千代田区立一橋中学校 1971年卒業アルバムから生徒住所録をデータ化してみた 1971

私は1968年、東京都千代田区立一橋中学校に台東区から越境入学し通っていた。1967年に学校群制度が始まり親や教育関係者にとっては大変な時期だったろうと想像するが、私自身は受験があるわけでも無く気楽に親が勧めるから入学したといったところだったと思う。当時越境入学者の多くは都立11群を目指していたのではないだろうか。

当時千代田区には区立中学校が今川、麹町、九段、一橋、錬成の5校あった。

区立中学校でありながら進学校であり40名ぐらいのクラスに女子が8~10名であったり色々ユニークなエピソードをこのブログに載せようと思い当時の生徒手帳や卒業アルバムを見ていた。ふと学区内通学者と学区外(越境)通学者の比率はどうだったのだろうと自分のクラスの名簿に目をやると、学区内男子10名、学区外男子22名、学区内女子4名 、学区外女子5名だった。

女子の学区内外比率が私には全く意外だった。クラスに女子が8~10名しかいないのは皆学区内からしか通っていないせいだろうと大変申し訳ないことに55年間誤解していた。思い返せば2017年に開かれた還暦同窓会で同じクラスの女性から「学区内の女子には、その気もないのに進学校に通わされるのは嫌だと私立中に行く人もいた」と聞いたことがあった。学区内だけだったらクラスに女子が4~5人だった。

ここで学年の全体像を知りたい欲求がムクムクと湧き上がり、卒業アルバムの生徒住所録をExcelに落とし込んでみた結果が以下のグラフである。ちなみにクラス数は10クラス、卒業生は420名。

千葉県市川市の生徒が多く、各クラスに4人いる計算だ。友人も市川在住だった。最も遠いのは神奈川県厚木市で当時通学にどれだけ時間がかかったのだろう?

参考にされる方がいらっしゃるか分からないが今回卒業アルバムからExcelデータに変換した手順を簡単に説明すると、

1.住所録をスキャナーでスキャンする。

2.スキャンした画像データをグラフィックソフトで斜め補正・切り抜き・整形。

3. 画像データをGoogleドライブにアップロードしGoogleドライブのOCR機能で文書化。

4.文書化したデータをWordで修正、整形、Web文書として保存。

5.Web文書をExcelで開き集計してグラフ作成。

30年スライダー3つの位置関係 2026

佃・湊・明石町・築地・月島・勝どき・豊海・晴海・豊洲を含む、3つの30年スライダー(1989年と2019年を行き来できる画像スライダー)を載せてきたので、各スライダーの位置関係を1つの画像にまとめてみた。

勝どき・豊海・晴海・豊洲 1989年から2019年まで30年間の変化が一目で分かる時間スライダー 1989 2019

今までの30年スライダーに含まれない勝どき・豊海・晴海・豊洲の国土地理院空中写真(航空写真)から30年スライダーを作成してみた。2019年の空中写真は1989年版と1枚で重なる画像が無かったためCKT20191-C28-90とCKT20191-C29-85をつなぎ合わせている。

今回の画像で気付かされたこと(1)1989年、晴海団地横の東京都港湾局専用線ヤード(操車場)跡は2019年で空き地となり2026現在のgoogleマップでも駐車場などで建物は建っていない(2)1989年の晴海団地には晴海団地高層アパートが健在(3)1989年、豊洲の東京ガス工場から埋め立て地の先へ向かったところに旧ガスの科学館(1986~2006)があったこと、これはYouTubeの旧ガスの科学館で撮影された動画から分かった。

こちらのスライダー(外部リンク)は画像拡大できるので細部が確認可能。

勝どき・月島・佃・湊・明石町・築地 1989年から2019年まで30年間の変化が一目で分かる時間スライダー 1989 2019

豊洲の30年スライダーに続き、今回は勝どきから佃にかけての国土地理院空中写真(航空写真)から30年スライダーを作成してみた。地域はかなり広くなり勝どき・月島・佃・湊・明石町・築地が含まれる。

1989年隅田川の中央大橋と築地大橋は未だ架かっておらず、佃大橋から晴海方面へ向かい朝潮運河を渡る朝潮大橋は架橋工事中。佃と越中島をつなぐ相生橋も1926年完成の古い橋で、橋の架け替えのための仮橋架橋工事が始まっている。

こちらのスライダー(外部リンク)は画像拡大できるので細部が確認可能。

豊洲 1989年から2019年まで30年間の変化が一目で分かる時間スライダー 1989 2019

国土地理院の1989年と2019年の空中写真(航空写真)の向きとサイズを重ね合わせ、豊洲の30年間を移動できる画像スライダーを作成してみた。

東京都江東区豊洲に初めて訪れたのは1986年、ドゥ・スポーツプラザ晴海ラケットボールスクールに通い始めた時。「晴海」の看板は偽りありだが当時豊洲と言ってもおそらく場所が分かりにくく、知られた「晴海」と名付けたのだろう。未だ有楽町線は豊洲まで伸びておらず東銀座から送迎バスが出ていた。1987年末にプラザ勝どきに引っ越してからは月島駅が開業するまで都バスで通っていたと思う。

当時IHIの造船所は現役で高さ5m位はあろうかというコンクリート塀に厳重に囲われており、豊洲はIHIの企業城下町感があった。

1989年の画像を見ると工場や倉庫(+何かの貯蔵タンク)が多く、東京都港湾局専用線の線路・線路跡が残り豊洲運河に架かる鉄道橋、豊洲橋梁も残っている。2019年にはマンション・タワーマンション、オフィスビルに埋め尽くされているのが分かる。2026年現在、結婚式場アニヴェルセル豊洲等はすでに建て替わり変化の早さを感じられる。

