レーザーの最近のブログ記事

これは和製レザリアム?といったようなもので、1986年10月~12月の3ヶ月間サンシャインプラネタリウムで行われたレーザーショーである。下はパンフレット(クリックで拡大)。

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勤務先の仕事として私も制御系開発担当として関わっていた。
少なくとも1984年に京都で開催された国際伝統工芸博サントリードームの時にはレーザーショーシステムをSMPTEタイムコードで音声や外部機器と同期できるようにしていて、ここではその改良版システムが使われていたと思う。自動再生で上映中のオペレーションは不要だった。下はプログラムより。

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確かFM局とタイアップして聴取者ご招待上映会もあったと思う。
さて、ここをご覧の方でレザウンドをご記憶の方がいらっしゃいますかどうか。。。
サンシャイン・レザリアムの入場券、裏は広告。以下画像クリックで拡大。
サンシャイン・レザリアム チケット1
サンシャイン・レザリアム チケット2






多分、入場者に配布されたと思われるプログラム。21cm×20cm。巻々四つ折になっている。

表紙と裏表紙。
サンシャイン・レザリアム プログラム1
サンシャイン・レザリアム プログラム 裏表紙











見開き。
サンシャイン・レザリアム プログラム 見開き











全部広げた左3面。
サンシャイン・レザリアム プログラム 三面











広告ページ表、裏。光洋は今でも有楽町ビルで営業中
サンシャイン・レザリアム プログラム 広告1
サンシャイン・レザリアム プログラム 広告2





1978年10月から、池袋サンシャインシティのプラネタリウムドームでレザリアムが公開された。
プログラムの内容は京都で上演されていたものと同じである。
こちらの8ページ目に見学記が載っている。

以下はパンフレットで2種類手元にある。10月5日公開決定!と記載されている方が公開間近に配布されたものだろうか。

サンシャイン レザリアム パンフレット1
サンシャイン レザリアム パンフレット2
















サンシャイン レザリアム パンフレット3
サンシャイン レザリアム パンフレット4

KBS レザリアムセンターは1978年3月19日に公演終了となり、同年10月から東京池袋サンシャインシティで公開されることになる。

公演終了記念として"レーザーとホログラフィー展"が開催された。
こちらに終了間際のレザリアムをレポートした記事がある。

以下は"レーザーとホログラフィー展"のパンフレット。京都のレザリアムをもう一回観に行った記憶が無いので、東京でのレーザー関連の展示会か何かで手に入れたのだろうか。

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ドーム内に投影されたレーザー光を観てなぜ宇宙体験なのか?とお思いの方もいるかもしれない。
これはレーザー光の巧妙な光量調整に関係している。

プラネタリウムでドームスクリーンに投影された星が本当の天体に見えるのは、全体の輝度がとても低くドームスクリーンの光のあたっていない部分が暗黒となってスクリーンの存在が認識できなくなると同時に、目の前全体に広角度に広がる天体像により距離感を失い無限遠の感覚(錯覚)を得るからだと思う。
全く同等に、ごく輝度の低いレーザー光(数10mW位?)によるパターンの背景が黒く認識できなくなることにより、まるでレーザー光のパターンが無限遠の空間に浮かんでいるかのような感覚を得られるのである。

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KBSレザリアムセンターのプログラムにも解説を寄せている坂根巌夫氏がレザリアムを紹介された記事。
クリックで拡大。












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YouTubeでlaseriumを検索すると多数の動画が出てくる中のこの動画(3:03からショーが始まる)が京都で上映されていたモノに近いか全く同じものと思われる。

さて、進化しつつLASERIUMは現役である。
2013年にLASERIUM40周年を迎えて、創始者たるIvan Dryer氏の講演"Laserium 40th Anniversary Presentation"の動画(氏の登場は07:21より)も公開されている。
動画はこちらのページでもご覧いただけます。



1973年にロサンゼルスのグリフィス天文台プラネタリウムでスタートしたレーザーショー「RASERIUM レザリアム」が、1976年3月から日本でも始まった。
場所は京都、既存のプラネタリウムではなく専用のドームを建てるという大掛かりな企画。
新聞や雑誌記事でレザリアムを知った私は、1976年5月に観に行った。

レザリアム パンフレット 表
レザリアム パンフレット 裏










1976年のパンフレット(三つ折を広げたもの)。最初はレーザリアムと名付けられていたようだ。クリックで拡大。

この後1978年まで京都で公演されていたレザリアムは、その後東京池袋サンシャインプラネタリウムに場所を移すことになる。
これから何回かに分けて紹介していきたいと思う。

