Wikipedia日本語版”LMD-649″の”後継機”欄を引用して確認していきたい。
LMD-649はノイズなど音質に問題があり(注1)、録音時間も短かったために、すぐに改良版が作られた(注2)。当時秋葉原などに数多く出回っていた、Apple IIの互換機製作用のプラスチックケースに後継機は納められた。Apple IIそっくりになった外観(注3)から、アップルをもじって「オレンジ」と命名。以降、数々のレコーディングの現場で、ジャケットにはクレジットされることなく活躍した。
雑誌『サウンド&レコーディング・マガジン』に、オレンジの製作記事が数ヶ月にわたり、スペックを限定した内容で連載(注4)されている。

 

注1)松武さんは音質についてAmazon”YMO第四のメンバー松武秀樹が語るテクノポップ的歌謡曲”の中でこう述べている。以下引用
(真鍋ちえみ『不思議・少女+』封入写真を見て)そうそうこれ。全部僕の機材。これが最初のサンプラー「LMD-649」。 YMO『BGM』あたりから使っているやつ。1.2秒しかサンプリングできない。でも当時リン・ドラムは8bit、こっちは12bitだからハイ・クオリティ、しかもリン・ドラムは早いテンポだとおっつかないし、いっぺんに鳴らすとずれまくる。
“12bitだからハイ・クオリティ”のどこに音質の問題があったのだろうか?

 

注2)また“不思議・少女”のオリジナルアルバムは1982年8月25日に発売されていて、そのライナー・ノーツにLMD-649の画像があったということ。1981年11月~12月にかけてのウィンターライブでLMD-649が使用されていたことは周知の事実だが、その後1982年にかけても使用されていたことがわかる。”すぐに改良版が作られた”っていつのこと?

 

注3)LMD-649はCPUを使用せずハードロジック回路で構成されている。ASCIIキーボードやCRTに接続することは考えられていないので、もしApple IIのケースに入れたならキーボードのスペースをパネルでふさいでそこにスイッチ類、7セグLED、ボリュームなどを取り付けなくてはならない。当然Apple IIそっくりなはずもないし、キーボード内蔵型のコンピューターケースに組み込む必然性も無い。
“オレンジ”にASCIIキーボードが付いていたとするなら、それはもはや全くの別物である。

 

注4)これは以前紹介したLMD-649miniの連載記事のことだと思われる。”オレンジmini”という名前でないのはなぜだろう?

 

以上のことを踏まえて、しかし、”オレンジ”という名前の機材は存在していたようだ。

大澤誉志幸さんへのインタビューの中に以下の発言がある。
その後プロになってからは、シンセサイザー・プログラマーの松武秀樹さんが”オレンジ(松武氏が当時カスタムで制作したオリジナル・サンプラー)”をスタジオに持ってきたのを使わせてもらったりしてね。

 

“オレンジ”=LMD-649だろう。

 

改良版が作られたとか、Apple IIのケースに入れられたとか、誰が言い出したことなのか興味がわいてくる。

2012年1月20日

ロンドン交通博物館 2004

ロンドン交通博物館は結構鉄道好きな私としては押さえておきたかった場所。

2007年にリニューアルオープンしている。検索すると多くのサイトに行き着くので画像は少なめに。
ロンドン交通博物館 2004 1
左側に鉄道馬車が見えている。博物館の資料(ページ下部)によれば馬車軌道全盛ビクトリア朝のロンドンでは5万頭の馬が必要だったというのだから驚きである。
また1台の鉄道馬車を12時間運転するために12頭のチームが必要で、馬の世話が運転費用の55%に相当したとか。
資料にもあるように、何より馬糞が大問題だったろう。街角には馬糞を拾って稼ぐ少年たちがいたらしい(写真が展示されていた記憶がある)。電車が発明されて本当に良かった(笑)。
ロンドン交通博物館 2004 3
ロンドン交通博物館 2004 2

 <–これは下水管の模型?

