2011年3月アーカイブ

2000年(もしかしたら2001年だったかもしれない)に三重メトロヒルズ・ショープラザという不思議な場所に仕事で行ったことがある。そこにはゴルフ場に隣接した天然温泉付きのホテルと隣接したレストランシアターがあり、当時レストランシアターはすでに閉鎖、ホテルは休業中、温泉のみ営業中だった。現在は温泉も閉鎖(このページ下の画像で右に見えているのがレストランシアター)されたらしい。
福山雅治コンサートツアーのリハーサルで閉鎖されたレストランシアターを利用し、ステージに使用された自分が設計製作にかかわった大型LEDスクリーンのオペレーションのために行ったのだった。
リハーサルといっても照明と舞台装置のみのテクニカルリハーサルのためご本人の登場は無し。
このレストランシアターは資料によれば1994年にオープンし、ラスベガス直輸入の「スプラッシュ」というミュージカルを上演していた。出演者・舞台装置全てを持ってきたのである。シズまでアメリカから持ってきたと噂になったらしい(笑)。
タイトル通り水を多用したショーで緞帳の代わりに舞台前面が滝になる仕掛けとか移動式の巨大な水槽とか当時の名残りが色々あり、客席は多くのテーブルを舞台に向かって半円状に囲むように配置されていてロビーには出演者たちのパネル写真がそのまま飾られていた。
リハーサルは数日間行われたのでスタッフたちは隣の休業中のホテルの部屋を使えるようにしてもらい宿泊し、休業中のレストランで食事(給食)を作ってもらっていた。
普通こんな風にシアターが閉鎖されホテルも休業したら潰れそうなものだが、(なぜか)会社にはお金があり経営を続けられているとのことだった。。。
このシアターを使ったリハーサルは2006年にはまだ行われていたようだ。
昨日の地震後、ガスが使えなくなった。

メーターで遮断されたかと思いリセットしてみたが復帰しない。
夕方、東京ガスのマイコンメーター関連のページにはほとんどアクセスできなくなっていた。
地域のサービス会社、東京ガスライフバルの電話もつながらない。24時間受け付けなので夜10時過ぎにまた電話してみるとつながった。状況を説明して係員に来てもらうことにしたがいつになるか分らないとのこと。
まぁ翌12日に来てもらえるかな。。。と考えていたら夜12時近くに部屋に来てくれた。エレベーターも止まっているのに素早い対応に感謝である。ガスが出ないのは建物のガスの遮断弁が閉まっているためで、その操作はライフバルでは出来ないとのことだった。
今日は問題なくガスが使えている。マイコンメーターを部屋ごとにリセットしてくれたのだろうか、それとも自動復帰する仕様だったのかな?

今午後5時半だがまだ余震で時々揺れている。

東京運河交差点が動作していないのは地震の影響ではない。何と昨日の夜からカメラが故障しているためである。

以前住んでいた超高層マンションでもそうだったが、地震の揺れは建物の固有振動の周期となるので船酔いしそうなゆっくりとした揺れになる。今回の揺れは今まで経験したことのない大きさの揺れだった。

初めのうちは大したことないかと思っていたがだんだん揺れが大きくなってきて部屋のあちらこちらでギシギシ音がし始め、家具は倒れなかったものの本棚の本がかなり落ちキャスター付きの洋服ハンガーなどは倒れた。揺れの激しい時は何かにつかまっていないとよろけそうなほどだった。

棚から落ちて電池が外れて止まった時計。揺れが収まって室内を見てみるとキッチンの壁紙に床から天井まで裂け目ができていた。ゆがみで破れたのだろうか。

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バルコニーに出てみると何か破片が落ちている。見上げるとコンクリートの梁の角が欠けているようだ。こちらもゆがみに耐えられなかったのだろうか。

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daily_huis_ten_bosch920514.JPGこれはデイリーハウステンボス1992年5月14日号1面である。当時日刊新聞が出ていたのだ(毎日変更しているページは限られていたとは思うが)。この新聞にイベントについて書かれた部分がある。

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まずは昼のグロリアスパレード(デ リーフデ帰国凱旋パレード)、次に夜7時からのミュージカル・ボン ボヤージ デ リーフデ(デ リーフデの出航)、そしてサウンドギャラクシー。画像クリックで拡大。
1992,93年に上演されたボン ボヤージ デ リーフデはハウステンボス最大規模(約80名のキャスト)のミュージカルだった。以下は93年に撮影した上演中のミュージカルと上演後帰っていく出演者の画像。


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1994年にデ リーフデ物語というミュージカルに変わった。ボンボヤージ デ リーフデが主にオランダからの出航シーンを描いているのに対し、デ リーフデ物語は日本に到着した後の乗組員と日本の大名たちにスポットが当てられている。これらのミュージカルに関してはのちにイースタンオデッセイが始まった時のスタッフブログでもふれられている。以下は94年に撮影したデリーフデ物語。

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アスキーネットには1985年のID4けた時代から参加していた。
初めのころは300ボー(300bps=ビット・パー・セコンド)の電話機カプラで接続した。エプソンが初めて低価格で発売したCP-20だったと思う。そんなスピードでも1バイト文字列のやり取りなら結構使えたのである。当時ネット上の日本語は半角カナ文字だった。
漢字はPCに漢字ROMが載っていないと使えなかった時代である。
会員が増えてIDが5ケタになった後、1986年10月にその手紙はやって来た。

ネット上で不正行為を働いたのでアカウントを1カ月停止するというのだ。「えええっ?」身に覚えのない私は何回か手紙(ネットは止められているし(笑))のやり取りをしたが結局理由が何だったのかは分らずじまい。ウィキペディアにあるように当時のシステムは初歩的であり、ネットユーザーがちょこちょこっとコマンドを打ちこむだけでシステムに入れてしまうような状態だったと思う。今考えれば知り合いとのチャットか掲示板でのやり取りで何か教えてもらったことを無意識で試したのかもしれない。

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このメールと一緒に、1987年5月9日亀戸の東京平安閣で行われたアスキーネットユーザーのイベントで撮影した写真が出てきた。「アスキーネット一刻」とかそんな感じのイベント名だったかな。
壇上の方々はアスキーの担当者や掲示板のSIGオペだと思う。さて、これを覚えていらっしゃる方がどなたかここを覗かれますかどうか。。。

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