サウンドギャラクシーのショープログラミングは1992年2月オープン前の現地で行われた。オレンジ広場にプログラム用のコンテナハウスが置かれ、スタッフがプログラミング用PCやコンソールを持ち込んだ。
なにしろ暗くならないと始められないので、夜7時から夜中2~3時ころまで5,6日連続で行われたと思う。夜中は寒くて地面に引いたマルチケーブルが霜でカチカチになっていたのを思い出す。終わってから佐世保のホテルに戻り午後まで寝て、夕方またハウステンボスにやってくる生活だった。部屋の清掃・ベッドメイクで起こされるのがかなわんとタオルだけ変えてくれればいいから、などとホテルに掛け合ったような気がする。
あまり知られていないと思うがサウンドギャラクシーには曲が2つあった。ほとんどの方の記憶に残っているのをA曲とすると、知られていないB曲があったのだ。A曲よりも現代的な感じだったと思う。ショープログラムはそれぞれの曲用にちゃんと2つ作られた。ハウステンボスオープン当時はA,B日替わりでショーが行われていたか、そもそもBはお蔵入りだったか記憶が無い。
プログラミング最終日に冨田勲さんが差し入れの日本酒を抱えて現場に見えられた。神近義邦氏が書かれて1994年に出版された「ハウステンボスの挑戦」ISBN4-06-206407-3の164~165ページに以下のような記述がある。
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平成四年の二月、港町ではサウンドギャラクシーのシミュレーションが繰り返されていた。夜十時半、凍てつくような寒さの中で、吉田直哉さんと冨田勲さん、それに光のスペシャリスト吉井澄雄さんが日本酒の一升瓶から茶碗酒をあおりながら仕事を続けられているのをよくお見かけした。
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なんだかこれだと毎日飲んでいたみたいだが(笑)最終日、仕事終わりで乾杯しただけである。
サウンドギャラクシーはなんと2003年まで続くことになった。あの規模のライトショーが国内で連日10年以上続いたのは珍しいことだと思う。ただ後年はメンテナンスが十分といえず、スタート時の状態が100%再現されているとは言えなかったのが惜しまれる。
以下はサウンドギャラクシーのショープログラミング中にハウステンボス内で撮った画像である。パレードのリハーサルが行われたり、まだ工事車両がたくさんいて工事中の個所があることが分かる。