LMD-649の製作 残った謎 1981

LMD-649の製作 2で、使用したラッピング基板がエブレンE-PAXⅡ MODEL420/HC28Eと推測したが基板サイズは125×220mm、ところがメモリボードの基板サイズは115×215mmで幅が10mm違い同じカードケージに普通には入らない。E-PAXⅡに幅115mmの基板があったのか?(10mm違いで販売する?) あるいは125mm幅のカードケージに何か工夫して115mm幅のメモリボードを入れたのか?(画像では普通にスロットに入っているようだが?) またメモリボードのコネクタは44pin(片面22pinずつ)でE-PAXⅡのコネクタが何pinだったのか分からない。コネクタバスは基板では無く手配線だったのでピン数が違っても問題は無かったが、カードケージへのコネクタ取付が問題となるだろう。

またカードケージの中間になにか仕切り?の様な物が見えるがこれが何だったのかも分からない。謎が残る。

LMD-649の製作 2 1981

「LMD-649の製作」を載せてから15年も経過してしまったが制御の中心であるコントロールユニット(ロジック)について少し詳しく書いておこうと思う。雑誌「ロッキンf」 1982年3月号の記事中この図のオレンジ色の部分であり、

LMD-649 BLOCK DIAGRAM

記事中の以下の画像でカードスロットから抜かれて本体ケースの上に置かれたボード(オレンジ色)がそれである。

LMD-649 本体内部

ボードは2枚重ねで固定されており、おそらく1枚では回路が入りきらず44ピンのバスに含まれない接続が必要でこの形になったのだろう。ボードに接続されているフラットケーブルは操作パネルのスイッチ類と7セグLEDに繋がっている。

ボードはエブレン製のラッピング用ユニバーサルボードである。当時自作ボードはラッピング配線をしていた。ラッピング配線をする場合、IC取付側表面にあらかじめラッピングピンが立っているエブレン製ボードを使うか、通常のユニバーサルボードにラッピング用ICソケットを取り付けボード裏面でラッピング配線をするかのどちらかだった。表面で配線すればピン番号が分かりやすく、裏面で配線すればICをよけることなく直線最短距離で配線できた。

このボードの資料がないか「◎マイコンピューターをつくろう SC/MPによるマイコン入門」が載っている1978年1月号のトランジスタ技術を探したら広告が載っていた。LMD-649に使用していたのはこのE-PACSⅡである。ボードサイズから推測するとMODEL420/HC28Eで当時¥4,000!仕事だから使えたがアマチュアが趣味で使える値段ではなかったようだ。

このころはAC電源のトルクのあるラッピングツールを使っていたが、ラッピング用ビットは確か3段階にわたって進化したと記憶している。1.最初は線材のラッピングに必要な長さ分の被覆をストリッパーで剥きビットに差し込んでラッピング、2.次にCSMW(Cut&Strip Modified Wire Wrap)用ビットCSMW用線材を使い被覆のままビットに差し込みラッピングすると巻き付く部分だけビットが自動で被覆を剥いてくれる様になり(ジュンフロンETFE電線!思い出した)、3.最後はまた線材の被覆が変わり被覆のまま巻き付けるとラッピングピンの角の部分だけ被覆が裂けて導通する、だと思っていたのだが・・・3が検索で出なかったので同じく上記のトラ技を探したらこんな広告があった。

ポストに線材を巻き付けるときにポスト面内側の被覆を裂きながら巻き付けるアイデア。まず手巻きはしなかったのとこれ専用の電動工具や線材を使った記憶が無いので、自分では使っていなかったようだ。このSLIT WRAPが自分が記憶していたつもりの3に該当するかは分からない。

「ロッキンf」 1982年3月号の別なページの以下の画像だとボードは8枚挿さっており、フラットケーブルコネクタのあるコントロールユニット以外にも右から3枚目と左から2枚目がラッピング基板のようだが何だったか忘れている。確かなのは右端のカード抜き取りレバーの付いている基板2枚はメモリボード、1枚飛んでフラットケーブルコネクタのある基板2枚がコントロールユニット、その左の四角いパーツが載っている基板がA/D,D/A基板なことだ。

