2013年3月アーカイブ

1945年3月10日、10万人が亡くなった東京大空襲の日である。
もちろんまだ私は生まれていない。

私の父は空襲の炎の真っ只中にいた。

父は祖父と一緒に実家の目の前の国民学校の講堂に避難していた。
現在の東京都立浅草高等学校である。
しかし、火の手が迫りここにいては危ないと講堂の高い窓から外に出て校庭の防空壕に身を隠し、祖父共々助かった。講堂にいた人々は皆亡くなったそうである。

母は千葉の方に家族で疎開していたが、空襲の翌日、東京の仕事先(学徒動員と思われる)にやって来てそこいらじゅうにある遺体を目撃している。

私の通っていた小学校は台東区立富士小学校だが、そこでも避難した多くの方が亡くなっている。
また、当時田舎に疎開していた生徒たちが不運なことに空襲の前日に帰宅しまきこまれたいう話も聞いた。

広島や長崎には公的な資料館があるのに東京には無い。


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