ピア晴海 1991

1991年8月中央区晴海にシーフードレストラン「ピア晴海」がオープンした。

このブログの「晴海運河(晴海埠頭)の北側にあったのは…?」に当時のイラストマップがあり、以下のgoogleマップの晴海臨海公園水辺のテラスからザ・パークハウス晴海タワーズ クロノレジデンス建物にかかる位の敷地にあった。

当時勝どきのプラザ勝どきに住んでいたので近く、週末はたまに食事に行っていた。店内にはジャズが流れ食事は和洋中幅広くどれもおいしく自分たちの食事の締めはパエリアが多かった。電子端末で注文を取りに来るアルバイトのせいだったか分からないが、残念なことに注文が通っていなかった事が数回あった。この店の目玉は生け簀にいる(はさみをゴムバンドで閉じられた)ロブスター。総じて食事の注文まではファミレス並だったが料理はシェフがちゃんと調理している印象だった。

店内には貸し切りの部屋もあり結婚式の2次会を見たことがある。店の横に魚介類を直送してきたらしい九州からの大型トラックが駐まっていたりした。当時晴海埠頭には大型船が入港でき海外の海軍が表敬訪問することもあり、いつぞやは確かフランスのミサイル巡洋艦の四角いミサイルランチャーを見ながら食事するというシュールな経験をしたことがある。ホテル浦島の裏からピア晴海に向かう途中にはまだ部分的に貨物の引き込み線が残り、手前にあった小ぶりなHARUMIドーム21ではプロレスイベントなどをやっていた。またピア晴海から見えるニッスイの大型倉庫の壁面には大きなロブスターのイラストが描かれていた。ちなみにピア晴海グッズのロブスターぬいぐるみ(全長35cm)は今でも元気にしている(笑)。

上記の海外海軍の表敬訪問でいえば、停泊中の外出許可をもらったであろう制服姿(水兵姿)の若い乗組員のグループと晴海通りを走る都バスに乗り合わせたことがある。

LMD-649の製作 残った謎 1981

LMD-649の製作 2で、使用したラッピング基板がエブレンE-PAXⅡ MODEL420/HC28Eと推測したが基板サイズは125×220mm、ところがメモリボードの基板サイズは115×215mmで幅が10mm違い同じカードケージに普通には入らない。E-PAXⅡに幅115mmの基板があったのか?(10mm違いで販売する?) あるいは125mm幅のカードケージに何か工夫して115mm幅のメモリボードを入れたのか?(画像では普通にスロットに入っているようだが?) またメモリボードのコネクタは44pin(片面22pinずつ)でE-PAXⅡのコネクタが何pinだったのか分からない。コネクタバスは基板では無く手配線だったのでピン数が違っても問題は無かったが、カードケージへのコネクタ取付が問題となるだろう。

またカードケージの中間になにか仕切り?の様な物が見えるがこれが何だったのかも分からない。謎が残る。

LMD-649の製作 2 1981

「LMD-649の製作」を載せてから15年も経過してしまったが制御の中心であるコントロールユニット(ロジック)について少し詳しく書いておこうと思う。雑誌「ロッキンf」 1982年3月号の記事中この図のオレンジ色の部分であり、

LMD-649 BLOCK DIAGRAM

記事中の以下の画像でカードスロットから抜かれて本体ケースの上に置かれたボード(オレンジ色)がそれである。

LMD-649 本体内部

ボードは2枚重ねで固定されており、おそらく1枚では回路が入りきらず44ピンのバスに含まれない接続が必要でこの形になったのだろう。ボードに接続されているフラットケーブルは操作パネルのスイッチ類と7セグLEDに繋がっている。

ボードはエブレン製のラッピング用ユニバーサルボードである。当時自作ボードはラッピング配線をしていた。ラッピング配線をする場合、IC取付側表面にあらかじめラッピングピンが立っているエブレン製ボードを使うか、通常のユニバーサルボードにラッピング用ICソケットを取り付けボード裏面でラッピング配線をするかのどちらかだった。表面で配線すればピン番号が分かりやすく、裏面で配線すればICをよけることなく直線最短距離で配線できた。