LMD-649 カラー画像

上記のトラ技にこんな広告もあった。LMD-649に使用したデジタルスイッチである。1桁単位で必要な桁数分スイッチ同士をパチンパチンとはめ込んでいき、仕上げに左右のエプロン部分を取り付けて完成。

次にコントロールユニットの実際の回路構成や信号のタイミングについて述べたい。コントロールユニットは74LSTTLで組まれており基本は以下の図のプリセットカウンタ(加算器)とコンパレーター(比較器)である。図は簡素化されており実際は複数のロジックICが必要となる。

LMD-649 基本回路図

まず音をサンプリング(録音)する時はカウンタクリアでアドレスを0にし次にカウンタクロックでアドレスを1つずつ増やしながら入力されたA/Dからのデータをメモリに書き込み、コンパレーターは無視しカウンタのキャリーアウト(アドレスがFFFFHすなわち最終アドレス)でカウンタとメモリ書き込みを止める。

音源を再生するときはカウンタセットでスタートアドレスを16進デジタルスイッチから読み込みセットしそのアドレスからカウンタクロックでアドレスを1つずつ増やしながらメモリ上のデータをD/Aに渡して音を出力し、16進デジタルスイッチのエンドアドレスとコンパレーターで比較しつつ一致出力が出たらカウンタとD/A出力を止める。

以上の動作をロジックのタイミングで見たのが以下の図である。

LMD-649 ロジックタイミング

LMD-649はこの1台しか製作されず終わったのだが、もし改良するチャンスがあったらどうしていたか? 当時も少し考えたが音源の始点終点の指定が16進デジタルスイッチ、表示が16進7セグLEDというのは原理的過ぎる。そこでスイッチをロータリーエンコーダー(インクリメンタルエンコーダー)にし表示は16進から10進に変換して表示することにして、始点と終点の2つの円形ダイヤルをグルグル回すことで前後させればより使いやすくはなったろう。以下のようなイメージだ。

それと「逆転再生」スイッチの追加。これはカウンタ周りの回路変更が必要となる。プリセット可能なアップダウンカウンタを使用しかつスタート/エンドアドレスを逆にセットしなければならない。

また全くの他力本願だがメモリは16ビット分積んでいたので、もし14ビットや16ビットのA/D,D/A入出力基板が出来ればすぐに挿し代えて使えただろう。

とはいえ改良となれば当然音源・始終点のセーブ、ロードは必須となったであろうし音源の波形も見てみたい。それだったらこの後製作することになるLINDAシステムのようにPCに繋げるか、いっそPC-9801に挿すボードにしてしまう(オレンジがそうなったように)という方向だっただろうか。いずれにせよサンプラー製品(サンプリングキーボード)がどんどん出てきてしまうのだからわずかな期間しか優位に立てなかったろう。

LMD-649は歴史に埋もれて忘れ去られていても不思議でなく、偶然のタイミングでYMOのアルバムに使用されその経緯と音が残ったのは幸運だったとしか言いようがない。

YMO The Beeライブの別画像 1979

Instagramに初めて観るこんな画像が! レーザーの色が綺麗に写っている。自分がオペレーションしていたアナログ波をミックスした図形を思い出した。

画像左下に反射が見えているので雑誌か何かを撮影した物だろうか? おそらく別カットもありそうだ。

46年近く経って新しい画像に巡り会えるとは。。。

と思ったらまた別な画像が。こちらはやや粗いが。。。

YMOと自分、3つの関わりまとめ 1979~1981

六本木 The Bee

私は1978年末から六本木のディスコ「The Bee」でレーザーオペレーターのバイトをしていた。1979年6月に「The Bee」で関係者向けのYMOのライブが行われた。

六本木 The Bee 1978

六本木 The Bee 1978 続き

The BeeにYMOがやって来た 1979

YMO The Beeライブ画像 1979

The BeeでYMOライブが行われた経緯など (外部リンク口は災いの”素”)

