「SC/MPによるマイコン入門」連載第4回(最終回)の記事。
改めて記事を読んでみると電子工作初心者向けに分かりやすくかつ製作上の注意点がしっかり押さえられており、自分が作る気になったのも納得である。当時、なんとかギリギリ理解できて手が届きそうな感覚だったと思う。
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「SC/MPによるマイコン入門」連載第4回(最終回)の記事。
改めて記事を読んでみると電子工作初心者向けに分かりやすくかつ製作上の注意点がしっかり押さえられており、自分が作る気になったのも納得である。当時、なんとかギリギリ理解できて手が届きそうな感覚だったと思う。
1979年から1980年にかけてシャープ製のZ80ボードコンピューターSM-B-80Tに256*256ドットのモノクログラフィクスボードを追加したセット(このページ内下部のTVとキーボードが接続されている画像)を使って3Dワイヤフレームグラフィックを作成した。
その際Z80で作動するsubLOGIC社製3D グラフィクスパッケージ(ソフトウェア)を購入し使用していた。どうやって購入したのかすっかり忘れたが直接メーカーに発注したかもしれない。そして送られてきたのが紙テープ!とダンプリスト!とマニュアルである。あいにく(笑)紙テープリーダーを持っていなかったのでダンプリストを手で打ち込んだ。
ダンプリストのプリントを発掘したので一部を載せる。マニュアルと、この3D グラフィクスパッケージで作成したアニメーション(リアルタイムで動かせるパワーは無かったので画面を8mmカメラでコマ撮り)の8mmフィルムが発掘出来たらまた載せたいと思う。
8080/Z 80 グラフィックス ユーザー様、
8080/Z80 3D グラフィックス パッケージに関して、明確にしておく必要がある点が 2 つあります。
まず、現在 8080 アセンブリ言語で記述されたプログラムは 1 つしかありません。
専用の Z 80 プログラムは記述されていません。当初は 2 つのバージョンがある予定でしたが、新しい Z 80 命令ではプログラムの実行時間が実際には短縮されないことが判明しました。算術シフトなどの新しい命令によってプログラムが高速化されると期待されていましたが、実際にはメモリ領域が節約されただけでした。
たとえば、算術右シフトでは、8080 命令の組み合わせ「RLC、RAR、RAR」の場合 3 バイトのメモリが必要ですが、実行には Z 80 命令で 23 クロック、8080 マクロで 12 クロックしかかかりません。したがって、3DG80.V02 プログラムは 3DGZ8.VOI プログラムと同じであり、配布されるのは 1 つのテープとリストのみです。
2 つ目のポイントは、実際には 3D マニュアルの更新です。一部の 8080/Z80 3D グラフィックス マニュアルでは、35 ページが 31 ページと 32 ページの間にまとめられています。このページは、もちろん間違った場所にあるため、MATROX インターフェイス プログラム全体を読むには、数ページ前 (または前) に移動する必要があります。また、37 ページでは、いくつかのコード セクションが入れ替わっており、行 70 ~ 7F が完全に欠落しています。添付の 37 ページの代替ページにより、このエラーが修正されます。この代替ページは、元の 37 ページを完全に置き換えます。
これらのエラーによりご不便をおかけしたことをお詫び申し上げます。弊社のソフトウェアに関するご意見や修正があれば、ぜひお寄せください。
ポラビジョンのカタログをやっと発掘した。アメリカで発売されたのは1977年だがこのカタログには昭和53年10月1日と記載されているので、日本で発売されたのは1978年だったのだろう。
もしポラビジョンに音声も入って、ポラビジョンプレーヤーの光学系を切り替えると壁面投影も出来て、フォトテープカセットが簡単に開けられて既存のサウンド8mm映写機でそのまま上映可能だったら。。。
てっきり同時期に出たと思っていたポラクローム(35mmインスタントリバーサルフィルム)はこちらによれば1983年発売で2002年までは製造されていたとのこと。
自分でNIBL BASICマシンを自作した話は先日書いたが、仕事でもアドテックシステムサイエンス製COMKIT8060、8061あるいは8062(搭載RAM量の違うモデルか?)を使用したレーザーディスプレーコントローラーを製作して1980年頃に新宿のディスコに納入したことがある。
そのCOMKITに付属していたのがAPPLICATION FOR NIBL VOL.1なるタイトルのB4用紙を横方向にホチキスで綴じた冊子。
NIBL BASICのプログラム24例と、未完の大作?!NIBL TREKが載っている。文章が全て手書きであることにまず驚くが、つまり日本語を扱えるPC・ワープロがまだ無かったということだ(正確にはこの年東芝が初の日本語ワープロJW-10を発売したが630万円した)。プログラムリストもプリンタ出力を切り張りした感じである。
1978年10月から、池袋サンシャインシティのプラネタリウムドームでレザリアムが公開された。
2014年3月8日
KBS レザリアムセンターは1978年3月19日に公演終了となり、同年10月から東京池袋サンシャインシティで公開されることになる。
2014年3月8日
1月の「初めてのマイコンECOM-800は自作だった 1978」で以下のように書いた。
2011年8月18日
The Beeの(当時私は店長と思っていた)プロデューサーは岡田大貮氏、30年以上ぶりに拝見しとても懐かしい。
たまに貸切イベントが開かれることがあり、今でいうショーケースライブのようなライブが行われることもあった。ファッション系イベントのときトイレに行ったら隣に三宅一生氏がいたなんてことも。
TV・雑誌の取材もたまにあり、TV取材では「独占!女の60分」や「出没!!おもしろマップ」など。「女の60分」はレポーター役の女性がレーザーのオペレーションをするという企画だったのを覚えている。
店が終わるのは夜中3時過ぎ、バイトのウエィターさんは始発まで待っていたようだが私はなんと毎日タクシーで帰っていた。片道3000円くらいだろうか?半年以上それを続けていたのだ。DJに「近くに部屋借りたほうが安いよ」といわれたがもっともである。
2011年1月21日