こちらのスライダー(外部リンク)は画像拡大できるので細部が確認可能。

西仲通りにあったスーパー 1990

「勝どき・月島の思い出」の中で「西仲通りに小さなスーパーがあったような気もするがよく覚えていない。」と書いたが、以前にもリンクさせていただいた「昭和回顧録 建築編」「セイフー、池本酒店/月島3丁目」のタイトルでセイフー月島店の画像があった。思い出させていただいて感謝。

現在の様子をストリートビューで見たのが以下の画像。スーパーはダイエー月島店になっている。

プラザ勝どきは解体を免れたが 2026

プラザ勝どきの建て替え計画が変更されリノベーションということになった。

乾汽船 2026年4月~2029年3月 中期経営計画 ~明日も元気~ 内の「3つのセグメント ③不動産事業」の資料を見るをクリックでプレゼン資料が表示される。

個人的にはリノベーションによってプラザ勝どき屋上の奇妙な三日月オブジェが無くなってくれたら良いと思う。がしかし、上記の~明日も元気~内でプラザ勝どきを突然「PK」リノベーション後を「PK2」と称するのを見るに、その思いとは逆に三日月オブジェのセンスが建物全体に広がって奇妙な加飾で覆われてしまわないか心配である。

勝鬨橋の思い出

◎勝鬨橋開閉部分の歩道は木の板張りだった

勝鬨橋の最初の思い出は小学生時代に父親と一緒に晴海の東京国際見本市会場での東京モーターショーを観に行った帰り、晴海から歩いてきて勝鬨橋を渡った橋のたもとにあった水上バス乗り場(現在の東京湾ボートシーバスガイド乗船場あたり)から船に乗り浅草まで帰った時のことである。おそらく1966か67年、勝鬨橋が開閉し都電が通っていた頃。よく覚えているのは開閉部分の歩道がおそらく軽量化のためか木の板張りだったことだ。もちろん充分な強度であったろうが木の節穴から水面が見えて怖かった。

◎早朝のコミケ参加者

次は1987年末にプラザ勝どきに引っ越してから、晴海でコミックマーケット(コミケ)が開催される日の早朝、銀座方面から勝鬨橋を歩いてくる多くの参加者がいたことだ。

◎帰って行く花火の台船

同じくプラザ勝どき時代、隅田川花火大会第二会場すぐ近くのマンションリポ駒形(現存せず)に親戚が住んでいて毎年屋上(このブログのナショナルの看板の立っている場所)から花火を観ていた(風向きによっては花火の燃えかすが降ってくるような近さ)。花火大会は土曜日の夜行われ、翌日曜日花火打ち上げの台船がタグボートに引かれて勝鬨橋をくぐり東京湾方面へ向かうのを橋の上から何回か見かけたことがある。

ちなみに晴海の東京モーターショーは何回か行っていてよく覚えているのは見本市会場南館の前の池で水陸両用車アンフィカーのデモ走行(航行?)を行っていたことと、スズキジムニーが登場したとき屋外に鉄骨で急登坂路の周回コースを作りデモ走行を行っていたことだ。

プラザ勝どき周辺の空中写真 1992

「ピア晴海の空中写真 1992」に載せた1992年10月10日に撮影された国土地理院CKT921-C10-37の中に「勝どき・月島の思い出 1990」で書いた勝どき1丁目も写っていた。以下に角度は異なるがGoogleマップの勝どき1丁目の画像と並べてみる。

1992年10月にはすでにイヌイビル・カチドキが建っている。また中央区立月島第二小学校の建物もプラザ勝どきパンフレットの1986年頃の航空写真と異なり建て替わっていることが分かる。小学校Webページによれば1990年に建て替わったようだ。古い小学校は晴海通り側の校舎の窓が騒音対策のためか全てガラスブロックで塞がれていたのが印象的だった。これも国土地理院のサイトではより高解像度の写真が見られ飲み屋街や銭湯の建物もよりはっきり分かる。

この銭湯についてブログ「昭和回顧録 建築編」内の月島浴場/勝どき1丁目に詳しく書かれていた。なんと昭和2年に東京市によって建てられたモダン建築の公衆浴場で確かに高解像度版の空中写真で見ると瓦屋根ではない四角い建物であるのが分かる。このブログには他にも勝どき・月島の懐かしい建物が多く載っている。こちらの中央区観光協会特派員ブログ内のかつて銭湯があった場所 その3には銭湯入口の写真が載っている。

ピア晴海の空中写真 1992

国土地理院の空中写真がブログなどで使用可能と知り、晴海埠頭の写真を探したところ1992年10月10日に撮影されたCKT921-C10-37の中にピア晴海が写っていた。以下に「ピア晴海 1991」で載せた現在のGoogleマップと、空中写真から大体同じ範囲を切り取った画像(画像ソフトで拡大、文字を追加)を並べるので比較してみてほしい。

UR晴海4丁目市街地住宅(1969年築UR団地)とソフトタウン晴海(1983年築マンション)が残り、同じ場所であることを示している。見やすいように写真の向きを変え拡大したのが以下の画像。

埠頭に船も泊まっている。廃線跡も当時の記憶よりかなり多く残っていた。国土地理院のサイトではより高解像度の写真も見られるがダウンロード・画面コピー禁止なので興味のある方はそちらをご覧いただきたい。その写真だとピア晴海屋外テーブル席の様子や廃線の線路がはっきり分かる。