宮崎シーガイア オーシャンドーム 1994

オーシャンドームが解体されるとのこと。

 「屋根の鉄骨部材の腐食が想定以上に進行しており」とあり、基本的なメンテナンスも行われていなかったということだろう。
そんな折、オープンから約1年経った1994年7月にオーシャンドームに行ったときのパンフレット類が見つかった。
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ドーム内で撮影した画像。
快晴ということもありドームの屋根を開閉するイベント?が行われた。
左の画像は屋根が開き始めたところ。
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昼間ずっと開いていたわけではなくせいぜい数時間で閉まったと思う。
まだ高層ホテルはオープンする前。
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入場チケットとレシート。
ワンデイチケットが¥4,200、これでプールやウォータースライダーが利用できるがロッカー、一部のスライダーやアトラクションは別料金。ドーム内は基本的に水着なので、プリペイドバンド(ロッカーキーが差し込める手首用バンド)で各種利用料金を払うことになる。
ワンデイチケットと¥5,000のプリペイドバンドを2人分購入して¥17,560也。ドームに足を踏み入れる前にこれだけかかったのだ、20年前に(笑)。
チケットが10%引きになっているが、全日空スカイホリデーを利用したのでその特典だったのかもしれない。ちなみに東京ディズニーランド1994年当時の1日パスポートは¥4,800だった。
以下は入場時にもらえるガイドブック。
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折り込んである表紙を開いた面とその裏。
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翌朝宮崎空港へ向かうバスから撮影したドーム全景。
これもとうとうザウスと同じ運命になろうとは。。。
この後長崎へ飛び、ハウステンボスに2泊してからスペースワールド、福岡海の中道に泊まってマリンワールドなどを観光したのだった。


2014年10月26日

レーダーマン シングル ブックレット 1984

レーダーマンのシングルレコードに付属していたブックレット。

アームは電飾が取り付けられる前の状態であり、後の動画動画2(画質良)では外されている肩当て部がついている。
レーダーマンは草月ホールで発表ライブが行われて、その時にP8で紹介されている当時の勤務先が製作したレーザープロジェクターがアームに取り付けられ使用されたと記憶している。
ただプロジェクターシステムをツアーでは使用しなかったと思う。当時光源はガスレーザーであり200V電源と冷却水が必要でセッティングは簡単でなかった。
スライド投影されたスクリーンの前で彼女は撮影されているようだが、P4-5の背景に駅員のいる地下鉄の改札が写っていてビックリ!調べてみたら自動改札が地下鉄で本格的に導入されたのは1990年代とのことで納得。
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2014年5月31日

サンヨーカラーテレビ サンカラー パンフレット 1969

私が初めて買ってもらったステレオセットの取扱説明書類と一緒に、カラーテレビのパンフレットが出てきた。

ちなみにステレオセットはパイオニアのフルオートレコードプレーヤーPL-A25+パイオニアのプリメインアンプSA-50+コーラルのスピーカーBX-800*2だった。
パンフレットはサンヨーカラーテレビ サンカラー 19-CT8500(19-CT8500U)型と、
「薔薇」の愛称のついた 19-CT1001NU(19-CT1001N)型の2種類。
(共にUの付いているのがUHFチューナー内蔵モデル)
19-CT1001NUが新型モデルと思われ、第一家庭電器(株)万世橋店のハンコが押してある。
パンフレットの端に鉛筆で数字が書き込まれており、どうやら店頭で価格交渉したようだ。
ステレオセットを購入したついでにテレビも見たらしい。
実家では1964年東京オリンピックの時にテレビを買い換えたが白黒テレビで、1970年大阪万博の時にサンヨーのカラーテレビに買い換えた記憶があるので時期的に合っている。
近所の電気店がサンヨーのチェーン店だったので、てっきりそこで購入したのだと思い込んでいたのだが秋葉原での価格も確認して検討したのだろう。
ただし実家で買ったのはこれらのパンフレットの19インチではなく16インチ?モデルだったような気がする。
19-CT8500(19-CT8500U) クリックで拡大
サンヨーサンカラー19-CT8500パンフレット表
サンヨーサンカラー19-CT8500パンフレット裏

 

19-CT1001NU(19-CT1001N)
サンヨーサンカラー19-CT1001Nパンフレット表
サンヨーサンカラー19-CT1001Nパンフレット裏

 

