1973年にロサンゼルスのグリフィス天文台プラネタリウムでスタートしたレーザーショー「RASERIUM レザリアム」が、1976年3月から日本でも始まった。
2014年3月1日
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YouTube Tokyo Skylineチャンネルのウェブマスターが印象に残る仕事や出来事を綴るブログ
1973年にロサンゼルスのグリフィス天文台プラネタリウムでスタートしたレーザーショー「RASERIUM レザリアム」が、1976年3月から日本でも始まった。
2014年3月1日
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The BeeにYMOがやって来た 1979 の中で、このライブ(YELLOW MAGIC SHOWと題された関係者向けショーケースライブ?)の画像や動画があったら見てみたいと書いたが、自分で持っていた(笑)。といっても雑誌GOROの「テクノ・ポップス」特集記事(文・北中正和)内の小さなカットである。
このカットに撮影データはついていないが、背後にレーザーが投影されているディスコのダンスフロアでのYMOライブといえば”The Bee”しかない。ページだけ外してとってあったのでいつの号かは不明。綺麗じゃないのはご勘弁を。クリックで拡大。
背後のリサージュ波形は赤のようだが上のライン(レーザーで面を出していたかな)でクリプトンレーザーの4色であることがわかる。
これ自分がオペレートしてたんだなぁ(遠い目)。
このステージはキーボード・マガジン1980年5月号の表紙にもなっている。雑誌GOROの画像はなぜか裏焼きだった。
2014.2.12 追記
2003年に”Weekly YMO web magazine”なる有料メルマガがあったことを今日知った(笑)。
その中にこのライブも取り上げられており画像があったかもしれない。
メルマガ目次 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
おまけ
“The Bee”の原始的レーザー図形再生機で使用していた”The Bee”のロゴデータシート。
2014年2月9日
ライゾマティクス inspired by Perfume 2013を観てきた。
2013年10月5日
NIBL BASIC ROMを買ったのは東急ハンズだった! 1978 の中で書いた自作CRTターミナルに使用した基板の資料が出てきた。
2013年9月23日
LMD-649に使用したメモリボードの資料が出てきた。画像クリックで拡大。
まず以前のブログでメーカー名を間違っており、株式会社テックメイト製だった。


右が価格表。今から見るとどうしてボード単体やキットで売っているのか不思議に思うかもしれないが、当時はおカネのないユーザー向けに出す必要があったのだろう。
価格表の日付は1978年なので私が購入したときは価格が下がっていたかもしれないが、メモリの値段が凄い。ビット構成をよく見て欲しい。
キロバイトの時代である。
上左のパンフレットにも書いてあるが、外から見るとスタティックRAMボードと同様に使えるのがメリット。
このボードにDRAMを64KB積み、2枚(8bit+4bit)使って12bitA/D,D/Aに対応させ、パンフレット左の図にある8080システムの接続方法で使用していた。このLMD-649を正面から見た画像のケージ一番右寄りの2枚である。
このパンフレットの住所に直接買いに行った記憶があるが、併設されたショップはガラスショーケースが1つ2つある小さなものだった。
他にもメモリボードのパンフレットがあったので載せておく。



上中央のパンフレットの中の「市販のマイコンキットの中には、アドレスのデコーディングが不完全なため、不使用空間のほとんどないものがあります。」の一節が当時の状況を偲ばせる。
メモリ増設を考慮せず、というよりICチップ数を減らして全体を安く(簡素化)するため簡易なデコードで済ませていたのだ。


上のPROMライタ付きRAM/ROMボードは、レーザーディスプレーの仕事で使っていた。
当時単体のPROMライタは値段が高く、ボード単体ソフトいらずスイッチひとつでPROMに書き込めるので便利だった。
なんとこちらのサイトでこのボードのマニュアルとボード画像(スクロールすると出てくる)が公開されている。
物持ちの良い方があちらこちらにいらっしゃるのには感心・感謝である。

こちらは上で紹介したボード画像にも出てくる。
本来ボードに載せるべきRAMが手に入りづらいため、半分の容量のRAMを2個乗せて代用させるアダプター付きRAMである。
2013年9月9日
ハウステンボスで撮影したクルマの画像を集めてみた。
これら3枚はオープン前、’92.2.23に撮影
2013年8月30日
ハウステンボスのオープン時、サウンドギャラクシーに仕事で関わったことなどを以前書いたが、ふと、ハウステンボスのオープニングCMを思い出した。あのピーター・オトゥールの出演したCMである。
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私は浅草近くの生まれで子供の頃は親に連れられて浅草松屋屋上の遊園地に遊びに行っていた。屋上は遊園地だけなくミニ動物園も兼ねており、アシカ(オットセイ?)の飼われていた檻を覚えている。
回転式展望タワーのようなゆっくりとした回転ではあるが、2つの回転の組み合わせにより回転と傾斜方向の予測がつかずなかなかスリリングだった。
2013年1月3日
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音楽テクニカルライター布施雄一郎さんのブログ“口は災いの素”にコメントを書いたところ、ご返事のコメントをいただいた。



2012年12月27日
ナック マイ・シャローナ 1979で少し述べたYさんの自宅兼仕事場、福生の米軍ハウス・ジャパマハイツの一軒家。平屋だがアメリカサイズ?で、玄関を入った広いLDKを中心に周りに8~10畳くらいの部屋が3つくらいあったと思う。冬は寒くLDKには煙突付きの大型石油ストーブ(ポット式)が置いてあった。上記のジャパマハイツのページでは”夏暑く”とあるが、夏は湿度が低く快適だったと記憶している。
福生駅を降りると駅前には送迎用の米軍基地ナンバーのクルマがとまっていたりした。
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