カテゴリー: LMD-649
LMD-649に使用したメモリボードMD-64 1981
LMD-649に使用したメモリボードの資料が出てきた。画像クリックで拡大。
まず以前のブログでメーカー名を間違っており、株式会社テックメイト製だった。
右が価格表。今から見るとどうしてボード単体やキットで売っているのか不思議に思うかもしれないが、当時はおカネのないユーザー向けに出す必要があったのだろう。
価格表の日付は1978年なので私が購入したときは価格が下がっていたかもしれないが、メモリの値段が凄い。ビット構成をよく見て欲しい。
キロバイトの時代である。
上左のパンフレットにも書いてあるが、外から見るとスタティックRAMボードと同様に使えるのがメリット。
このボードにDRAMを64KB積み、2枚(8bit+4bit)使って12bitA/D,D/Aに対応させ、パンフレット左の図にある8080システムの接続方法で使用していた。このLMD-649を正面から見た画像のケージ一番右寄りの2枚である。
このパンフレットの住所に直接買いに行った記憶があるが、併設されたショップはガラスショーケースが1つ2つある小さなものだった。
他にもメモリボードのパンフレットがあったので載せておく。
上中央のパンフレットの中の「市販のマイコンキットの中には、アドレスのデコーディングが不完全なため、不使用空間のほとんどないものがあります。」の一節が当時の状況を偲ばせる。
メモリ増設を考慮せず、というよりICチップ数を減らして全体を安く(簡素化)するため簡易なデコードで済ませていたのだ。
上のPROMライタ付きRAM/ROMボードは、レーザーディスプレーの仕事で使っていた。
当時単体のPROMライタは値段が高く、ボード単体ソフトいらずスイッチひとつでPROMに書き込めるので便利だった。
なんとこちらのサイトでこのボードのマニュアルとボード画像(スクロールすると出てくる)が公開されている。
物持ちの良い方があちらこちらにいらっしゃるのには感心・感謝である。
こちらは上で紹介したボード画像にも出てくる。
本来ボードに載せるべきRAMが手に入りづらいため、半分の容量のRAMを2個乗せて代用させるアダプター付きRAMである。
2013年9月9日
LINDAがクレジットされているアルバム 1985
LINDAがクレジットされているアルバムが検索で出てきた。
2012年2月22日
サウンド&レコーディング・マガジン 1984年10月号
サウンド&レコーディング・マガジンバックナンバーの目次を調べていたら、1984年10月号に”レコーディング・レポート/井上鑑”という記事があった。
2012年2月13日
Wikipedia日本語版”LMD-649″を編集してみた 2012.2.7
Wikipedia日本語版”LMD-649″の”機能”と”後継機”を編集してみた。
2012年2月7日
“電子音楽 in JAPAN”の中の”オレンジ” 2001
“オレンジ”情報の作られ方についてもう少し考えてみたい。
松武「スペックは8ビットで、秒数は1.2秒でした。これをのちに改良したのが”オレンジ”という機械で、こっちはPC-98を使っていて、12ビットで2秒になるんです。LMDの中身はZ80で、膨大なRAM(64キロ・バイト×12個)が挿さってました」
のちのオレンジはPC-98のディスプレイ上で音の加工やタイミングを設定できるようになるのだが(それでも音色バックアップは、まだカセットへの録音記録だった)、
これらの発言をまとめると以下のようになる。
LMD-649はすぐに改良版が作られ、Apple II互換機用のケースに納めたことから、アップルをもじって「オレンジ」と呼ばれました。CPUにz80、RAM64kb×12。その後も数々のレコーディングの現場で活躍しました。
上の文章はご丁寧にRAM64kb×12というところまで
“電子音楽 in JAPAN” の松武さんの発言と同じであり、 それがWikipedia日本語版”LMD-649″の文章とミックスされている。”電子音楽 in JAPAN”の文章が少し分かりにくい書き方なので誰かが文脈を読み違えPC-98とZ80を間違えたか、誰かが間違って文章をコピペしたのだろう。