The Bee アーカイブ

YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館公演 1980

1980年のYMO武道館公演でステージ背後の電飾制御を担当(インターフェース製作・プログラミング・オペレーション)した。

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

1980 続 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

32年前の今日 “YMO FROM TOKIO TO TOKYO” 1980

武道館公演関連

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾プレゼン画面

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサート進行表

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサート トラック表

YMOアーカイブ

LMD-649の設計・製作

最初期のサンプラーLMD-649のAD/DA基板以外の制御ロジック設計・製作・本体組み立てを行った。制御ロジックは74LSシリーズ+エブレンのラッピング基板を使用した。

LMD-649の製作 1981

LMD-649の製作 2 1981

月刊ロッキンf 1982年3月号 LMD-649の記事 1982

LMD-649に使用したメモリボードMD-64 1981

LMD-649 関連

LMD-649のその後 LMD-649mini・REALBOX 1983

LMD-649のその後 LINDAシステム 1984

突然解けた「オレンジ」の謎 2019

LMD-649 アーカイブ

 

 

CSフジテレビTWO イエロー・マジック・オーケストラ・イン・武道館 が普通に高画質だった件 2023

2023年3月3日にCS 308 フジテレビTWOでオンエアされたイエロー・マジック・オーケストラ・イン・武道館が普通に高画質だった。「普通」とは特別なリマスターではない、アナログTV素材を標準的な方法でデジタルTV素材に変換したようだったから。

とはいえ過去に発売された「YMO Giga Live」DVDとは比較にならない高画質で、1980年のYMO武道館コンサートの動画としてはYouTubeも含め現状最高画質だと思う。当然ながらコピーワンス番組で保護されているので、フジテレビTWOを視聴・録画できなかった方は録画されたブルーレイディスクを知り合いから借りて観る位しか出来ないわけだが。

ただ「YMO Giga Live」DVDとは一部内容が異なるので以下で比較する。

タイトルで「武道館」ロゴが3Dぽく表示された後、YMO Giga Liveではメンバーが海外公演から空港に帰ってきた映像が入りその後本物の武道館の看板映像になる。

「RIOT IN LAGOS」演奏中、CSオンエアではレコード売り上げやチケット売り上げについてのテロップが入る。

「THE END OF ASIA」冒頭、CSオンエアでは新聞記事などが複数表示されつつYMOの紹介や人気についてのナレーション(おそらく芳村 真理)が入ってから曲タイトルが出て演奏シーンとなる。YMO Giga Liveでは紹介ナレーション部分がバッサリカットされ、曲タイトルシーンから音声がフェードして曲に入る。

「SOLID STATE SURVIVOR」演奏中、CSオンエアではおそらくアメリカで撮影された屋外での人物のカット(今観ると古臭く意味不明)が入る。

「FIRE CRACKER」終了後メンバーが舞台からはけた後、CSオンエアでは観客の短いアンコール拍手後「COSMIC SURFIN」が始まるが、YMO Giga Liveでは長めの観客アンコール中「帰れ、帰れ」のMC(おそらくこの後ステージに登場する小林克也)後メンバーが戻ってきて舞台前面に並び「TIGHTEN UP」が小林克也のボーカルで始まりメンバー、オープニングアクトのサンディ、他のダンサーが踊り途中から倍速再生になり曲終わりで観客の短いアンコール拍手後「COSMIC SURFIN」となる。

「COSMIC SURFIN」演奏中CSオンエアではロサンゼルス公演中のダンサー(客?)や客席のカット(これも今観るとひどく古臭い)が入る。

「COSMIC SURFIN」終了後YMO Giga Liveでは音声はそのままだが舞台上で観客の声援に応えているメンバーの静止画にかぶせて演奏した曲目、日時、メンバー紹介のテロップが流れて終了。CSオンエアでは舞台や客席を撮り続けながらスタッフロールが流れ「フジテレビ」が出た後6人のメンバーのリハーサル中と思われる顔のアップ静止画を一人ずつ出して終了。

画質を考えると1980年武道館コンサートについていえばCSオンエアが観られるならDVDを探して買う意味はなさそうだ。

編集前のビデオテープは残っていなさそうだが、もし可能なら再編集・デジタルリマスターしてブルーレイ化されるのが一番なのだが。。。

カテゴリー:YMO

[adsense]