クリプトンレーザーを光源とし、青緑黄赤の4色に分光した先の4組のXYスキャナーでリサージュ波形を描いたり、その光に回折フィルターをかけたりしながら音楽に合わせショーを行った。
オペレーターはレザリストと呼ばれ、マニュアルで制御用コンソールの操作を行っていた。


レザリアム チケット 表
レザリアム チケット 裏
チケット本体に日時指定券がホチキス止めしてある。パンフに「宇宙体験をしよう」とあるとおり、日時指定券を搭乗券、開場をチェックインと呼んでいる(笑)。

レザリアム プログラム表紙laseriun_program76_1.jpg
左はプログラム表紙。約25cm角。
今見ても十分かっこいい。
レザリアムの運営は日本文化財団と近畿放送。
右は最初のページの「ご挨拶」。
日本文化財団の名誉会長は松下幸之助氏!


ドーム画像と座席図から、かなり大きなことが分かる。
客席フロアのドーム半径は13.5m。

laseriun_program76_2.jpg
レザリアム 座席図

The BeeにYMOがやって来た 1979 の中で、このライブ(YELLOW MAGIC SHOWと題された関係者向けショーケースライブ?)の画像や動画があったら見てみたいと書いたが、自分で持っていた(笑)。
といっても雑誌GOROの「テクノ・ポップス」特集記事(文・北中正和)内の小さなカットである。
このカットに撮影データはついていないが、背後にレーザーが投影されているディスコのダンスフロアでのYMOライブといえば"The Bee"しかない。
ページだけ外してとってあったのでいつの号かは不明。綺麗じゃないのはご勘弁を。クリックで拡大。

YMOatTheBee.jpg
背後のリサージュ波形は赤のようだが上のライン(レーザーで面を出していたかな)でクリプトンレーザーの4色であることがわかる。
これ自分がオペレートしてたんだなぁ(遠い目)。







2014.2.12 追記
2003年に"Weekly YMO web magazine"なる有料メルマガがあったことを今日知った(笑)。
その中にこのライブも取り上げられており画像があったかもしれない。
メルマガ目次                    10 11 12

おまけ
"The Bee"の原始的レーザー図形再生機で使用していた"The Bee"のロゴデータシート。

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beelogo4.jpg

The Beeで半年くらい全く無休で働いた後、知り合いを引っ張り込んでThe Beeから抜け出しつつあったころ、私はYさんの会社でレーザーディスプレイ機材の製作の手伝いを始めた。
会社と言ってもYさんの自宅兼仕事場、福生の米軍ハウス・ジャパマハイツの一軒家だった。ハウスは今でも住み続けられているようだ。
そこで4,5人のスタッフの一人として働いていたのだが、何しろ自宅から遠く通えない距離だったので私ともう一人は空いているベッドルームを使って泊りこんでいた。月曜に行って金曜に帰ってくるみたいな感じだったと思う。食事はYさんとYさんの家族といっしょで半ば住み込みか。

機材をクルマに載せ中央高速を走って都内まで仕事に行く時、カーラジオはいつもFENだった。今では信じられない話だが当時ラジオで洋楽が聞きたければFENだった。そしてその頃いつも流れていたのがナックマイ・シャローナ。当時の思い出と強烈に結びついている。すでに亡くなられたメンバーもいるんですね。。。
なんと歌のモデルとなったシャローナさん本人がちゃっかり自分のウェブサイトでも流している。

ある日The Beeでのイベントの仕事が日曜の明け方近くに終わり、ドロドロに疲れてクルマで帰る途中夜も明け、朝6時ころ男3人ファミレスで朝食となった。入って席に着くと満面の笑みをたたえた店長らしき男性がメニューを持ってきて一言「これからおでかけですかぁー?」。確かに日曜だし、釣りに出かける3人組にでも見えたんだろうけど。。。コントのようにコケル3人だった(笑)。