“電子音楽 in JAPAN” を読めば、Wikipedia日本語版の”後継機”の謎は解けるかと思ったのに、
当時秋葉原などに数多く出回っていた、Apple IIの互換機製作用のプラスチックケースに後継機は納められた。Apple IIそっくりになった外観から、アップルをもじって「オレンジ」と命名。以降、数々のレコーディングの現場で、ジャケットにはクレジットされることなく活躍した。
このようなことは全く書かれていない。
Wikipedia日本語版の著者は一体どこから上の内容を引っ張ってきたのだろう?謎は深まるばかり(笑)である。まだまだブログのネタになりそうだ。
2012年2月3日
“オレンジ”という名の幻
ブログにLMD-649について書き、資料探しや自分のブログへの反響を見るため”LMD-649″を検索することが多くなった。そこで必ず出てくるのが様々な”オレンジ”である。
まず、LMD-649は月刊ロッキンf 1982年3月号で紹介された1バージョン、1台しか存在しない。最初からA/D,D/A12bit、デジタルスイッチで再生開始アドレスと終了アドレスを指定できた。
LMD-649はノイズなど音質に問題があり(注1)、録音時間も短かったために、すぐに改良版が作られた(注2)。当時秋葉原などに数多く出回っていた、Apple IIの互換機製作用のプラスチックケースに後継機は納められた。Apple IIそっくりになった外観(注3)から、アップルをもじって「オレンジ」と命名。以降、数々のレコーディングの現場で、ジャケットにはクレジットされることなく活躍した。
雑誌『サウンド&レコーディング・マガジン』に、オレンジの製作記事が数ヶ月にわたり、スペックを限定した内容で連載(注4)されている。
(真鍋ちえみ『不思議・少女+』封入写真を見て)そうそうこれ。全部僕の機材。これが最初のサンプラー「LMD-649」。 YMO『BGM』あたりから使っているやつ。1.2秒しかサンプリングできない。でも当時リン・ドラムは8bit、こっちは12bitだからハイ・クオリティ、しかもリン・ドラムは早いテンポだとおっつかないし、いっぺんに鳴らすとずれまくる。
大澤誉志幸さんへのインタビューの中に以下の発言がある。
その後プロになってからは、シンセサイザー・プログラマーの松武秀樹さんが”オレンジ(松武氏が当時カスタムで制作したオリジナル・サンプラー)”をスタジオに持ってきたのを使わせてもらったりしてね。
2012年1月20日
LMD-649のその後 LMD-649mini・REALBOX 1983
LMD-649のその後 LINDAシステム 1984
「LMD-649の製作 1981」の最後にふれたが、Mさんがファンハウスに移られたあと製作されたのがLINDAシステムである。私はソフトウェアの作成でお手伝いすることになった。
LINN DRUMをプレーヤーとして使用するのでLINDAだったのだ。
2012年1月10日
月刊ロッキンf 1982年3月号 LMD-649の記事 1982
月刊ロッキンf 1982年3月号でLMD-649が紹介されている。別冊宝島と一緒に出てきたもの。
これがLMD-649に関して最も詳しく正確に書かれた記事だと思う。サムネイル画像クリックで拡大。
この雑誌記事を読み返してみて思い出したことがあった。先日LMD-649についてここに書いた時、A/D,D/Aは東芝研究所製でコントロールロジックボードは私の自作だったことは覚えていたのだが、メモリボードはどうしたのか忘れていた。RAMボードはダイナミックRAMの載った市販のものだったのだ。確かアドテックシステムサイエンス製で、この頃メモリボードのメーカーとして有名だったと思う。
バス規格はどうしていたのだろう。バス配線はバス基板ではなく手配線だったように記憶している。
A/D,D/Aは12bitだからデータバスは最低12bitはあったはず。アドレスバスはメモリ容量64kwordということになるので1024*64-1=65535=FFFFH=16bitとなる。
RAMボードは当時のことを考えると16bit*32k*2枚ではなく8bit*64k*2枚だった可能性が高い。
バスが手配線だからアドレスバスは共通、データバスをボード1と2で下位8bitと上位4bitに分岐させれば解決である。
2011年2月 3日