番外編の最近のブログ記事

6/6にショップより修理完了との連絡があり、6/7に受け取り。
フォークが色違いになったが直ったのでよしとする。

DSC_0357.JPG
今回の件で自転車トラブルについて検索してみると。。。
上のまとめページなど自転車折れまくりで、自転車に対する信頼性の感覚が変わらざるを得ない。
しかしまとめページなだけに「結局どうすればよいの?」か分からない。
学習できることは「早めに買い換えれば安全」ということである。

もっと探してみよう。




10年乗っている折りたたみ自転車、DAHON(ダホン) Helios(ヘリオス) C9ステアリングコラムがポッキリ折れた。
走っていると急に前輪がうねうね?するような妙な感覚があり、タイヤかホイールがおかしくなったかと思い停まって見てみたが異常なし。
不思議に思いつつ再びこぎだそうとしたとたんポキッとな?!
エエエ-ッ、そんなぁ。。。

DAHON Helios C9 1DAHON Helios C9 2DAHON Helios C9 3













画像内矢印が折れた部分(クリックで拡大)。ヘッドチューブ内の上のほう。
折れた結果、ハンドルとフロントフォークはヘッドチューブから上下に抜ける状態。

おそらく徐々に亀裂が広がりつつあったと想像できますがここが折れるとは。
「あーそこね!古くなると折れるんだよねー(笑)。」なんてことないですよね?
同車種もしくはDAHONの類似車種にお乗りの方には点検をお勧めします。
ちなみにこの自転車のフレームには"05"シールが張ってあるので2005年製かと。

飛ばしているとき突然折れなくて本当に良かった。

2015/6/2 追記

5/31にメンテナンスや修理をお願いしているショップ(購入店)に持ち込んだ。
翌日にショップより連絡がありメーカーからの返事は、

1. Helios C9の交換パーツはすでに無い。
2. Helios C9に適合すると思われる他の車種のパーツがある(色は黒)。

とのことで、そのパーツをショップに送ってもらい

3. 無事取り付けられれば修理完了。 もしくは
4. 取り付けられなければ修理不能で終了。

修理代金は¥23,000~¥24,000とのこと。

メーカーの対応から察するに、10年経過したDAHONにおいて「ステアリングコラムの折れ」は特別なことではないようです。
パーツ交換で直ってくれればいいのですが。。。


オーシャンドームが解体されるとのこと。
 「屋根の鉄骨部材の腐食が想定以上に進行しており」とあり、基本的なメンテナンスも行われていなかったということだろう。
そんな折、オープンから約1年経った1994年7月にオーシャンドームに行ったときのパンフレット類が見つかった。

オーシャンドーム1.jpg
オーシャンドーム3.jpg
ドーム内で撮影した画像。
快晴ということもありドームの屋根を開閉するイベント?が行われた。
左の画像は屋根が開き始めたところ。

オーシャンドーム2.jpg
オーシャンドーム4.jpg
昼間ずっと開いていたわけではなくせいぜい数時間で閉まったと思う。

まだ高層ホテルはオープンする前。



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入場チケットとレシート。






ワンデイチケットが¥4,200、これでプールやウォータースライダーが利用できるがロッカー、一部のスライダーやアトラクションは別料金。ドーム内は基本的に水着なので、プリペイドバンド(ロッカーキーが差し込める手首用バンド)で各種利用料金を払うことになる。
ワンデイチケットと¥5,000のプリペイドバンドを2人分購入して¥17,560也。ドームに足を踏み入れる前にこれだけかかったのだ、20年前に(笑)。
チケットが10%引きになっているが、全日空スカイホリデーを利用したのでその特典だったのかもしれない。ちなみに東京ディズニーランド1994年当時の1日パスポートは¥4,800だった。

以下は入場時にもらえるガイドブック。

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折り込んである表紙を開いた面とその裏。




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翌朝宮崎空港へ向かうバスから撮影したドーム全景。
これもとうとうザウスと同じ運命になろうとは。。。