このボードの資料がないか「◎マイコンピューターをつくろう SC/MPによるマイコン入門」が載っている1978年1月号のトランジスタ技術を探したら広告が載っていた。LMD-649に使用していたのはこのE-PACSⅡである。ボードサイズから推測するとMODEL420/HC28Eで当時¥4,000!仕事だから使えたがアマチュアが趣味で使える値段ではなかったようだ。

このころはAC電源のトルクのあるラッピングツールを使っていたが、ラッピング用ビットは確か3段階にわたって進化したと記憶している。1.最初は線材のラッピングに必要な長さ分の被覆をストリッパーで剥きビットに差し込んでラッピング、2.次にCSMW(Cut&Strip Modified Wire Wrap)用ビットCSMW用線材を使い被覆のままビットに差し込みラッピングすると巻き付く部分だけビットが自動で被覆を剥いてくれる様になり(ジュンフロンETFE電線!思い出した)、3.最後はまた線材の被覆が変わり被覆のまま巻き付けるとラッピングピンの角の部分だけ被覆が裂けて導通する、だと思っていたのだが・・・3が検索で出なかったので同じく上記のトラ技を探したらこんな広告があった。

ポストに線材を巻き付けるときにポスト面内側の被覆を裂きながら巻き付けるアイデア。まず手巻きはしなかったのとこれ専用の電動工具や線材を使った記憶が無いので、自分では使っていなかったようだ。このSLIT WRAPが自分が記憶していたつもりの3に該当するかは分からない。

「ロッキンf」 1982年3月号の別なページの以下の画像だとボードは8枚挿さっており、フラットケーブルコネクタのあるコントロールユニット以外にも右から3枚目と左から2枚目がラッピング基板のようだが何だったか忘れている。確かなのは右端のカード抜き取りレバーの付いている基板2枚はメモリボード、1枚飛んでフラットケーブルコネクタのある基板2枚がコントロールユニット、その左の四角いパーツが載っている基板がA/D,D/A基板なことだ。

LMD-649 カラー画像

上記のトラ技にこんな広告もあった。LMD-649に使用したデジタルスイッチである。1桁単位で必要な桁数分スイッチ同士をパチンパチンとはめ込んでいき、仕上げに左右のエプロン部分を取り付けて完成。

次にコントロールユニットの実際の回路構成や信号のタイミングについて述べたい。コントロールユニットは74LSTTLで組まれており基本は以下の図のプリセットカウンタ(加算器)とコンパレーター(比較器)である。図は簡素化されており実際は複数のロジックICが必要となる。

LMD-649 基本回路図

まず音をサンプリング(録音)する時はカウンタクリアでアドレスを0にし次にカウンタクロックでアドレスを1つずつ増やしながら入力されたA/Dからのデータをメモリに書き込み、コンパレーターは無視しカウンタのキャリーアウト(アドレスがFFFFHすなわち最終アドレス)でカウンタとメモリ書き込みを止める。

音源を再生するときはカウンタセットでスタートアドレスを16進デジタルスイッチから読み込みセットしそのアドレスからカウンタクロックでアドレスを1つずつ増やしながらメモリ上のデータをD/Aに渡して音を出力し、16進デジタルスイッチのエンドアドレスとコンパレーターで比較しつつ一致出力が出たらカウンタとD/A出力を止める。

以上の動作をロジックのタイミングで見たのが以下の図である。

LMD-649 ロジックタイミング

LMD-649はこの1台しか製作されず終わったのだが、もし改良するチャンスがあったらどうしていたか? 当時も少し考えたが音源の始点終点の指定が16進デジタルスイッチ、表示が16進7セグLEDというのは原理的過ぎる。そこでスイッチをロータリーエンコーダー(インクリメンタルエンコーダー)にし表示は16進から10進に変換して表示することにして、始点と終点の2つの円形ダイヤルをグルグル回すことで前後させればより使いやすくはなったろう。以下のようなイメージだ。

それと「逆転再生」スイッチの追加。これはカウンタ周りの回路変更が必要となる。プリセット可能なアップダウンカウンタを使用しかつスタート/エンドアドレスを逆にセットしなければならない。

