YMO The Beeライブの別画像 1979

Instagramに初めて観るこんな画像が! レーザーの色が綺麗に写っている。自分がオペレーションしていたアナログ波をミックスした図形を思い出した。

画像左下に反射が見えているので雑誌か何かを撮影した物だろうか? おそらく別カットもありそうだ。

46年近く経って新しい画像に巡り会えるとは。。。

と思ったらまた別な画像が。こちらはやや粗いが。。。

YMOと自分、3つの関わりまとめ 1979~1981

六本木 The Bee

私は1978年末から六本木のディスコ「The Bee」でレーザーオペレーターのバイトをしていた。1979年6月に「The Bee」で関係者向けのYMOのライブが行われた。

六本木 The Bee 1978

六本木 The Bee 1978 続き

The BeeにYMOがやって来た 1979

YMO The Beeライブ画像 1979

The BeeでYMOライブが行われた経緯など (外部リンク口は災いの”素”)

The Bee アーカイブ

YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館公演 1980

1980年のYMO武道館公演でステージ背後の電飾制御を担当(インターフェース製作・プログラミング・オペレーション)した。

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

1980 続 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

32年前の今日 “YMO FROM TOKIO TO TOKYO” 1980

武道館公演関連

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾プレゼン画面

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサート進行表

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサート トラック表

YMOアーカイブ

LMD-649の設計・製作

最初期のサンプラーLMD-649のAD/DA基板以外の制御ロジック設計・製作・本体組み立てを行った。制御ロジックは74LSシリーズ+エブレンのラッピング基板を使用した。

LMD-649の製作 1981

月刊ロッキンf 1982年3月号 LMD-649の記事 1982

LMD-649に使用したメモリボードMD-64 1981

LMD-649 関連

LMD-649のその後 LMD-649mini・REALBOX 1983

LMD-649のその後 LINDAシステム 1984

突然解けた「オレンジ」の謎 2019

LMD-649 アーカイブ

 

 

CSフジテレビTWO イエロー・マジック・オーケストラ・イン・武道館 が普通に高画質だった件 2023

2023年3月3日にCS 308 フジテレビTWOでオンエアされたイエロー・マジック・オーケストラ・イン・武道館が普通に高画質だった。「普通」とは特別なリマスターではない、アナログTV素材を標準的な方法でデジタルTV素材に変換したようだったから。

とはいえ過去に発売された「YMO Giga Live」DVDとは比較にならない高画質で、1980年のYMO武道館コンサートの動画としてはYouTubeも含め現状最高画質だと思う。当然ながらコピーワンス番組で保護されているので、フジテレビTWOを視聴・録画できなかった方は録画されたブルーレイディスクを知り合いから借りて観る位しか出来ないわけだが。

ただ「YMO Giga Live」DVDとは一部内容が異なるので以下で比較する。

タイトルで「武道館」ロゴが3Dぽく表示された後、YMO Giga Liveではメンバーが海外公演から空港に帰ってきた映像が入りその後本物の武道館の看板映像になる。

「RIOT IN LAGOS」演奏中、CSオンエアではレコード売り上げやチケット売り上げについてのテロップが入る。

「THE END OF ASIA」冒頭、CSオンエアでは新聞記事などが複数表示されつつYMOの紹介や人気についてのナレーション(おそらく芳村 真理)が入ってから曲タイトルが出て演奏シーンとなる。YMO Giga Liveでは紹介ナレーション部分がバッサリカットされ、曲タイトルシーンから音声がフェードして曲に入る。

「SOLID STATE SURVIVOR」演奏中、CSオンエアではおそらくアメリカで撮影された屋外での人物のカット(今観ると古臭く意味不明)が入る。

「FIRE CRACKER」終了後メンバーが舞台からはけた後、CSオンエアでは観客の短いアンコール拍手後「COSMIC SURFIN」が始まるが、YMO Giga Liveでは長めの観客アンコール中「帰れ、帰れ」のMC(おそらくこの後ステージに登場する小林克也)後メンバーが戻ってきて舞台前面に並び「TIGHTEN UP」が小林克也のボーカルで始まりメンバー、オープニングアクトのサンディ、他のダンサーが踊り途中から倍速再生になり曲終わりで観客の短いアンコール拍手後「COSMIC SURFIN」となる。