この後長崎へ飛び、ハウステンボスに2泊してからスペースワールド、福岡海の中道に泊まってマリンワールドなどを観光したのだった。
私が初めて買ってもらったステレオセットの取扱説明書類と一緒に、カラーテレビのパンフレットが出てきた。
ちなみにステレオセットはパイオニアのフルオートレコードプレーヤーPL-A25+パイオニアのプリメインアンプSA-50+コーラルのスピーカーBX-800*2だった。

パンフレットはサンヨーカラーテレビ サンカラー 19-CT8500(19-CT8500U)型と、
「薔薇」の愛称のついた 19-CT1001NU(19-CT1001N)型の2種類。
(共にUの付いているのがUHFチューナー内蔵モデル)

19-CT1001NUが新型モデルと思われ、第一家庭電器(株)万世橋店のハンコが押してある。
パンフレットの端に鉛筆で数字が書き込まれており、どうやら店頭で価格交渉したようだ。
ステレオセットを購入したついでにテレビも見たらしい。
実家では1964年東京オリンピックの時にテレビを買い換えたが白黒テレビで、1970年大阪万博の時にサンヨーのカラーテレビに買い換えた記憶があるので時期的に合っている。
近所の電気店がサンヨーのチェーン店だったので、てっきりそこで購入したのだと思い込んでいたのだが秋葉原での価格も確認して検討したのだろう。
ただし実家で買ったのはこれらのパンフレットの19インチではなく16インチ?モデルだったような気がする。

19-CT8500(19-CT8500U) クリックで拡大
サンヨーサンカラー19-CT8500パンフレット表
サンヨーサンカラー19-CT8500パンフレット裏



















19-CT1001NU(19-CT1001N)
サンヨーサンカラー19-CT1001Nパンフレット表
サンヨーサンカラー19-CT1001Nパンフレット裏



















ATS -> FULL ATSと進化しているが共にチューニングや色合いの自動調整をセールスポイントにしている。当然完全アナログチューナーの時代だが自動調整が売りになるほど毎回微調整が必要だったのだろうか?なぜブラウン管をアピールしていないのだろう?
サンヨーカラーテレビについて検索していたら、サンヨーはカラーブラウン管を自社製造していなかった
という記事を見つけた。この記事にも書かれているとおり、それでブラウン管の構造や発色などをアピールしていなかったのだ。

「現金正価」という書き方が時代を感じさせる。現在でも決して安いとは言えない価格だが現在の大卒初任給を20万円とすると1969年当時は3.2万円程度だから約6倍の物価差と考えると120万円!近辺の凄い価格となる。。。高度成長期でなければとても手が出せなかったろう。
今なら80インチも楽々、何ならこうゆうのでホームシアターも可能。。。
価格を考えればやはりこれくらいの「立派」な家具調ケースが必須だったに違いない。

スペック表も興味深い。
19-CT8500                                        19-CT1001NU
19-CT8500定格.jpg
19-CT1001.jpg












重量50Kg!真空管20球以上!


確かに当時カラーテレビを裏から覗いてみると真空管がびっしり、とっても暖かった(笑)記憶がある。1、2回は故障して修理してもらったがあれだけ真空管載っていれば(もちろん冷却ファンなど無し)故障もします。

サンヨーはこの翌年の大阪万博ではパビリオンを建て人間洗濯機などユニークな展示をした。
個人的にはサンヨーといえばカドニカ(ニッカド電池)太陽電池のイメージがある。
今やパナソニック傘下となりブランドが風前の灯となろうとは。。。

ライゾマティクス inspired by Perfume 2013を観てきた。

会場内は4つのコーナーに分かれていて

◎45°のハーフミラースクリーンに擬似3D映像を投影するシアター(15名入れ替え制)
◎LED電飾ドレス3バージョンの展示コーナー
◎人体3Dスキャナー体験コーナー
カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバルで使用したドレスとプロジェクションを使用したパフォーマンス再現コーナー