また全くの他力本願だがメモリは16ビット分積んでいたので、もし14ビットや16ビットのA/D,D/A入出力基板が出来ればすぐに挿し代えて使えただろう。

とはいえ改良となれば当然音源・始終点のセーブ、ロードは必須となったであろうし音源の波形も見てみたい。それだったらこの後製作することになるLINDAシステムのようにPCに繋げるか、いっそPC-9801に挿すボードにしてしまう(オレンジがそうなったように)という方向だっただろうか。いずれにせよサンプラー製品(サンプリングキーボード)がどんどん出てきてしまうのだからわずかな期間しか優位に立てなかったろう。

LMD-649は歴史に埋もれて忘れ去られていても不思議でなく、偶然のタイミングでYMOのアルバムに使用されその経緯と音が残ったのは幸運だったとしか言いようがない。

浅草松屋 クルクルロケット2 1952

以前、浅草松屋屋上にあったクルクルロケットについて載せた。その投稿の5年後2021年浅草松屋は開店90年を迎え、松屋浅草公式Facebookが昔懐かしい写真を多く載せていてその中にクルクルロケットの写真があった。

DAHON Deftar フェイスカット作業にペダル・チェーン・スプロケット交換 2025

購入から走行距離が3000kmに近づきつつある12月にペダルを踏み込むとカチカチ音と軽いショックを感じるようになった。オリジナルのMKS ( 三ヶ島製作所 )脱着式ペダルにガタが来たのかと思いアマゾンでMKSのプロムナード イージー [PROMENADE Ezy] を買ったらオリジナルのペダルと全く同じ物。自分で付け替えてみたがカチカチ音は消えず。

ショップで診てもらったところボトムブラケット周辺の問題がありフェイスカット作業で解決したとのこと。確かにカチカチ音は消えペダルの踏み込みも軽くなったように感じる。

今回チェーン交換をした方が良いかと思っていたらリアスプロケットも摩耗していて両方を交換してもらった。またリアディレーラーに当たった痕があり保護するためのプロテクターを勧められ取り付けてみた。元はリアディレーラー側にクイックレバーが付いていたが折りたたむ内側にクイックレバーを付け替えても大丈夫だったので問題なし。

とここまでやって、全て解決かと思っていたら今でもごくたまにペダルを踏み込むとカチンと鳴ることがありこれはどうやら新しいペダルからのようだ。グリス塗布とかで収まるだろうか?

浅草寺五重塔に上ってみた 9 2025

今年も12月8日に回向法要と牌殿参拝のため浅草寺五重塔院へお参りし、聖仏舎利参拝へ五重塔に上ってきた。12月4日に浅草寺伝法院庭園の公開と絵馬堂の拝観に来たばかりでこの後も毎年浅草寺歳の市へ行って干支の羽子板を買っている。

名勝 伝法院庭園/絵馬堂 特別拝観 2025

2025年12月4日、浅草寺伝法院庭園の公開と絵馬堂の拝観に行ってきた。毎年五重塔院の窓から庭園を観ているが庭園内に入るのは初めて。庭園内建物の大規模修繕中で残念ながら回遊式庭園の半周位しか歩けなかった。とはいえ庭園内の茶室を間近から観られたり池に映った逆さ五重塔を観られたのが良かった。天候もポカポカで散策日和。

絵馬堂は建物を正面から観るのも入るのも初めて。多くの巨大な絵馬の展示に圧倒され、そしてよくぞ関東大震災や東京大空襲をくぐり抜けて来たと感心した。

また明治期に作られた本堂裏の噴水に立っていた高村光雲作の龍神像の実物が展示されており浅草寺境内のお水舎にはそのレプリカがまつられていることを初めて知った。本堂や五重塔に使われているチタン製瓦も以前の瓦と並べて手に取れる状態で展示されていて想像より厚みが薄く(2mm位?)とても軽いのを実感できた。

絵馬堂で図録がないか訊いたところ「浅草寺の絵馬」という図録を浅草寺本堂内の御守授与所で買う事ができた。

映画『交通.通信機関の今昔』に観る東武隅田川橋梁、浅草寺と浅草松屋屋上 航空艇 1932

国立映画アーカイブ 『交通.通信機関の今昔1932年(昭和7年)に東武スカイツリーライン隅田川橋梁と周辺の興味深い風景、浅草松屋屋上のロープウェー航空艇が写っていた。