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサート トラック表

1980年のYMO武道館コンサートで電飾を担当した時のメモやプリントが新たに見つかり、以下のような簡易?トラック表が出てきた。A5版より小ぶりな用紙に曲毎に手書きした物を2枚ずつ並べてコピーされている。

全くの推測だが、PA用に作成された物を照明や電飾など他のセクションにも進行の参考にと配られたのかも知れない。興味深いのはM7 THE CORE OF EDENがカットされていること。この年の海外公演で演奏されている。

これを見ながらYMO Giga Live DVDを観てみるとなかなか面白い。

一応略号を説明すると K=坂本龍一 A,H=矢野顕子 EG=エレクトリックギター Dr=ドラム SyDr=シンセドラム Vo=ボーカル Voco=ボコーダー

以下の画像には電子透かしが埋め込まれています。

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾プレゼン画面

1980 続 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

32年前の今日 “YMO FROM TOKIO TO TOKYO” 1980

YMO Giga Live DVD “1980 BUDOKAN”を高画質化してみる 2022

私は1980年12月のYMO武道館ライブでステージ背後の電飾を担当していた。そのステージが含まれるDVD「YMO Giga Live」を持っておりフジテレビで放映された映像なのだが、アナログTV時代とはいえ放送用VTRから作成されたとは思えない低画質。映像全体にアナログ時代のゴーストノイズがのっており、まるで誰かが放送を録画したテープの音声だけ後から入れ替えた (PCM) ような感じなのである。

まずお断りしておくが個人所有のディスクでも暗号を解除して複製するのは違法である。ただし私的使用目的であれば罰則は適用されないとのこと。

動画を高画質化できる「Topaz Video Enhance AI」でDVDの高画質化を試してみた。MP4化したDVD動画をTopazに取り込み元の動画と高画質化した動画を並べて比較しつつ変換モードを選ぶことができる。HD化も可能なのだが元動画が低画質過ぎうまくいかない。ソフトウェアが輪郭や特徴を見つけて強調・補正するのだが同時に不要な縞模様や細かな繰り返しパターンのノイズが発生してしまうのだ。また甘いフォーカスも認識せず補正しようとして崩れた別物の絵になってしまう。

結局DVDの元の解像度720*480のままで補正するのが一番ましだった。ただしソフトウェア設定済みのパラメータ”Artemis Low Quality”そのままで補正したので、細かくいじればより良くなる可能性はある。

以下に補正したサンプルを載せる。直線、丸や四角など認識しやすい物の補正はなかなか良いが、人物は肌がのっぺりしすぎてしまう。

結論からするとソフト任せではこんなところか、という感じ。パラメーターを追い込んでかつカットごとに補正をかけるエリア指定などできればより良くなりそうだが。。。

カテゴリー:YMO

YMO The Beeライブ画像 1979

The BeeにYMOがやって来た 1979 の中で、このライブ(YELLOW MAGIC SHOWと題された関係者向けショーケースライブ?)の画像や動画があったら見てみたいと書いたが、自分で持っていた(笑)。といっても雑誌GOROの「テクノ・ポップス」特集記事(文・北中正和)内の小さなカットである。

このカットに撮影データはついていないが、背後にレーザーが投影されているディスコのダンスフロアでのYMOライブといえば”The Bee”しかない。ページだけ外してとってあったのでいつの号かは不明。綺麗じゃないのはご勘弁を。クリックで拡大。

