勝鬨橋の思い出

◎勝鬨橋開閉部分の歩道は木の板張りだった

勝鬨橋の最初の思い出は小学生時代に父親と一緒に晴海の東京国際見本市会場での東京モーターショーを観に行った帰り、晴海から歩いてきて勝鬨橋を渡った橋のたもとにあった水上バス乗り場(現在の東京湾ボートシーバスガイド乗船場あたり)から船に乗り浅草まで帰った時のことである。おそらく1966か67年、勝鬨橋が開閉し都電が通っていた頃。よく覚えているのは開閉部分の歩道がおそらく軽量化のためか木の板張りだったことだ。もちろん充分な強度であったろうが木の節穴から水面が見えて怖かった。

◎早朝のコミケ参加者

次は1987年末にプラザ勝どきに引っ越してから、晴海でコミックマーケット(コミケ)が開催される日の早朝、銀座方面から勝鬨橋を歩いてくる多くの参加者がいたことだ。

◎帰って行く花火の台船

同じくプラザ勝どき時代、隅田川花火大会第二会場すぐ近くのマンションリポ駒形(現存せず)に親戚が住んでいて毎年屋上(このブログのナショナルの看板の立っている場所)から花火を観ていた(風向きによっては花火の燃えかすが降ってくるような近さ)。花火大会は土曜日の夜行われ、翌日曜日花火打ち上げの台船がタグボートに引かれて勝鬨橋をくぐり東京湾方面へ向かうのを橋の上から何回か見かけたことがある。

ちなみに晴海の東京モーターショーは何回か行っていてよく覚えているのは見本市会場南館の前の池で水陸両用車アンフィカーのデモ走行(航行?)を行っていたことと、スズキジムニーが登場したとき屋外に鉄骨で急登坂路の周回コースを作りデモ走行を行っていたことだ。

プラザ勝どき周辺の空中写真 1992

「ピア晴海の空中写真 1992」に載せた1992年10月10日に撮影された国土地理院CKT921-C10-37の中に「勝どき・月島の思い出 1990」で書いた勝どき1丁目も写っていた。以下に角度は異なるがGoogleマップの勝どき1丁目の画像と並べてみる。

1992年10月にはすでにイヌイビル・カチドキが建っている。また中央区立月島第二小学校の建物もプラザ勝どきパンフレットの1986年頃の航空写真と異なり建て替わっていることが分かる。小学校Webページによれば1990年に建て替わったようだ。古い小学校は晴海通り側の校舎の窓が騒音対策のためか全てガラスブロックで塞がれていたのが印象的だった。これも国土地理院のサイトではより高解像度の写真が見られ飲み屋街や銭湯の建物もよりはっきり分かる。

この銭湯についてブログ「昭和回顧録 建築編」内の月島浴場/勝どき1丁目に詳しく書かれていた。なんと昭和2年に東京市によって建てられたモダン建築の公衆浴場で確かに高解像度版の空中写真で見ると瓦屋根ではない四角い建物であるのが分かる。このブログには他にも勝どき・月島の懐かしい建物が多く載っている。こちらの中央区観光協会特派員ブログ内のかつて銭湯があった場所 その3には銭湯入口の写真が載っている。

ピア晴海の空中写真 1992

国土地理院の空中写真がブログなどで使用可能と知り、晴海埠頭の写真を探したところ1992年10月10日に撮影されたCKT921-C10-37の中にピア晴海が写っていた。以下に「ピア晴海 1991」で載せた現在のGoogleマップと、空中写真から大体同じ範囲を切り取った画像(画像ソフトで拡大、文字を追加)を並べるので比較してみてほしい。

UR晴海4丁目市街地住宅(1969年築UR団地)とソフトタウン晴海(1983年築マンション)が残り、同じ場所であることを示している。見やすいように写真の向きを変え拡大したのが以下の画像。

埠頭に船も泊まっている。廃線跡も当時の記憶よりかなり多く残っていた。国土地理院のサイトではより高解像度の写真も見られるがダウンロード・画面コピー禁止なので興味のある方はそちらをご覧いただきたい。その写真だとピア晴海屋外テーブル席の様子や廃線の線路がはっきり分かる。

勝どき・月島の思い出 1990

ピア晴海 1991を書きながらプラザ勝どきに住んでいた1990年頃の周辺の様子を少しずつ思い出した。まず日常の食品などはどこで買っていたのか?プラザ勝どきパンフレット内の「LIFE INFORMATION」には今時住居紹介には欠かせないコンビニ・スーパーの記述がない。