隅田川橋梁東武浅草駅浅草松屋が完成・開業したのはこの映画前年の1931年(昭和6年)である。

橋梁や架線柱の特徴ですぐに隅田川橋梁だと分かる(12:43~)。右奥に見えるモダンな建物は1930年(昭和5年)に建てられた復興小学校浅草小学校

東武浅草駅名物の大カーブに差し掛かると何と浅草寺が見え、周囲に高い建物が無かったことが分かる。しかも撮影時浅草寺本堂は大営繕中で仮覆い屋根で覆われているという大変珍しい動画となっている。営繕後の空中写真が浅草寺のこちらのページに載っている。

2009年(平成21年)から2010年(平成22年)にかけて行われた「平成本堂大営繕」と同じような仮覆い屋根がこの映画撮影時から1933年(昭和8年)まで浅草寺本堂を覆っていたのだ。

しかしながらこの映画から13年後の1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で仁王門・五重塔・本堂共に全焼してしまう。仁王門は1964年(昭和39年)の再建時に宝蔵門と改称された。

大カーブを抜けつつ電車は浅草駅構内へと入っていく。現在と異なりホームが建物内部に収まっているのが分かる。4両編成位だったのだろうか?

これほど高精細に写っている航空艇の動画は初めて観た(15:23~)。映画内では「エーア カー」と紹介されている。動画から判断すると三線交走式普通索道のようだが何だか支索(鉄道でいうレールに相当)がずいぶん緩く張られているように見える。搬器のキャリアが支柱をヨッコラショと乗り越えている。が、キャリアが乗り越える支索サドルもシーソーのように動いて追従しているのでこういう設計なのだろう。

交通.通信機関の今昔』にはこの他にも箱根登山電車(14:07~)や箱根登山ケーブルカー(14:39~)他が写っていて当時を知ることが出来る。

昔使っていたPCの写真 1980前後

昔使っていたPC(マイコン)の写真が出てきた。

これは1979年頃の自宅の写真(白黒ポラロイド)。右側は自作NIBL BASICマシンに接続した自作CRTターミナル。ビデオモニタでは無くTV2chで接続していたようだ。NIBL BASICマシン本体はどれか分からない。

左側には後に3DCGアニメーションを作成することになるシャープSM-B-80Tのメインボードと中央手前の黒い専用キーボードが写っている。その奥に自作した風の10キーらしき物が写っているが何に使っていたか不明。

これは1980年頃。NIBLマシンは姿を消しシャープSM-B-80TにSM-B-80T/GT(グラフィクスボード)を接続しSM-B-80T/GT用フルキーボードとビデオモニタが写っている。ボード本体は背後のケースに入れたようだ。

モニタ画面に表示されているのはsubLOGIC社製3D グラフィクスパッケージ(ソフトウェア)を使った3Dワイヤフレーム。以下の写真も同様。これらの画像を8mmフィルムカメラでコマ撮りし3DCGアニメーションを作成した。

これはシャープSM-B-80Tの後に手に入れたAPPLEⅡ違法コピー機と純正フロッピーディスク diskⅡ。10キーとジョイスティックが一体になったコントローラーをつなげており、こちらでも3Dワイヤフレームを表示させている。このdiskⅡの構造が単純で面白くヘッドの移動はらせん状の溝を持った円盤をステッピングモーターで回すだけであり、らせん状の溝にかんだヘッドが平行移動する仕掛け。

こちらのページこの画像でdiskⅡの構造がよく分かる。感謝。

この写真は仕事場で撮っており1984.7.27の日付が入っている。Z80 CP/Mマシン SANYO MBC-200について以前載せたがその1年後位、本体は写っていないがおそらく初代NEC PC-9801と並んで置いてある。この時点で使用していたか不明だがPC-9801にはカノープス製Z80ボードを取り付けZ80の開発環境をMBC-200からPC-9801上のZ80へ移行させていった。写真左端に写る赤いのはCPUの足を挟んでロジックアナライザに接続するクリップだろう。

シャープSHARPマイクロコンピュータSM-B-80Tシリーズのカタログ 1980

8ビットCPUで作成したCGアニメーション 1980で使用したシャープ製ボードコンピューターSM-B-80Tシリーズのカタログが出てきた。

立派なフルキーボード、各種拡張ボードやユニバーサルボードまで用意されている。にもかかわらずこちらのページにもあるようにちゃんとしたカードケージもケースも無いのが不思議である。