「COSMIC SURFIN」演奏中CSオンエアではロサンゼルス公演中のダンサー(客?)や客席のカット(これも今観るとひどく古臭い)が入る。

「COSMIC SURFIN」終了後YMO Giga Liveでは音声はそのままだが舞台上で観客の声援に応えているメンバーの静止画にかぶせて演奏した曲目、日時、メンバー紹介のテロップが流れて終了。CSオンエアでは舞台や客席を撮り続けながらスタッフロールが流れ「フジテレビ」が出た後6人のメンバーのリハーサル中と思われる顔のアップ静止画を一人ずつ出して終了。

画質を考えると1980年武道館コンサートについていえばCSオンエアが観られるならDVDを探して買う意味はなさそうだ。

編集前のビデオテープは残っていなさそうだが、もし可能なら再編集・デジタルリマスターしてブルーレイ化されるのが一番なのだが。。。

カテゴリー:YMO

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1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサート トラック表

1980年のYMO武道館コンサートで電飾を担当した時のメモやプリントが新たに見つかり、以下のような簡易?トラック表が出てきた。A5版より小ぶりな用紙に曲毎に手書きした物を2枚ずつ並べてコピーされている。

全くの推測だが、PA用に作成された物を照明や電飾など他のセクションにも進行の参考にと配られたのかも知れない。興味深いのはM7 THE CORE OF EDENがカットされていること。この年の海外公演で演奏されている。

これを見ながらYMO Giga Live DVDを観てみるとなかなか面白い。

一応略号を説明すると K=坂本龍一 A,H=矢野顕子 EG=エレクトリックギター Dr=ドラム SyDr=シンセドラム Vo=ボーカル Voco=ボコーダー

以下の画像には電子透かしが埋め込まれています。

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾プレゼン画面

1980 続 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

32年前の今日 “YMO FROM TOKIO TO TOKYO” 1980

YMO Giga Live DVD “1980 BUDOKAN”を高画質化してみる 2022

私は1980年12月のYMO武道館ライブでステージ背後の電飾を担当していた。そのステージが含まれるDVD「YMO Giga Live」を持っておりフジテレビで放映された映像なのだが、アナログTV時代とはいえ放送用VTRから作成されたとは思えない低画質。映像全体にアナログ時代のゴーストノイズがのっており、まるで誰かが放送を録画したテープの音声だけ後から入れ替えた (PCM) ような感じなのである。

まずお断りしておくが個人所有のディスクでも暗号を解除して複製するのは違法である。ただし私的使用目的であれば罰則は適用されないとのこと。

動画を高画質化できる「Topaz Video Enhance AI」でDVDの高画質化を試してみた。MP4化したDVD動画をTopazに取り込み元の動画と高画質化した動画を並べて比較しつつ変換モードを選ぶことができる。HD化も可能なのだが元動画が低画質過ぎうまくいかない。ソフトウェアが輪郭や特徴を見つけて強調・補正するのだが同時に不要な縞模様や細かな繰り返しパターンのノイズが発生してしまうのだ。また甘いフォーカスも認識せず補正しようとして崩れた別物の絵になってしまう。

結局DVDの元の解像度720*480のままで補正するのが一番ましだった。ただしソフトウェア設定済みのパラメータ”Artemis Low Quality”そのままで補正したので、細かくいじればより良くなる可能性はある。

以下に補正したサンプルを載せる。直線、丸や四角など認識しやすい物の補正はなかなか良いが、人物は肌がのっぺりしすぎてしまう。

結論からするとソフト任せではこんなところか、という感じ。パラメーターを追い込んでかつカットごとに補正をかけるエリア指定などできればより良くなりそうだが。。。

カテゴリー:YMO

YMO The Beeライブ画像 1979

The BeeにYMOがやって来た 1979 の中で、このライブ(YELLOW MAGIC SHOWと題された関係者向けショーケースライブ?)の画像や動画があったら見てみたいと書いたが、自分で持っていた(笑)。といっても雑誌GOROの「テクノ・ポップス」特集記事(文・北中正和)内の小さなカットである。