シアターは会場入口右側にあるが、順路は無いので他の展示を観てから並んでも良い。
2本の作品が上映され、1本は3人のパフォーマンスを完全にCG化したものでもう一本は実写。
かなり3D感(浮遊感)はあるが、スクリーン正面奥にはメンバー3人の白い立体像が立っているだけなのでちょっともったいない。
キリン氷結のパフォーマンスあたりが観られるかなと少し期待していたんだけど残念。まぁ映像だけじゃ面白くないかな。
実写映像では3人が円周上に等間隔に並び途中違う位置になり、そこからちょっと不思議な動きをしてアレッと思うとまた見事に円周上に戻るという振り付けがあってさすがPerfume。
あと閉じられた狭い空間に次から次へと人が入っているのでやや体臭が(笑)。

斜めハーフミラースクリーンって前からあって仕掛けは単純なんだけど、上手に映像が作ってあると観る側が勝手に脳内3D感を得てしまうという、作る側観る側お互いお得なやり方かもしれない。
6年前にそれを4面組み合わせてこういうやリ方で映写する立体映像システムがあったけど、日本では価格に見合う使用目的が見つからなかったようだ。
上記のシステムを天地ひっくり返して小型化したこういうのもある。このくらい小さいとウィンドゥディスプレーとかで商品になりそう。これをダンボールとフィルムミラーでうんとチープに作ってプロジェクターはレンタル、Perfumeの映像でショップのCD/DVDコーナーに置けたら楽しい。

電飾ドレスは3人分×3バージョン9体展示されていて、音楽に合わせて光っている。
ただ今日10/5は1バージョン点灯していなかった。
綺麗に作られていてLEDは明るいし、制御ソフトも各バージョンごとに画面でシミュレーション出来るよう専用に作成されているなど力が入っていて面白かったけれど新しさは感じられなかった。

3Dスキャナー体験コーナーは混んでいる上に、しばらく観ていても何がどう進行しているのか分からなかったのでパス。数メートル先に3Dスキャナーらしきものはあったのだが。。。

カンヌでのパフォーマンス再現コーナーが一番の目玉だと思う。
3人分3体のドレスが2組横に並べておいてあり、灯りがついている間はスカートがモーターで開くデモをしていてドレスの裏に回って機械の動作を見ることもできる。
灯りが消えるとまず左側の3体でこの映像の最初から2:10頃までのパフォーマンスが再現され、次に右側の3体で上記の映像の2:26頃からのパフォーマンス(のややダイジェスト?)が背面のスクリーンと共に再現される。
入場料¥500で目前で観られるのは安い!

つくづくプロジェクターの進歩に感心する。プロジェクターといえばこんなことができるのも今ならでは。
思い出したが70年万博にチェコが出展していたラテナ・マジカ劇場というのがあり(観たんです(笑))、これがフィルム映像と人のパフォーマンスがからむというもので(例えばステージ上の人物が映像に出たり入ったりする)アイデアは40年以上前からあったことがわかる。話題がずれました。

さて、ライゾマティクス inspired by Perfume 2013の会場と同じ階でオープン・スペース2013という無料の展覧会をやっていてそちらも覗いてみた。

そこでティル・ノヴァクなる人物の出展していた「遠心力体験装置」なる展示の映像に目が釘付けに!
遠心力研究所なる架空研究所の博士が新たな遊園地の乗り物を考案するという内容で、これが会場で上映されていた映像そのもの(会場のは日本語字幕がついていた)。
乗り物映像の出来が素晴らしい! いかにも素人が撮りました風のムービーが見事に加工されている。

博士の解説もいちいち人を喰っていて、これはキテる。遠心力研究所のホームページもちゃんとある。
遊園地の乗り物関連の映像の中に紛れ込ましておきたい!
今日最大の収穫はこれ。


1945年3月10日、10万人が亡くなった東京大空襲の日である。
もちろんまだ私は生まれていない。

私の父は空襲の炎の真っ只中にいた。

父は祖父と一緒に実家の目の前の国民学校の講堂に避難していた。
現在の東京都立浅草高等学校である。
しかし、火の手が迫りここにいては危ないと講堂の高い窓から外に出て校庭の防空壕に身を隠し、祖父共々助かった。講堂にいた人々は皆亡くなったそうである。