サウンドギャラクシーのショープログラミングは1992年2月オープン前の現地で行われた。オレンジ広場にプログラム用のコンテナハウスが置かれ、スタッフがプログラミング用PCやコンソールを持ち込んだ。
なにしろ暗くならないと始められないので、夜7時から夜中2~3時ころまで5,6日連続で行われたと思う。夜中は寒くて地面に引いたマルチケーブルが霜でカチカチになっていたのを思い出す。終わってから佐世保のホテルに戻り午後まで寝て、夕方またハウステンボスにやってくる生活だった。部屋の清掃・ベッドメイクで起こされるのがかなわんとタオルだけ変えてくれればいいから、などとホテルに掛け合ったような気がする。
照明・レーザー・街の電飾など光の演出は吉井澄雄さん。照明界では当時すでに大御所だが、大変気さくで分りやすく指示を出していただいた。現在もご活躍中でいらっしゃるようだ。
あまり知られていないと思うがサウンドギャラクシーには曲が2つあった。ほとんどの方の記憶に残っているのをA曲とすると、知られていないB曲があったのだ。A曲よりも現代的な感じだったと思う。ショープログラムはそれぞれの曲用にちゃんと2つ作られた。ハウステンボスオープン当時はA,B日替わりでショーが行われていたか、そもそもBはお蔵入りだったか記憶が無い。
プログラミング最終日に冨田勲さんが差し入れの日本酒を抱えて現場に見えられた。神近義邦氏が書かれて1994年に出版された「ハウステンボスの挑戦」ISBN4-06-206407-3の164~165ページに以下のような記述がある。
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平成四年の二月、港町ではサウンドギャラクシーのシミュレーションが繰り返されていた。夜十時半、凍てつくような寒さの中で、吉田直哉さんと冨田勲さん、それに光のスペシャリスト吉井澄雄さんが日本酒の一升瓶から茶碗酒をあおりながら仕事を続けられているのをよくお見かけした。
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なんだかこれだと毎日飲んでいたみたいだが(笑)最終日、仕事終わりで乾杯しただけである。
サウンドギャラクシーはなんと2003年まで続くことになった。あの規模のライトショーが国内で連日10年以上続いたのは珍しいことだと思う。ただ後年はメンテナンスが十分といえず、スタート時の状態が100%再現されているとは言えなかったのが惜しまれる。
以下はサウンドギャラクシーのショープログラミング中にハウステンボス内で撮った画像である。パレードのリハーサルが行われたり、まだ工事車両がたくさんいて工事中の個所があることが分かる。

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私自身ハウステンボスのファンでもあり7,8回訪れたが2004年以降行っていない。お気に入りのアトラクションだったクリスタルドリーム大航海体験館が無くなってしまったこと、部屋からの眺めと海に面した明るいレストランが好きだったホテルデンハーグが閉まっているのが残念。一時期行われていた大村湾でのパラセーリングを体験できたのが良い思い出である(ルフティは強風で乗り損なった(笑))。
サウンドギャラクシーで使用されたサーチライトはロボサーチで、シャッターによるON/OFF、パン・チルトの位置制御、フィルタースクロールによる色変えなどがDMXでコントロール可能だった。
このサーチライトはハウステンボス内だけでなく、対岸にも確か4台ほど設置されていた。
地図から推測すると西泊ノ鼻だったと思われる。
このコントロールは専用回線とモデムで行われていたと記憶している。やや分かりにくいが前回リンクした画像のサウンドギャラクシー1と2の中央付近にある2つの光源の左側がそれである。ショーの行われる日は(つまりほとんど毎日だが)スタッフが行き防雨カバーの付け外しやメンテナンスを行っていたはずだ。
私が持っていたサウンドギャラクシーの画像が出てきた。リハーサル時のものだとおもわれる。
画像クリックで拡大。

25-サウンドギャラクシー1.jpg



















29-サウンドギャラクシー2.jpg



















32-サウンドギャラクシー3.jpg



















1992年3月にオープンするハウステンボス夜のライトショー「サウンドギャラクシー」のレーザーを勤務先が担当することになり、私は制御系のハードとソフトを製作することになった。
PC-9801を4台使い、1台をマスターコントローラーとしてコントロールルームに、残り3台をスレーブコントローラーとして3か所のレーザー光学台に配置した。各コントローラー間はRS-485ラインと、安全のために独立したレーザー光シャッター用ラインで結んだ。
マスターコントローラーはSMPTEタイムコード信号に同期してタイムライン上の制御データをスレーブコントローラーに送り、スレーブコントローラーはそれに従いXYスキャナーにアナログ図形データを出力した。マスター、スレーブともMS-DOS上のTurbo Pascalでアプリケーションを作成した。CP/M時代にPascalMT+やCP/M版Turbo Pascalを利用していて慣れていたし開発環境が使いやすかったからである。ちなみにPascalMT+はROM,RAM領域を定義できたのでZ80や64180組み込み用にも使えて便利だった。
レーザーはアルゴンレーザーを使用し、複数台の出力を合成することによりセンターは出力20W、左右は出力8Wだったと思う。
コントロールルームはオレンジ広場ビッケンビッケンの2階だった。ハウステンボスのページを見たらビッケンビッケンは健在である(笑)。マルチトラックテープレコーダー2台や音響・照明・レーザー各制御用のラックで室内はぎっしり埋まっていた。今なら当然SSDやSDHCカードなんかに入れたマルチトラック音源を出力させるところだろうが、当時はテープを回していたのだ。