ATS -> FULL ATSと進化しているが共にチューニングや色合いの自動調整をセールスポイントにしている。当然完全アナログチューナーの時代だが自動調整が売りになるほど毎回微調整が必要だったのだろうか?なぜブラウン管をアピールしていないのだろう?
サンヨーカラーテレビについて検索していたら、サンヨーはカラーブラウン管を自社製造していなかった
という記事を見つけた。この記事にも書かれているとおり、それでブラウン管の構造や発色などをアピールしていなかったのだ。
「現金正価」という書き方が時代を感じさせる。現在でも決して安いとは言えない価格だが現在の大卒初任給を20万円とすると1969年当時は3.2万円程度だから約6倍の物価差と考えると120万円!近辺の凄い価格となる。。。高度成長期でなければとても手が出せなかったろう。
今なら80インチも楽々、何ならこうゆうのでホームシアターも可能。。。
価格を考えればやはりこれくらいの「立派」な家具調ケースが必須だったに違いない。
スペック表も興味深い。
19-CT8500                                        19-CT1001NU
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重量50Kg!真空管20球以上!
確かに当時カラーテレビを裏から覗いてみると真空管がびっしり、とっても暖かった(笑)記憶がある。1、2回は故障して修理してもらったがあれだけ真空管載っていれば(もちろん冷却ファンなど無し)故障もします。
サンヨーはこの翌年の大阪万博ではパビリオンを建て人間洗濯機などユニークな展示をした。
個人的にはサンヨーといえばカドニカ(ニッカド電池)太陽電池のイメージがある。
今やパナソニック傘下となりブランドが風前の灯となろうとは。。。

2014年5月6日

サンシャイン・レザウンド 1986

これは和製レザリアム?といったようなもので、1986年10月~12月の3ヶ月間サンシャインプラネタリウムで行われたレーザーショーである。下はパンフレット(クリックで拡大)。

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勤務先の仕事として私も制御系開発担当として関わっていた。
少なくとも1984年に京都で開催された国際伝統工芸博サントリードームの時にはレーザーショーシステムをSMPTEタイムコードで音声や外部機器と同期できるようにしていて、ここではその改良版システムが使われていたと思う。自動再生で上映中のオペレーションは不要だった。下はプログラムより。
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確かFM局とタイアップして聴取者ご招待上映会もあったと思う。
さて、ここをご覧の方でレザウンドをご記憶の方 がいらっしゃいますかどうか。。。

2014年4月12日

サンシャイン・レザリアム -2- 1978

サンシャイン・レザリアムの入場券、裏は広告。以下画像クリックで拡大。

サンシャイン・レザリアム チケット1
サンシャイン・レザリアム チケット2


多分、入場者に配布されたと思われるプログラム。21cm×20cm。巻々四つ折になっている。
表紙と裏表紙。
サンシャイン・レザリアム プログラム1
サンシャイン・レザリアム プログラム 裏表紙


見開き。
サンシャイン・レザリアム プログラム 見開き


全部広げた左3面。
サンシャイン・レザリアム プログラム 三面


広告ページ表、裏。光洋は今でも有楽町ビルで営業中
サンシャイン・レザリアム プログラム 広告1
サンシャイン・レザリアム プログラム 広告2


2014年3月21日

サンシャイン・レザリアム -1- 1978

1978年10月から、池袋サンシャインシティのプラネタリウムドームでレザリアムが公開された。

プログラムの内容は京都で上演されていたものと同じである。
こちらの8ページ目に見学記が載っている。
以下はパンフレットで2種類手元にある。10月5日公開決定!と記載されている方が公開間近に配布されたものだろうか。
サンシャイン レザリアム パンフレット1
サンシャイン レザリアム パンフレット2
サンシャイン レザリアム パンフレット3
サンシャイン レザリアム パンフレット4



2014年3月8日

KBS レザリアムセンター -3- 1978

KBS レザリアムセンターは1978年3月19日に公演終了となり、同年10月から東京池袋サンシャインシティで公開されることになる。

公演終了記念として”レーザーとホログラフィー展”が開催された。
こちらに終了間際のレザリアムをレポートした記事がある。
以下は”レーザーとホログラフィー展”のパンフレット。京都のレザリアムをもう一回観に行った記憶が無いので、東京でのレーザー関連の展示会か何かで手に入れたのだろうか。
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2014年3月8日