母は千葉の方に家族で疎開していたが、空襲の翌日、東京の仕事先(学徒動員と思われる)にやって来てそこいらじゅうにある遺体を目撃している。

私の通っていた小学校は台東区立富士小学校だが、そこでも避難した多くの方が亡くなっている。
また、当時田舎に疎開していた生徒たちが不運なことに空襲の前日に帰宅しまきこまれたいう話も聞いた。

広島や長崎には公的な資料館があるのに東京には無い。


今日、パソコン自作力検定を受けてみた。

パソコンスペック記憶力検定だった。パソコンショップパーツ売り場店員採用試験と言えば分かりやすいだろうか?私自身は何とか70点位はいけたかなといったところ。

確かにスペック知識も自作の大切な側面だと思うが、全くパソコンを自作したことのない人間でも今日の問題なら暗記で満点近い点数が取れるだろう。
記憶力だけではまずいと出題者が思ったか、自作にもスペックにも関係ない小ネタ問題があったのも?だった。あと、正解のない問題が1問あったような気がする。

何の役に立つのか分からない第1回検定なのだからもう少し楽しい問題だったら良かったのだが(それを言ってしまうとペーパーテストでは無理かもしれない)。

取材の方が数名いらしていたようなのでどうだったか明らかになると思うが、試験会場をざっと見渡したところでは女性の方はお見かけしなかった。ちょびっと悲しい。

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・試験問題の再現 
方法の如何を問わず再現、試験問題の全部もしくは一部またはそれらの概要を、インターネット・テレビ・ラジオ・メール・文書・講義の他の手段を用いて不特定または多数の者が閲覧・視聴可能な状態に置くことを禁止します。
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って主催者は言っているので以上なるべく曖昧に(笑)。

試験の開始時、パ自検公式サポーター嬢にご挨拶(MC)いただいたのだが、会場の雰囲気との落差ぶりに受験者全員がコケた(嘘)。彼女が公式サポーターコスチュームの印象とは違いかなりな着エロ系なことがアキバらしいとも言える。
今回は少し恥ずかしい(笑)過去の出来事である。

月刊ログインで1984年に数ヶ月にわたってアダルトソフトの特集が組まれたことがあり、そのイベントとしてアダルトソフトウェアコンテストが行われ1984年10月号で結果発表された。

そこで1位を取ってしまった。賞金10万円也。

当時PC-9801に接続できるビデオキャプチャー装置(ボードではなく3Uラックマウントケースくらいのサイズのもの)とビデオカメラ(白黒・SONY製)を持っていた。
それで神田で売っていたグレーゾーンのグラビア誌を取り込み、20枚くらいの画像をつなげて大きな仮想スクリーンとし画面上で自由にスクロールして好きな画像が見られるような、今で言えば画像ビューワーソフトを作った。TurboPascalで書いたかBASICだったか覚えていない。どの98でも動作するようにBASICで作成したと思う。

ソフトウェアのタイトルは"Windows"。翌1985年にアメリカで発売されることになるWindows1.0を意識してそういう名前にしたような記憶もある。

まぁ勝手に取り込んだ画像だったので、発表時にログインに掲載するのだったらグラビア誌の発行元に確認しておいて欲しいと編集部に頼んでおいたのだが、連絡がつかないとかで何となくうやむやに終わったように思う。まぁ、階調も解像度も良くなかったということもあっただろう。
私が住んでいるのはマンションの10数階だが、夏の終わり頃ベランダにセミが落ちていることがある。
おととしなどは4,5匹ひっくり返っていた。
今年も1匹ひっくり返っていたが昨日、元気なセミに遭遇した。

自室に入るとPCの辺りからジーという音がする。ファンでもいかれたかなと思って耳を近づけてみるとどうやら窓の外から聞こえている。
もしやセミか?と思い当たりベランダに出てみるとアブラゼミ(鳴き声で調べた)が壁にとまって鳴いていた。

semi1109.jpg
この画像を撮影したあと、音声付きの動画を撮ろうと思い別のカメラを手に再び近づくとセミは急に飛び立ち、空に向かって飛んで行って見えなくなってしまった。

以前も高層階に住んでいたが、そこにセミが来ることはなかった。周囲の環境も影響しているのだろうが、セミにはこの建物が大きな木に見えるのだろうか?