このカットに撮影データはついていないが、背後にレーザーが投影されているディスコのダンスフロアでのYMOライブといえば”The Bee”しかない。ページだけ外してとってあったのでいつの号かは不明。綺麗じゃないのはご勘弁を。クリックで拡大。

YMOatTheBee.jpg

背後のリサージュ波形は赤のようだが上のライン(レーザーで面を出していたかな)でクリプトンレーザーの4色であることがわかる。

これ自分がオペレートしてたんだなぁ(遠い目)。

このステージはキーボード・マガジン1980年5月号の表紙にもなっている。雑誌GOROの画像はなぜか裏焼きだった。

2014.2.12 追記

2003年に”Weekly YMO web magazine”なる有料メルマガがあったことを今日知った(笑)。

その中にこのライブも取り上げられており画像があったかもしれない。

メルマガ目次                    10 11 12

おまけ

“The Bee”の原始的レーザー図形再生機で使用していた”The Bee”のロゴデータシート。

beelogo1.jpg
beelogo2.jpg
beelogo3.jpg
beelogo4.jpg

2014年2月9日

32年前の今日 “YMO FROM TOKIO TO TOKYO” 1980

音楽テクニカルライター布施雄一郎さんのブログ“口は災いの素”にコメントを書いたところ、ご返事のコメントをいただいた。

その中で、32年前の今日武道館で行われた”YMO FROM TOKIO TO TOKYO”公演中の電飾について(以下引用)
…と今日、当時を懐かしみながらコズミック・サーフィンの画を見ていたら、イントロからAメロに入る瞬間に、センターに『M』の文字が一瞬見えまして。左右の端がフレームアウトしているのですが、その瞬間『あれ?』と思って見直したら、このタイミングの一瞬だけ、『YMO』と表示されていたんですね!!!
http://twitpic.com/bplmo1
とあったので補足させていただく。
この日ファイアクラッカー後アンコールに入り、パネル全点灯のままタイトゥン・アップ。
次のコズミック・サーフィンのイントロで”YMO”の文字を残すようにパネルがポツポツ消えていき、Aメロで”YMO”を表示。
その後”YMO”の文字を連続して上スクロールさせる演出だったのだが、どのタイミングまでスクロールさせていたか忘れていた。が、今日DVDを観ていて私自身映像からそのタイミングを思い出すことができた(笑)。
“YMO”の文字が表示され、この後文字が1ブロック上に動くのが一瞬見える。
1980 YMO武道館コンサート YMOロゴ
そしてスクロールは続き。。。
このカットで背後に”Y”の右上のブロックが見え、
YMO_Logo2.jpg
次のこのカットで”Y”が1ブロック上へスクロールしていることが分かる。
YMO_Logo3.jpg
そしてこの後文字は消え、四角ブロックの点滅へと切り替わっていく。
布施さんのブログにコメントを書かせていただいた時点で日付は全く意識していなかったのだが、
奇しくも32年後の今日このブログを書けるとは、布施さんに感謝いたします。
探せばまだこんな小ネタが出てきそうである。

2012年12月27日

1980 続 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

ずいぶん時間が経ってしまったが前回のブログに追加。

 
電球数分のリレーを駆動したことは前回書いたが、当時でももっとスマートな方法はあったと思う。
しかし電飾装置がこのコンサート専用で仕込み日まで存在しないため、電飾屋さんとリレーの仕様さえ決めておけば駆動系を製作できるし単純な方法のほうがリスクも少なく、何より責任分担が明確にできる(リレーの駆動まではこちらの責任、その先は電飾屋さんの責任)ためリレーを並べることになった。
 
仕込み日、早速電飾装置とPC側とを接続して点灯チェックしたがリレーが動かない。
確認したところ駆動回路中の抵抗値を私が間違えていた。他のスタッフにアキバまで走ってもらいしばし中断(武道館でよかった、近くて)。なかなか点灯しないことにしびれを切らした電飾屋さんに「何待ちですか?!」と険しい顔で問われ、事情を話して平謝り。
 