KBS レザリアムセンター -2- 1976

ドーム内に投影されたレーザー光を観てなぜ宇宙体験なのか?とお思いの方もいるかもしれない。

これはレーザー光の巧妙な光量調整に関係している。
プラネタリウムでドームスクリーンに投影された星が本当の天体に見えるのは、全体の輝度がとても低くドームスクリーンの光のあたっていない部分が暗黒となってスクリーンの存在が認識できなくなると同時に、目の前全体に広角度に広がる天体像により距離感を失い無限遠の感覚(錯覚)を得るからだと思う。
全く同等に、ごく輝度の低いレーザー光(数10mW位?)によるパターンの背景が黒く認識できなくなることにより、まるでレーザー光のパターンが無限遠の空間に浮かんでいるかのような感覚を得られるのである。
KBSレザリアムセンターのプログラムにも解説を寄せている坂根巌夫氏がレザリアムを紹介された記事。
クリックで拡大。
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YouTubeでlaseriumを検索すると多数の動画が出てくる中のこの動画(3:03からショーが始まる)が京都で上映されていたモノに近いか全く同じものと思われる。
さて、進化しつつLASERIUMは現役である。
2013年にLASERIUM40周年を迎えて、創始者たるIvan Dryer氏の講演“Laserium 40th Anniversary Presentation”の動画(氏の登場は07:21より)も公開されている。


2014年3月2日

KBS レザリアムセンター -1- 1976

1973年にロサンゼルスのグリフィス天文台プラネタリウムでスタートしたレーザーショー「RASERIUM レザリアム」が、1976年3月から日本でも始まった。

場所は京都、既存のプラネタリウムではなく専用のドームを建てるという大掛かりな企画。
新聞や雑誌記事でレザリアムを知った私は、1976年5月に観に行った。
レザリアム パンフレット 表
レザリアム パンフレット 裏

1976年のパンフレット(三つ折を広げたもの)。最初はレーザリアムと名付けられていたようだ。クリックで拡大。
この後1978年まで京都で公演されていたレザリアムは、その後東京池袋サンシャインプラネタリウムに場所を移すことになる。
これから何回かに分けて紹介していきたいと思う。
クリプトンレーザーを光源とし、青緑黄赤の4色に分光した先の4組のXYスキャナーでリサージュ波形を描いたり、その光に回折フィルターをかけたりしながら音楽に合わせショーを行った。
オペレーターはレザリストと呼ばれ、マニュアルで制御用コンソールの操作を行っていた。
レザリアム チケット 表
レザリアム チケット 裏
チケット本体に日時指定券がホチキス止めしてある。パンフに「宇宙体験をしよう」とあるとおり、日時指定券を搭乗券、開場をチェックインと呼んでいる(笑)。
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左はプログラム表紙。約25cm角。
今見ても十分かっこいい。
レザリアムの運営は日本文化財団と近畿放送。
右は最初のページの「ご挨拶」。
日本文化財団の名誉会長は松下幸之助氏!
ドーム画像と座席図から、かなり大きなことが分かる。
客席フロアのドーム半径は13.5m。
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レザリアム 座席図


2014年3月1日

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YMO The Beeライブ画像 1979

The BeeにYMOがやって来た 1979 の中で、このライブ(YELLOW MAGIC SHOWと題された関係者向けショーケースライブ?)の画像や動画があったら見てみたいと書いたが、自分で持っていた(笑)。といっても雑誌GOROの「テクノ・ポップス」特集記事(文・北中正和)内の小さなカットである。

このカットに撮影データはついていないが、背後にレーザーが投影されているディスコのダンスフロアでのYMOライブといえば”The Bee”しかない。ページだけ外してとってあったのでいつの号かは不明。綺麗じゃないのはご勘弁を。クリックで拡大。

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背後のリサージュ波形は赤のようだが上のライン(レーザーで面を出していたかな)でクリプトンレーザーの4色であることがわかる。

これ自分がオペレートしてたんだなぁ(遠い目)。

このステージはキーボード・マガジン1980年5月号の表紙にもなっている。雑誌GOROの画像はなぜか裏焼きだった。

2014.2.12 追記

2003年に”Weekly YMO web magazine”なる有料メルマガがあったことを今日知った(笑)。

その中にこのライブも取り上げられており画像があったかもしれない。

メルマガ目次                    10 11 12

おまけ

“The Bee”の原始的レーザー図形再生機で使用していた”The Bee”のロゴデータシート。

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2014年2月9日