しかしセミの生態というのも不思議である。アブラゼミは6年間地中で過ごしたあと、地上に出て来て1ヵ月くらい鳴いて交尾して死んでしまう。

人間に例えるなら、
歌手を目指すも全く鳴かず飛ばずだった男性が68才の春にいきなり大ブレーク、シングル100万枚のヒットを飛ばして年末の紅白に出場。翌年には40才年下の女性と結婚、父親となるも70才でコンサート中急死。みたいな感じ?

ちょっぴり羨ましいかもしれない(笑)。
その昔、TVで石丸電気サトームセンオノデンのCM盛んなりし頃の話。

秋葉原で家電製品を買っていたのは石丸電気が多かった。
買い物をするとマニュアルや保証書をファイルしておくクリアファイルをもらえた。
UNI_0458.JPG
今でも5冊とってある。
毎回もらえたわけでもなくどういうタイミングでもらえたのか忘れたが、今ではちょっと考えられないサービスである。

この頃石丸で買い物をすると、販売員が5,6枚綴りの複写式の伝票に手書きで色々書き込み処理していた。
その伝票をコンピューターに入力していたようで、後で修理サービスに持っていくとガラステーブルの下に置かれたIBM製のCRTターミナル(グリーンモニタの付いたPCではない端末)で検索できたように記憶している。

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POS端末やバーコードの無い時代だったんですね。

ところでこの頃、新宿のラオックスで買い物をした時の忘れられない光景がある。
商品を持って会計に行くと、伝票と支払った現金を筒にいれエアーシューターで送り出すのである!
会計にはレジスターがない。
しばらくすると「シュポッ」と筒が戻ってきて、中からオツリと領収書を取り出して渡してくれた。

つまりその店の現金処理を全て1箇所に集中させて処理し、効率化しようということだったと思われる。しかし考えてみるとその会計処理をするフロアは機械的で、全く人間味の無い職場だったに違いない。
お客の顔は全く見えず各階からのエアーシューターが並んでいて、前触れも無くそこに「シュポッ」と届く筒を開けて処理して送り返す作業の連続なのだから。。。

今考えればまるで「未来世紀ブラジル」の世界じゃないかと思ったらすでにこんな書き込みも。

忘れたころの更新です(笑)。

自宅でソニーのVGF-WA1を使っている。単体で無線LANに接続してインターネットラジオを聴いたり、PC上の音楽を再生したり、PCの外部スピーカとして使用できて音質も良い。ところが無線ルーター(プラネックスMZK-WNH)が端の部屋にあるため、離れた場所では無線LANの感度が落ちてしまう。そこで無線LANリピーターを作ってみることにした。

まずLa FoneraFreewlanを入れてみた。出来るはずなのだが色々やっても無線LANリピーターになってくれない。そこでバッファローWHR-G54Sがあったことを思い出し、こことかを参考にしてDD-WRTを入れてみた。

上記の記事にあるようにTFTPで転送したのだがタイミングがなかなか合わなかった。何回かやっているうちにやっと引っ掛かりStable版をロード出来たのだが。。。管理画面が出てくれない。192.168.1.1でも反応せず壊したかと思ったが最新のBeta版を入れ直し動作するようになった。
注意しなくてはならないのは、リセットして初期状態に戻したオリジナルWHR-G54Sのアドレスは192.168.11.1になっているが、DD-WRTを入れた後のアドレスは192.168.1.1になっていることである。

DD-WRTで見事無線LANリピーターとして動作したが、WHR-G54Sに無線LAN接続したVGF-WA1は無線ルーターMZK-WNHに接続したPCからは見えない。インターネットラジオは問題ないのだがPCの外部スピーカーとしては使えない。設定をいじってみたが自分には解決できなかった。

そこで力技でLa FoneraとWHR-G54Sを両方使って同じセグメント内にいられる無線LANリピーター(ブリッジ?)にしてみた。WHR-G54Sをクライアントブリッジとして無線->有線変換し、La Foneraで有線->無線Hubにする。これで思った通り、無線ルーターMZK-WNHに有線・無線LAN接続したPCとLa Foneraに無線LAN接続した機器が互いに見えるようになった。