いいえ 地下鉄です–>


ロンドンの地下鉄が別名Tubeと呼ばれるように、地下鉄トンネルの多くはシールド工法による経の小さい丸いトンネルである。私が実際歩いた地下鉄間の連絡通路も上の模型のように丸いトンネルだった。
今ならシールドマシンだが初期はこんな手掘り!
ロンドン交通博物館 2004 4
ロンドン交通博物館 2004 5
実物の車内に当時の様子が再現されている。
下右:ー!マイキーではありません。
 
 
 
 
ロンドン交通博物館 2階建てバス 2004
ロンドン交通博物館 2004 6
上のバスの画像に注目。バスの間に立っているようなベテランマニアと思われる方々も多くいらしたが、左側でベビーカーを押しているような小さな子供連れの若いお母さんが結構いらしたのが意外だった。ロンドンの若いお母さんを見たい方、意外な穴場かも(笑)。
コヴェントガーデン広場 1
コヴェントガーデン広場 2
交通博物館を出たコヴェントガーデン広場で演奏していた4人組。もう一人のスタッフ?が見物客にこのグループのCDを売り歩いており、演奏が気に入ったので買ってきた。今考えたら演奏チップは出してなかったけどCDを買ったので良しとしよう。
ロンドンでは2階建てバスも地下鉄も利用したので、翌2005年に発生した地下鉄とバスのテロ事件はショックだった。自分も巻き込まれるかもしれない、という危機感をとても身近に感じたからだ。

2012年1月14日

ロンドン・アイ 2004

2004年9月、ロンドンで開催されるPLASAという照明・音響・ステージ機材関連の展示会に出展するため1週間ほどロンドンに行っていた。1日だけ空いている日があり他の人間は連れ立って観光に出かけたのだが、私は朝からホテルの部屋でソフトのデバッグ作業(泣)。しかし1日掛かるかと思われた作業も昼ごろには終わったので午後から地下鉄に乗って一人で出かけてみた。

主な行き先はサウスバンク・テムズ川沿いのロンドン・アイ、コヴェントガーデンの交通博物館、サウス・ケンジントンの科学博物館、あとはそれぞれの周辺をぶらぶら歩いて回った。
まずはロンドン・アイ。片持ち式でホイールはテムズ川の上に張り出している。
建設方法は独創的で、まずホイールを90°倒した位置で川の上に水平にホイールを組み立ててから、片持ち式の支柱とともに基部を支点にして立ち上げ支持ワイヤーで固定している。このページのFoundationに倒した状態の画像がある。以前はB.A.(ブリティッシュ・エアウェイズ)がスポンサーだったが今は代わっているようだ。
ロンドンアイ 2004 1
ロンドンアイ 2004 2
ロンドンアイ 2004 3

上中:片持ち式の構造。左下へ伸びるワイヤーでホイールを垂直に保持している。上右:ワイヤー基部。それぞれクリックで拡大。
ロンドンアイ ゴンドラ 2004 1
ロンドンアイ ゴンドラ 2004 2

左:ゴンドラ(カプセルというべきか)乗り場。川の上であることがわかる。
右:カプセルは2つのリングの中を回転する構造。視界を遮る柱がない。
下左:頂点近くのカプセル。
下右:ビッグベン!気分は完全にお上りさん(笑)。
ロンドンアイ ゴンドラ 2004 3
ロンドンアイからビッグベンを見る 2004
ロンドンアイ駆動部 1
ロンドンアイ駆動部 2

左:ホイールの駆動部分。日本の観覧車でもおなじみのタイヤ式
油圧モーターのようだ。
下右:ホイールに電気を供給する集電レール。
ロンドンアイ遠景
ロンドンアイ 碑文
ロンドンアイ 集電レール

乗る前に当然手荷物チェックがあり、また乗客が降りたあとのカプセルに2,3人のスタッフが入り目視と共に長い棒の先につけたミラーで椅子の下や天井の死角部分も全てチェックしているのが印象的だった。

2012年1月13日