「SC/MPによるマイコン入門」の雑誌記事 4 1978

「SC/MPによるマイコン入門」連載第4回(最終回)の記事。

改めて記事を読んでみると電子工作初心者向けに分かりやすくかつ製作上の注意点がしっかり押さえられており、自分が作る気になったのも納得である。当時、なんとかギリギリ理解できて手が届きそうな感覚だったと思う。

「SC/MPによるマイコン入門」の雑誌記事 2,3 1977

以前初めてのマイコンECOM-800は自作だった 1978で1977年10月号から1978年1月号まで月刊誌トランジスタ技術に掲載された「SC/MPによるマイコン入門」を読んで人生初のコンピューターを製作したことを書いた。

雑誌記事は1から4まで4回掲載されたのだが、そのうち2から4までの掲載誌が出てきた。1977年11月号と1977年12月号の記事を以下に載せる。47年前の記事である。

1970年代後半当時の個人で手に入れられるコンピューターに関しては「1970年代後半期におけるマイコン・キット製品 vs PC製品」という論文に詳しく解説されている。

COMKIT 8060に付属していた「APPLICATION FOR NIBL VOL.1」平綴じ冊子 1978

自分でNIBL BASICマシンを自作した話は先日書いたが、仕事でもアドテックシステムサイエンス製COMKIT80608061あるいは8062(搭載RAM量の違うモデルか?)を使用したレーザーディスプレーコントローラーを製作して1980年頃に新宿のディスコに納入したことがある。

そのCOMKITに付属していたのがAPPLICATION FOR NIBL VOL.1なるタイトルのB4用紙を横方向にホチキスで綴じた冊子。

NIBL BASICのプログラム24例と、未完の大作?!NIBL TREKが載っている。文章が全て手書きであることにまず驚くが、つまり日本語を扱えるPC・ワープロがまだ無かったということだ(正確にはこの年東芝が初の日本語ワープロJW-10を発売したが630万円した)。プログラムリストもプリンタ出力を切り張りした感じである。

APPLICATION FOR NIBL VOL.1.PDF

表紙

まえがきと目次

大越電機工業製作所の販売基板で製作したCRTターミナル 1979頃

NIBL BASIC ROMを買ったのは東急ハンズだった! 1978 の中で書いた自作CRTターミナルに使用した基板の資料が出てきた。

購入した基板と一緒に送られてきた回路図その他である。まず、コピーが青焼き。
大越電機工業製作所 雑誌広告
これはトラ技の広告原稿そのものと思われる。
左側の22,23,24番3枚の基板を購入した。
大越電機工業製作所のウェブページ
両面基板作成可能だがスルーホール無しというのはこの当時と同じ。ガーバーデータ受付なし、短期間作成も不可と我が道を行ってます。
あれ?更新日2008年6月1日で「現在、受注を中止しております」だって?
(22)CRTディスプレーキャラクター用基板
大越電機工業製作所 CRTディスプレーキャラクター用基板回路図
22ptn2.jpg

(23)CRTディスプレーコントロール用基板
大越電機工業製作所 CRTディスプレーコントロール用基板回路図
23ptn.jpg

(24)UART・エンコーダー・フルキー用基板 および22,23,24基板間接続図
大越電機工業製作所 CRTディスプレーUART・エンコーダー・フルキー用基板回路図
connect.jpg
keyptn.jpg

これが変な並びのキーボード(当時書いた配置図)。
うーん(笑)。
基板だけ買ってよく動いたものである。
確かパターン修正しないと動かなかった記憶もあるし。。。

2013年9月23日

NIBL BASIC ROMを買ったのは東急ハンズだった! 1978

1月の「初めてのマイコンECOM-800は自作だった 1978」で以下のように書いた。

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このあと、SC/MP-IIを使いROMで売られていたNIBL BASICを買って回路を組み、シリアルポートに自作のキャラクタディスプレーターミナル(トラ技の後ろのページに載ってた自作用基板+ジャンクの電卓キーをばらして組んだキーボード+ビデオ出力)を接続してビデオモニタに40*25キャラクター表示させてBASICをプログラムできるようにした。
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このターミナルの写真が出てきた。 以下画像クリックで拡大。