これで家中どこでもVGF-WA1で音楽が聴けるようになった。ちなみにお気に入りのインターネットラジオはSwissGrooveとか昨日見つけたBollywood & Beyond - Radio NRI 24/7とか。

以下は接続図と外観、ファームウェアの設定状態。クリックで拡大。

無線LANリピーター.jpg
UNI_0328.JPGのサムネール画像
LaFoneraPrivateSettingfs.jpg
LaFoneraInternetConnectionSettings.jpg
LaFoneraAdvancedNetworkSettings.jpg

























G54SWirelessSetup.jpg
G54SWirelessInterface.jpg
G54SWirelessSecurity.jpg

2000年(もしかしたら2001年だったかもしれない)に三重メトロヒルズ・ショープラザという不思議な場所に仕事で行ったことがある。そこにはゴルフ場に隣接した天然温泉付きのホテルと隣接したレストランシアターがあり、当時レストランシアターはすでに閉鎖、ホテルは休業中、温泉のみ営業中だった。現在は温泉も閉鎖(このページ下の画像で右に見えているのがレストランシアター)されたらしい。
福山雅治コンサートツアーのリハーサルで閉鎖されたレストランシアターを利用し、ステージに使用された自分が設計製作にかかわった大型LEDスクリーンのオペレーションのために行ったのだった。
リハーサルといっても照明と舞台装置のみのテクニカルリハーサルのためご本人の登場は無し。
このレストランシアターは資料によれば1994年にオープンし、ラスベガス直輸入の「スプラッシュ」というミュージカルを上演していた。出演者・舞台装置全てを持ってきたのである。シズまでアメリカから持ってきたと噂になったらしい(笑)。
タイトル通り水を多用したショーで緞帳の代わりに舞台前面が滝になる仕掛けとか移動式の巨大な水槽とか当時の名残りが色々あり、客席は多くのテーブルを舞台に向かって半円状に囲むように配置されていてロビーには出演者たちのパネル写真がそのまま飾られていた。
リハーサルは数日間行われたのでスタッフたちは隣の休業中のホテルの部屋を使えるようにしてもらい宿泊し、休業中のレストランで食事(給食)を作ってもらっていた。
普通こんな風にシアターが閉鎖されホテルも休業したら潰れそうなものだが、(なぜか)会社にはお金があり経営を続けられているとのことだった。。。
このシアターを使ったリハーサルは2006年にはまだ行われていたようだ。
昨日の地震後、ガスが使えなくなった。

メーターで遮断されたかと思いリセットしてみたが復帰しない。
夕方、東京ガスのマイコンメーター関連のページにはほとんどアクセスできなくなっていた。
地域のサービス会社、東京ガスライフバルの電話もつながらない。24時間受け付けなので夜10時過ぎにまた電話してみるとつながった。状況を説明して係員に来てもらうことにしたがいつになるか分らないとのこと。
まぁ翌12日に来てもらえるかな。。。と考えていたら夜12時近くに部屋に来てくれた。エレベーターも止まっているのに素早い対応に感謝である。ガスが出ないのは建物のガスの遮断弁が閉まっているためで、その操作はライフバルでは出来ないとのことだった。
今日は問題なくガスが使えている。マイコンメーターを部屋ごとにリセットしてくれたのだろうか、それとも自動復帰する仕様だったのかな?

今午後5時半だがまだ余震で時々揺れている。

東京運河交差点が動作していないのは地震の影響ではない。何と昨日の夜からカメラが故障しているためである。

以前住んでいた超高層マンションでもそうだったが、地震の揺れは建物の固有振動の周期となるので船酔いしそうなゆっくりとした揺れになる。今回の揺れは今まで経験したことのない大きさの揺れだった。

初めのうちは大したことないかと思っていたがだんだん揺れが大きくなってきて部屋のあちらこちらでギシギシ音がし始め、家具は倒れなかったものの本棚の本がかなり落ちキャスター付きの洋服ハンガーなどは倒れた。揺れの激しい時は何かにつかまっていないとよろけそうなほどだった。