YMO 武道館コンサート電飾に関連して雑誌取材を受けたことがあった。
その雑誌が出てきた。別冊宝島27 機械オンチに捧げるパソコン・ブック 1982年1月11日発行。
サムネイル画像クリックで拡大。

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1979/6/18(正確な日付は今回検索して知ったのだが(笑))The BeeでYMOのライブが行われた。

この日も私はレーザーのオペレーションをしていて、ライブ中ステージ背後のスクリーンにリサージュ図形を出したりしていた。リハーサルはしたのだろうか、したような気はする。

このライブの画像や動画が残っているならぜひ見たいものだが、個人で持てる小型ビデオデッキ一体型カメラなんて無い時代だから残っていてフィルム画像だろうか。
こちらのページによればその時のキーボードは矢野顕子さんなのだが、私には橋本一子さんだったような記憶がある。

この後またYMOと仕事で関わることになるとはまだ知る由もなかった。
1978年の11月末~12月位にそのディスコはオープンした。六本木The Beeである。
そこに前出のYさんが製作したレーザーディスプレーシステムが設置されたのだ。
私をスカウトしたAさんはレーザー導入にあたってコーディネート的なことをしていたと思う。
確か「東洋初のレーザーディスコ」なんてネーミングもあった気がする。今聞くとすごいネーミングだけど。

SP製のクリプトンガスレーザーを光源にして青・緑・黄・赤4色に分光していた。2~3W位は出ていたと思う。コントロール卓は完全アナログでオシレーターが何チャンネルかあり、ミックスしてリサージュ波形を発生させXYスキャナーをコントロールして壁面に絵を描いたり、光路の途中にソレノイドでミラーを出入りさせて天井近くにビーム光を走らせていたりした。たまに前出の図形再生機も使っていた。

レーザーのコントロールブースはバーカウンターの上の中二階のようなDJブースの隣にあった。椅子に座ると頭がつかえそうな天井高。まともな階段もなく脚立で上り下りしていた。

途中から無くなったような気がするが初めのうちは数分の「レーザーショータイム」があった。誰も教えてくれる人もなくいきなりバイトの学生(私)がやるはめになったのである。相当いい加減だったとは思うがまだレーザー光そのものが珍しかったし4色出ているし多少の拍手くらいは貰えたのだった。

ここで夜9時くらいから夜中3時過ぎまで毎日毎日半年以上全く休みなく私のバイトは続くことになる。

ちなみにThe Beeは六本木の交差点から飯倉片町の交差点に向かい六本木ピット・インの角を曲がったところにあった。今はどうなっているのかとグーグルマップでストリートビューを見ていたらとんでもないものを発見してしまった。昔のThe Beeの入り口ドアである。ドアを開けるとタイムスリップしてしまいそうでものすごく怖い(笑)。

SC/MP II マイコンを自作した年の11月大学祭があり、私は実行委員の一人として参加した。
イベントの一つとして当時まだ珍しかったレーザーショーを大講堂で行う企画があり、たまたまその手伝いをすることになった。プロの業者さんを呼んだわけだが、そこに来たのが後に私の就職先となる当時はまだ会社になる前の主宰者Yさん。
Yさんが持ち込んだ機材はレーザー本体以外はすべて手作りだった。そんなほとんどアナログな機材の中に、唯一文字や図形をデジタルメモリからD/A出力できるものがあった。
これが私が自作したマイコンと同じように、アドレス入力とデータ入力も確か2進のトグルスイッチでデータは8ビット。再生するときはデータの開始アドレスと終了アドレスをずらずら並んだトグルスイッチで2進設定しクロックをオンすればその間をループで回ってD/A出力できた。メモリはバッテリーバックアップされていたと思う。絵を切り替えるときはどうするか、それは開始アドレスと終了アドレスの並んだトグルスイッチを同時にエイヤッと切り替えるのであった(笑)。
Yさんからそんな機材のかんたんな説明を受けて大体理解できた私が「なるほどこういじればいいんですね」などと話していると「キミ、それ分るの?」と一緒に来ていたAさんに話しかけられた。「ちょっと前にマイコンを自作したんです」と話すと「月末に六本木のディスコにレーザーを入れるんだけどバイトしない?」。いきなりスカウトである。

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