YMOatTheBee.jpg

背後のリサージュ波形は赤のようだが上のライン(レーザーで面を出していたかな)でクリプトンレーザーの4色であることがわかる。

これ自分がオペレートしてたんだなぁ(遠い目)。

このステージはキーボード・マガジン1980年5月号の表紙にもなっている。雑誌GOROの画像はなぜか裏焼きだった。

2014.2.12 追記

2003年に”Weekly YMO web magazine”なる有料メルマガがあったことを今日知った(笑)。

その中にこのライブも取り上げられており画像があったかもしれない。

メルマガ目次                    10 11 12

おまけ

“The Bee”の原始的レーザー図形再生機で使用していた”The Bee”のロゴデータシート。

beelogo1.jpg
beelogo2.jpg
beelogo3.jpg
beelogo4.jpg

2014年2月9日

32年前の今日 “YMO FROM TOKIO TO TOKYO” 1980

音楽テクニカルライター布施雄一郎さんのブログ“口は災いの素”にコメントを書いたところ、ご返事のコメントをいただいた。

その中で、32年前の今日武道館で行われた”YMO FROM TOKIO TO TOKYO”公演中の電飾について(以下引用)
…と今日、当時を懐かしみながらコズミック・サーフィンの画を見ていたら、イントロからAメロに入る瞬間に、センターに『M』の文字が一瞬見えまして。左右の端がフレームアウトしているのですが、その瞬間『あれ?』と思って見直したら、このタイミングの一瞬だけ、『YMO』と表示されていたんですね!!!
http://twitpic.com/bplmo1
とあったので補足させていただく。
この日ファイアクラッカー後アンコールに入り、パネル全点灯のままタイトゥン・アップ。
次のコズミック・サーフィンのイントロで”YMO”の文字を残すようにパネルがポツポツ消えていき、Aメロで”YMO”を表示。
その後”YMO”の文字を連続して上スクロールさせる演出だったのだが、どのタイミングまでスクロールさせていたか忘れていた。が、今日DVDを観ていて私自身映像からそのタイミングを思い出すことができた(笑)。
“YMO”の文字が表示され、この後文字が1ブロック上に動くのが一瞬見える。
1980 YMO武道館コンサート YMOロゴ
そしてスクロールは続き。。。
このカットで背後に”Y”の右上のブロックが見え、
YMO_Logo2.jpg
次のこのカットで”Y”が1ブロック上へスクロールしていることが分かる。
YMO_Logo3.jpg
そしてこの後文字は消え、四角ブロックの点滅へと切り替わっていく。
布施さんのブログにコメントを書かせていただいた時点で日付は全く意識していなかったのだが、
奇しくも32年後の今日このブログを書けるとは、布施さんに感謝いたします。
探せばまだこんな小ネタが出てきそうである。

2012年12月27日

1980 続 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

ずいぶん時間が経ってしまったが前回のブログに追加。

 
電球数分のリレーを駆動したことは前回書いたが、当時でももっとスマートな方法はあったと思う。
しかし電飾装置がこのコンサート専用で仕込み日まで存在しないため、電飾屋さんとリレーの仕様さえ決めておけば駆動系を製作できるし単純な方法のほうがリスクも少なく、何より責任分担が明確にできる(リレーの駆動まではこちらの責任、その先は電飾屋さんの責任)ためリレーを並べることになった。
 
仕込み日、早速電飾装置とPC側とを接続して点灯チェックしたがリレーが動かない。
確認したところ駆動回路中の抵抗値を私が間違えていた。他のスタッフにアキバまで走ってもらいしばし中断(武道館でよかった、近くて)。なかなか点灯しないことにしびれを切らした電飾屋さんに「何待ちですか?!」と険しい顔で問われ、事情を話して平謝り。
 
やがて抵抗が届き、集合抵抗をICソケットに挿していたので交換は素早く出来た。
今度はリレーが威勢良く?ジャッジャッと動いて無事点灯。ステージ裏でオペレーションしていては見られないので交代してもらいステージ正面で確認したが、その時次々繰り出される電飾パターンを観てポカンとしていた電飾屋さんの顔を覚えている(笑)。点灯したことで険悪なムードも消え、その後電飾屋さんには大変協力していただけた。
 
電飾が白熱電球であることがよく分かるシーンがある。Citizens of Scienceのバーグラフ風パターンで上の方が暗いことに気付かれると思うが、これは点灯時間が短すぎて100%光っていないためである。
また赤い電球も仕込まれていてRydeenなどで点滅しており、Mapsで全点灯している。が、実は回路数を減らすため赤はズルしていて、全点灯の1回路と確か10~20個程度の散らばった個々の赤の回路しかなく全ての電球を個々にON/OFFすることは出来なかった。なので赤の点灯しているシーンを全部よーく観ると、個々に点灯している赤の位置は決まっていることが分かる(かもしれない)。
 
この翌年、私はLMD-649の製作でまたYMOに関わらさせていただくことになる。

2012年1月12日

1980 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

カテゴリー:YMO