先日勝どき駅前バス停から有楽町へ都バスで向かう際、プラザ勝どきへの通路が閉鎖されていた。プラザ勝どき解体・建て替えのニュースは知っていたがとうとう解体かと感慨深かった。
1987年末完成後から1995年までA棟4階のワンルームに住んでいた。1986年からラケットボールをするためにドゥ・スポーツプラザ晴海へ東銀座から送迎バスで通っていた(豊洲駅は未だ無い)。バスで勝鬨橋を渡るときに見える建築中のプラザ勝どきにある日入居者募集の垂れ幕が掛かり、引っ越し先を探していた私は立地に惹かれたのだった。当時勝どきに住んでいると言うと「人が住んでいるの?」と訊かれたような場所。
建築から40年経たないうちに解体とはずいぶん早く経済寿命が来たものだ。


入居前に室内やベランダからの風景を撮ったポラロイド(ノイズ除去済み)が出てきた。
キッチンは電熱ヒーター1台のみ。A棟は大型給湯器からの集中給湯で住居にガスが配管されていない。ガラスが田の字にはまっている白いドアを友人から「男女7人夏物語の扉」と命名されたが確かに似ている。当時流行っていたのだろう。


ベランダから勝鬨橋を見た画像には二葉亭(後のデニーズ)の屋根が写っている。視点は異なるが現在のストリートビューではニチレイとその横の倉庫が無くなりニチレイのビルになっている。築地市場の立体駐車場も無い。

ベランダから隅田川上流側を見た画像にはIBMビル(当時)、三角形の築地永谷コーポラス、明石町ポンプ所、つきじ 治作(料亭)が写っており皆現存する。画像右端のマンションは建て替わりその先に聖路加タワーが建つことになる。