実際すぐ近くにはコンビニもスーパーも無かった。黎明橋のたもとにあった黎明スカイレジテルの2Fに「O&O」という「まいばすけっと」位の小さなスーパーがありそこは確か夜10~11時くらいまで営業していて遅くに帰ってきたときなどよく利用していた。大きなスーパーと言えば今も営業している清澄通り月島の「フジマート」だけ。西仲通りに小さなスーパーがあったような気もするがよく覚えていない。あとは西仲通りの個人商店となる。

プラザ勝どきパンフレット内の航空写真と、同じ構図で見たGoogle3Dマップを以下に比較してみる。

プラザ勝どき航空写真
1986年頃のプラザ勝どき周辺

こちらが現在のプラザ勝どき周辺3Dマップのリンク。上手く埋め込めなかったので比較しづらいが上の航空写真をクリックすると別タブで開くので見比べてほしい。隅田川の手前勝どき地区はほとんど跡形も無く変わってしまっている。ぱっと見勝どきで残っているのは以下の円で囲ったプラザ勝どき、中央区医師会館マンションだけ。

晴海通りからプラザ勝どきを見てすぐ右手、晴海通りから道路一本裏手に左右に木造の店が建ち並ぶ路地の飲み屋街があった。客用の共同トイレが路地に面してあったのを覚えている。この飲み屋街は検索しても見つからなかったが晴海通りの向かいにあった数軒の店のとても懐かしい写真(2007年)を掲載しているサイト「昭和レトロ放浪記」があった。昭和レトロ放浪記の写真にある「東京エースレーン」看板「にこみ 千福」はよく覚えている。「にこみ 千福」は勝どきサンスクエアB1Fに移り営業中

また「佃島・月島百景」[動画]勝どきに四階建ての都営住宅ができた頃内に1989年に晴海通りと清洲通りの交差点から都営アパートを撮った写真があり背後にプラザ勝どき、都営アパート群と銭湯、道路沿いの商店が写っている。銭湯があったのか!すっかり忘れている。

こう見てくるとプラザ勝どきの入居パンフレットのイメージにはなかなか無理があったことが分かる。モデルの背景は勝鬨橋と築地であり勝どき側ではなく、イメージ画像も銀座の和光。航空写真を載せたのは築地や銀座が近いアピールだったと思うが、清澄通りまで画角に入っていたのは良心的だったかもしれない。

ピア晴海 1991

1991年8月中央区晴海にシーフードレストラン「ピア晴海」がオープンした。

このブログの「晴海運河(晴海埠頭)の北側にあったのは…?」に当時のイラストマップがあり、以下のgoogleマップの晴海臨海公園水辺のテラスからザ・パークハウス晴海タワーズ クロノレジデンス建物にかかる位の敷地にあった。

当時勝どきのプラザ勝どきに住んでいたので近く、週末はたまに食事に行っていた。店内にはジャズが流れ食事は和洋中幅広くどれもおいしく自分たちの食事の締めはパエリアが多かった。電子端末で注文を取りに来るアルバイトのせいだったか分からないが、残念なことに注文が通っていなかった事が数回あった。この店の目玉は生け簀にいる(はさみをゴムバンドで閉じられた)ロブスター。総じて食事の注文まではファミレス並だったが料理はシェフがちゃんと調理している印象だった。

店内には貸し切りの部屋もあり結婚式の2次会を見たことがある。店の横に魚介類を直送してきたらしい九州からの大型トラックが駐まっていたりした。当時晴海埠頭には大型船が入港でき海外の海軍が表敬訪問することもあり、いつぞやは確かフランスのミサイル巡洋艦の四角いミサイルランチャーを見ながら食事するというシュールな経験をしたことがある。ホテル浦島の裏からピア晴海に向かう途中にはまだ部分的に貨物の引き込み線が残り、手前にあった小ぶりなHARUMIドーム21ではプロレスイベントなどをやっていた。またピア晴海から見えるニッスイの大型倉庫の壁面には大きなロブスターのイラストが描かれていた。ちなみにピア晴海グッズのロブスターぬいぐるみ(全長35cm)は今でも元気にしている(笑)。

上記の海外海軍の表敬訪問でいえば、停泊中の外出許可をもらったであろう制服姿(水兵姿)の若い乗組員のグループと晴海通りを走る都バスに乗り合わせたことがある。

プラザ勝どきの間取りプラン集 1987

以前プラザ勝どきのパンフレットや賃料表を載せたが、今度は入居時にもらったプラザ勝どきプラン集が出てきた。住居だけでなくレストランやスポーツクラブの間取りが掲載されているのが興味深い。住んでいたのはA棟4階銀座サイドのワンルーム。

では1987年に戻りどの間取りでも選んで(2年間はタダで)住んで良いとなったらどれにしよう?