やがて抵抗が届き、集合抵抗をICソケットに挿していたので交換は素早く出来た。
今度はリレーが威勢良く?ジャッジャッと動いて無事点灯。ステージ裏でオペレーションしていては見られないので交代してもらいステージ正面で確認したが、その時次々繰り出される電飾パターンを観てポカンとしていた電飾屋さんの顔を覚えている(笑)。点灯したことで険悪なムードも消え、その後電飾屋さんには大変協力していただけた。
 
電飾が白熱電球であることがよく分かるシーンがある。Citizens of Scienceのバーグラフ風パターンで上の方が暗いことに気付かれると思うが、これは点灯時間が短すぎて100%光っていないためである。
また赤い電球も仕込まれていてRydeenなどで点滅しており、Mapsで全点灯している。が、実は回路数を減らすため赤はズルしていて、全点灯の1回路と確か10~20個程度の散らばった個々の赤の回路しかなく全ての電球を個々にON/OFFすることは出来なかった。なので赤の点灯しているシーンを全部よーく観ると、個々に点灯している赤の位置は決まっていることが分かる(かもしれない)。
 
この翌年、私はLMD-649の製作でまたYMOに関わらさせていただくことになる。

2012年1月12日

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

カテゴリー:YMO

1981 YMOウィンターライブの映画撮影

1981年、ウィンターライブで使用される映画の撮影が行われた。

ライブの開幕時にステージ前に吊るされた紗幕に上映され、確か扉が開いてカメラが進んでいくとYMOメンバーが演奏を始める内容で、紗幕が開くと後ろに本物のメンバーが実際に演奏しているという演出だったと思う。ライブの最後もこの逆で終わったような記憶もあるがどうだったかな?
前年の武道館コンサートを担当した照明屋さんが引き続きライブを担当することになり、見学に連れていってもらった。東京近郊の撮影所だった。
スタジオと言っても中は土間で冬も近づき寒く、暖房は一斗缶を切って加工したストーブ?に木炭が入っているもの(このページの「ガンガン」ですね)だけ。その管理をしているらしい初老の男性に置き位置を聞かれ戸惑った記憶がある。
上を見上げると天井からワイア、というよりは縄で吊られた畳1,2枚位のサイズの木組みの板(このページの「二重」)が不規則な位置にいくつかぶら下がっている。
そんな意外な周辺の状況ばかり印象に残っていて、肝心の撮影がどうだったか覚えていない(笑)。

連れていってもらった照明屋さんがスタジオの外を歩いていたら、関係者に間違えられたか向こうから来たちょんまげ姿の男性に挨拶されてびっくりしたと話していた。
メンバーも「撮影スタジオ」という言葉と現場のギャップに驚いたという話を聞いたことがある。

2011年12月26日

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾プレゼン画面

武道館でのオペレーションは、舞台背面の電飾ブロックを模したLEDモニタでパターンを確認していてCRT画面上には描画していなかった。CRTに描画したことはなかったかなと考えていたら、CRT画面をポラロイド(SX-70)で撮影したプリントが沢山出てきた。

まずCRT上でパターンが点滅するようなソフトを組んで、次にパターンをI/Oポートに出力するように変更したのかもしれない。同時にCRTでパターンのイメージをプレゼンしていたようだ。

こんな感じでパターンを変化させていけますよというイメージのためだけにCRTに描画させて、プレゼン資料で持っていくためにポラロイドで撮影したと思う。当時はそれが最も手っ取り早い方法だったのだろう。

1980YMO武道館コンサート電飾プレゼン画像 1
1980YMO武道館コンサート電飾プレゼン画像 2
1980YMO武道館コンサート電飾プレゼン画像 3
1980YMO武道館コンサート電飾プレゼン画像 YMOロゴ
1980YMO武道館コンサート電飾プレゼン画像 4
1980YMO武道館コンサート電飾プレゼン画像 5
1980YMO武道館コンサート電飾プレゼン画像 6


2011年2月28日
2017年8月16日修正