棚から落ちて電池が外れて止まった時計。揺れが収まって室内を見てみるとキッチンの壁紙に床から天井まで裂け目ができていた。ゆがみで破れたのだろうか。

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バルコニーに出てみると何か破片が落ちている。見上げるとコンクリートの梁の角が欠けているようだ。こちらもゆがみに耐えられなかったのだろうか。

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ハウステンボス関連画像を探してアルバムを開いていたら懐かしい画像が出てきた。
まず博多-ハウステンボス間を結んでいたジェットフォイル"ビートル"である。博多からハウステンボスまで一度乗船したことがある。1994年に航路が廃止となった。画像クリックで拡大。

ビートル_1.jpg
ビートル_2.jpg












ビートル_3.jpg
ビートル_card.jpg




















次はハウステンボス-オランダ村間を結んでいた"ワーペンファンホールン"。"アメリア"(現在の姿)が1993年に登場してからしばらくは2隻とも就航していた。オープンエアの2階席が爽快だった。2001年に関門汽船に買い取られ門司港に係留され船上レストランとなっている。現在も無事に営業しているようだ。
右の画像にはハウステンボス港に入港しようとしている"ワーペンファンホールン"と"ビートル"が写っている。1992年、ハウステンボスオープンから2年間(2年以下?)しか見られなかった風景である。

72-ワーペンファンホールン.jpg
ビートル&ワーペンファンホールン.jpg












最後にオランダ村"プリンス・ウィレム"の後姿。2003年10月21日オランダ村を離れオランダのデンヘルダー港に係留中2009年7月30日火災で焼失した。こちらのブログでは再建計画にふれているがどうなっているのだろう。

79-プリンスウィレム.jpg



今回は番外編。
ハウステンボスではいつも園内のホテルに泊まっていたのだが、1996年、近くの西海橋コラソンホテルに滞在初日に1泊したことがある。
ホテルの敷地の隅に斜面を上り下りする小型モノレールがあった。下は船着き場で当時はハウステンボス行きの船が出ており(1日1,2回だったと思う)その乗船客用らしく、スイッチを押せばすぐ動きそうに見えた。モノレール横の階段を下りていくと船着き場の先にすでに閉鎖された水族館らしき建物があった。
この建物について知りたくて過去何回か検索したのだがほとんど何もヒットしなかった。ところが最近検索するといくつかの廃墟ページに行きつくようになっている。 (1)(2)(3)(4)
海に面していることもあり人にも荒らされたのか建物はずいぶん荒れてしまっているようだ。
モノレールも完全に朽ち果てている。ホテルは健在なので放置しておいて大丈夫なのかと思ったがゴンドラは下の位置に停まっているようだ。ホテルからは目に入らないのだろう。

以上の書き込みをした後、グーグルマップとストリートビューを見てみたところホテル側モノレール乗り場の跡と思える場所があった。中央付近、2つ並んだ茶色い構造物である。これが下の画像のゴンドラが停まっている場所のようだ。航空写真でもこの位置で合っているように思える。左上が水族館跡、右下方向がコラソンホテルである。

2011年2月14日 追記
上記のモノレールだがこちらのページなどを見ると、レールや車体下部のカバー形状から嘉穂製作所製のスロープカーだと思われる。

2015年9月19日 追記
他のウェブページに、上記のモノレールがコラソンホテルと西海橋水族館をつないでいたという記述が見られるが誤りである。
コラソンホテルの場所には1988年まで西海橋遊園地があり水族館も同時期に営業していたとみられる。コラソンホテルがオープンしたのは1993年8月なので、すでに水族館は閉まっていたと思われる。

西海橋水族館営業中の画像。背景の手すりの形から下左の水族館画像左端の入口前で撮られたと思われる。写真の背景がこの絵葉書の建物のようだ。
水族館のイルカショー画像。下右、水族館画像の看板にある"イルカ君"(イルカ君て?!)が空中のボールにタッチしようとしている。

以下は1996年当時の画像である。画像クリックで拡大。

44-コラソンホテルゴンドラ.jpg
47-コラソンホテルゴンドラ2.jpg












50-西海橋水族館1.jpg
53-西海橋水族館2.jpg













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