第一希望はA棟最上階の銀座サイド1K(Ⅲ)A-1402となる。使いにくいこと間違いなしだが25.4畳1/4円形ワンルームは面白すぎる。第二希望はやはりA棟最上階銀座サイドの2LDK(Ⅰ)A-1404,1405(Ⅱ)A-1406。間取りは普通だがリビングダイニングに珍しい吹き抜けトップライトがあって開放感と室内の明るさが最高だろう。現実的に3年目以降も住むなら第三希望はB棟2階~13階(なるべく上階)の角部屋1LDK(Ⅱ)B-0207,B-0329~1329。L字バルコニー付きで窓が2面にあり明るく眺めが良さそうだ。また廊下の端となるので廊下に面した窓が無い。

さてそれぞれの部屋の賃料は、A-1402¥230,000+管理費¥15,000、A-1404~1406¥180,000+管理費¥15,000、B-0207,B-0329~B1329¥122,000~¥126,000+管理費¥10,000となる。

プラザ勝どき解体 2025

先日勝どき駅前バス停から有楽町へ都バスで向かう際、プラザ勝どきへの通路が閉鎖されていた。プラザ勝どき解体・建て替えのニュースは知っていたがとうとう解体かと感慨深かった。

1987年末完成後から1995年までA棟4階のワンルームに住んでいた。1986年からラケットボールをするためにドゥ・スポーツプラザ晴海へ東銀座から送迎バスで通っていた(豊洲駅は未だ無い)。バスで勝鬨橋を渡るときに見える建築中のプラザ勝どきにある日入居者募集の垂れ幕が掛かり、引っ越し先を探していた私は立地に惹かれたのだった。当時勝どきに住んでいると言うと「人が住んでいるの?」と訊かれたような場所。

建築から40年経たないうちに解体とはずいぶん早く経済寿命が来たものだ。

入居前に室内やベランダからの風景を撮ったポラロイド(ノイズ除去済み)が出てきた。

キッチンは電熱ヒーター1台のみ。A棟は大型給湯器からの集中給湯で住居にガスが配管されていない。ガラスが田の字にはまっている白いドアを友人から「男女7人夏物語の扉」と命名されたが確かに似ている。当時流行っていたのだろう。

ベランダから勝鬨橋を見た画像には二葉亭(後のデニーズ)の屋根が写っている。視点は異なるが現在のストリートビューではニチレイとその横の倉庫が無くなりニチレイのビルになっている。築地市場の立体駐車場も無い。

ベランダから隅田川上流側を見た画像にはIBMビル(当時)、三角形の築地永谷コーポラス、明石町ポンプ所、つきじ 治作(料亭)が写っており皆現存する。画像右端のマンションは建て替わりその先に聖路加タワーが建つことになる。

プラザ勝どきの入居パンフレット 1987

1987年末、中央区勝どき橋のたもとに建ったプラザ勝どきに引っ越した。

現在デニーズが入っている場所には双葉亭というフォーマル寄りのフレンチレストラン、スポーツクラブNASの場所には勝どきウェルネスクラブというスポーツクラブがあり、そのクラブはバブル期だけあって入会時に数百万の保証金が必要かつ年齢制限(大人のみ)があった。

ここに住んでいた頃、田原俊彦主演のTVドラマロケに銀座で遭遇したり目の前の勝どき橋に屋台を置いてロケをしていた記憶があり検索してみたら、教師びんびん物語第4話にその屋台が登場しており背景に上記双葉亭の看板が映っていた。

当時、営団地下鉄有楽町線月島駅はまだ存在せず(開通は1988年6月)、都バスで銀座方面に出るか日比谷線築地駅まで歩くかいずれかだった。

プラザ勝どきの隅田川対岸や、勝どき橋を挟んだ向かいのたもとにはまだ倉庫が残り、晴海通り向かいにはゴルフ練習場!があった。パンフレットの航空写真に写っている。

西仲通りのもんじゃ焼きはすでに有名だったがもんじゃ店の数は今よりずっと少なく、魚屋、煎餅屋、味噌樽を並べた乾物屋等他の商店の方が多かったと思う。引っ越した当初、月島もんじゃ元祖と呼ばれる好美家さんに行ったことがある。

当時晴海団地晴海高層アパートは健在。2階建ての教習コースのコヤマドライビングスクールも現役。そして晴海には東京国際見本市会場があり、晴海団地沿いに左へ行けば豊洲の造船所があった。当時豊洲はIHIの企業城下町感が強かった。

プラザ勝どきのパンフレット 表紙・裏表紙

プラザ勝どきのパンフレット 1

プラザ勝どきのパンフレット 2
航空写真に注目!

プラザ勝どきのパンフレット 3

共益費

お申込みからご入居まで

プラザ勝どき 新築時の賃料表
賃料表 私が住んでいたのはワンルーム