自作CRTターミナル

うしてわざわざ電卓キーなんかばらしてキーボードを作るのか今考えれば不思議だが、当時、コンピューター用キーボード(PCはまだ存在しない)は高価だったしPS2コネクタみたいな統一規格もなかったからである。
それによく見るとこのキーボード、並びがすごく変である。アルファベットは問題ないが、カナがキーボード最上段左からアイウエオカキクケ..と並んでいて、じゃ2段目もそうやって続いているのかというとバラバラだ。
電卓キーに合わせて自分でも少し入れ替えたかもしれないけど、このターミナル基板はキーボードマトリクスでキーを読み込んでいたはずだから、このターミナル基板の設計がそうなっていたのだろう。
いずれにせよNIBL BASICではカナは使えなかったので問題なかったのだが(笑)。
さてそのNIBL BASIC ROMを買った時の領収書が出てきた。
NIBL BASIC ROM 東急ハンズ領収書な、なんと東急ハンズで買っていた。
1978年11月26日。
てっきりアキバのロビン電子とかで買ったものとばかり思っていた。
なんでまたハンズで買ったのだろう。
すっかり忘れているが無理やりこじつけてみると。。。
考えてみれば当時個人が買えるような価格のパソコンというものは存在せず、アマチュアが買えるのはCPUメーカーの出していた自社CPUチップの売り込み用評価用キット類(あるいは自作)しかなかった時代。
まぁ、いうなればアマチュアにとってはDIYホビーだったわけで、となれば東急ハンズにマイコンコーナーがあっても不思議ではなかったかな?と。
いまなら大人の科学マガジンといったところか。
しかしTinyBASIC入りのROMが1個¥24,000、よく買ったなぁ(笑)。

2011年8月18日

初めてのマイコンECOM-800は自作だった 1978

雑誌トランジスタ技術1977年10月号~1978年1月号に「◎マイコンピューターをつくろう SC/MPによるマイコン入門」という製作記事が掲載された。当時大学の映画学科の学生だった私はこの記事を見て作ってみたくなり、1978年初め頃ほぼ記事と同じ形で製作したのだった。アキバでパーツを買い集め、生まれて初めて多数の半田付けをどうにかこなして大きなトラブルもなく、マイコンは無事動いた。当時パソコンという言葉はまだなくて、マイクロコンピューターと「私の」をかけてマイコンと言っていたと思う。

SC/MP-II 8ビットCPUにメモリ256バイト、モニタROMもキーボードもなくアドレスとデータそれぞれ8個のトグルスイッチでプログラムを2進入力、出力表示も8個のLEDというものだった。とはいえこれをいじったおかげでコンピューターのなんたるかを直感的に理解できたと思う。ついでに2進-16進変換もそらでできるようになったし(笑)。
このあと、SC/MP-IIを使いROMで売られていたNIBL BASICを買って回路を組み、シリアルポートに自作のキャラクタディスプレーターミナル(トラ技の後ろのページに載ってた自作用基板+ジャンクの電卓キーをばらして組んだキーボード+ビデオ出力)を接続してビデオモニタに40*25キャラクター表示させてBASICをプログラムできるようにした。
そのあとシャープ製SM-B-80Tシリーズを買ってグラフィクスプログラミングをしたり、アメリカから通販で買ったCP/M用ボードにジャンクの8インチ(ベルトドライブ!)フロッピィドライブをつなげたり、APPLEIIコピー機(非合法!)に純正のフロッピィードライブ(カムドライブ!)をつなげたり、白黒MACを買ったり、PC-8001でプログラムしたり(順番がごちゃごちゃですね)して結局PC-9801シリーズへ収束したのだった。
話を戻して、そもそも映画学科の学生だった私がどうしてマイコンを作ろうと思ったかといえば、当時学校でスライドによるマルチディスプレーシステムをいじくっていて、これは1画面あたり2台のスライドプロジェクターを使って4画面とか8画面とかのディスプレーをするもの。1画面あたり2台あるので交互にフラッシュさせたりフェード出来たりした。この後キューブ状のCRTを積んで表示するシステムへ変わっていくわけだが、スライドも1990年くらいまでは使われていた。で、このコントローラーが紙テープを読み込んで動作するものだったのである。紙テープに動作を時間軸に沿ってパンチ穴でプログラミングしてコントローラーの紙テープリーダーにかけると、時間に沿ってプログラムを読み込みプロジェクターをコントロールする。

これをマイコンで出来ないかと思ったのがきっかけだったような気がする。きっとそういう製品もあったと思うけど。

さて、マイコンを作ったことがこのあと私の進路を決めることになろうとは。。。

2011年1月18日