BOSE SoundDock 10を外付けBluetoothレシーバーで鳴らす 2020

以前投稿したBOSE SoundDock® digital music systemの改造ブログの注目度が高く感謝している。

と言いつつ何となく申し訳ないのだが、2019年5月からBOSE SoundDock 10を使用している。当時中古で¥25,000。
Bluetooth dock が付属しており試しにBluetooth接続で鳴らしてみるとこれがひどい音。こんなはずないだろうという、何というかスカスカな音に驚き以前のAUXケーブル接続 に戻すとまともな音になって一安心。

古いバージョンのBluetooth接続の問題なのかこの個体だけの問題なのかは分からない。

その後PCのスピーカー出力端子からのケーブル接続で使っていたがケーブルを椅子のキャスターに引っ掛けて断線させてしまい、2020年1月に良さげなBluetoothトランスミッター・レシーバーをAmazonで購入し交換してみた。

トランスミッターはUSBポート直挿しタイプで、レシーバーは充電式でないUSB給電タイプ。トランスミッターはメーカー名は異なるが中国製のこれで、レシーバー(やはり中国製、トランスミッター両用)は既にAmazonに見当たらない。共にBluetooth5.0で aptX対応。

トランスミッター、レシーバー共にアンテナが付属し、直線距離で10m位離れているが全く問題なし。

ケーブル接続からBluetooth接続に変更後の音質は、高域が伸びて音像の定位がしゃっきりした感じである。10m以上のケーブルで音質が劣化していたのだろう。今はレシーバーからのラスト40cmだけアナログケーブルとなっている。

SoundDock 10はアンプラグドでシンプルな楽器構成なほどそれぞれの音が際立つ印象だ。
BOSE Wave SoundTouch music systemのCM文章内で故羽田健太郎氏が、BOSEでピアノを聴いていると その室内に入ってきた人がてっきり羽田氏が実際にピアノを弾いているのだろうと勘違いしていて驚く、というのがあったがこのスピーカーもこのようなアルバムの音量を上げるとピアノが見えてくる。

 

 

SWITCHED-ON BACH スイッチト・オン・バッハ 1968

発売当時購入したLPレコードである。アメリカで発売されたのが1968年10月なので、この国内盤は1969年発売だったかもしれない。ジャケットはバッハ先生が座っている初期版。

これも当時購入した1969年発売のSWITCHED-ON BAROQUE スイッチト・オン・バロック。SWITCHED-ON BAROQUE なるタイトルは日本盤だけの副題らしく、海外盤ではThe Well-Tempered Synthesizer(良く調律されたシンセサイザー)としか書かれていない。

このジャケットの銀と白ストライプの空間は何となく「タイムトンネル」を思わせる。

そしてこれも1970年当時購入したSWITCHED-ON CHRISTMAS、明らかにSWITHED-ONシリーズの人気に便乗した企画盤と思っていたらオリジナルタイトルはCHRISTMAS Becomes ELECTRICで、今回50年近く経ってタイトルロゴの下に小さくCHRISTMAS Becomes ELECTRICと書いてあるのに気が付いた(笑)。もちろん演奏はワルター・カーロスではない。

レコードプレーヤーを処分してしまい30年間聴けなかったのだが最近CDボックスセットがあることを知り中古購入してみた。リマスター盤で1974年に初版、1999年に第2版が出ていて購入したのは第2版、とはいえこれももう20年経っている。初版の解説書に加え分厚い第2版の解説書が付き機材について詳しく述べられている(当然英語だが)。

CDは上記のSWITCHED-ON BACH,THE WELL-TEMPERED SYNTHESIZERに加えSWITCHED-ON BACH II,SWITCHED-ON BRANDENBURGSの4枚。

 

COMKIT 8060に付属していた「APPLICATION FOR NIBL VOL.1」平綴じ冊子 1978

自分でNIBL BASICマシンを自作した話は先日書いたが、仕事でもアドテックシステムサイエンス製COMKIT80608061あるいは8062(搭載RAM量の違うモデルか?)を使用したレーザーディスプレーコントローラーを製作して1980年頃に新宿のディスコに納入したことがある。

そのCOMKITに付属していたのがAPPLICATION FOR NIBL VOL.1なるタイトルのB4用紙を横方向にホチキスで綴じた冊子。

NIBL BASICのプログラム24例と、未完の大作?!NIBL TREKが載っている。文章が全て手書きであることにまず驚くが、つまり日本語を扱えるPC・ワープロがまだ無かったということだ(正確にはこの年東芝が初の日本語ワープロJW-10を発売したが630万円した)。プログラムリストもプリンタ出力を切り張りした感じである。

APPLICATION FOR NIBL VOL.1.PDF

表紙

まえがきと目次

EXPO’70 大阪万博で撮った写真 1970

(以前書いた)修学旅行で大阪万博に行った1970年4月30日に撮ったカラーネガフィルムを、フィルムスキャナーでデジタル化してみた。

フィルムはフジカラーN100、カメラはオリンパスペンEES(ハーフサイズ)。

この日は鉄道がストで入場者数が少なかったのだが、画像で見ても確かに混んでいない。場所によっては閑散としているようにも見える。

前回カラープリントからスキャナーで取り込んだ画像はこのフィルムには無く、修学旅行で万博会場内を撮ったフィルムがもう1本あることが分かった。また万博にもう1日行った際、父のキャノン7で撮ったカラーネガフィルムも出てくるかもしれない。

しかし、当時サービスサイズプリントでしか見なかった画像を、50年後に4Kディスプレーで見ることになろうとは。。。

 

プラザ勝どきの入居パンフレット 1987

1987年末か1988年年初、中央区勝どき橋のたもとに建ったプラザ勝どきに引っ越した。

現在デニーズが入っている場所には双葉亭というフォーマル寄りのフレンチレストラン、スポーツクラブNASの場所には勝どきウェルネスクラブというスポーツクラブがあり、そのクラブはバブル期だけあって入会時に数百万の保証金が必要かつ年齢制限(大人のみ)があった。

ここに住んでいた頃、田原俊彦主演のTVドラマロケに銀座で遭遇したり目の前の勝どき橋に屋台を置いてロケをしていた記憶があり検索してみたら、教師びんびん物語第4話にその屋台が登場しており背景に上記双葉亭の看板が映っていた。

当時、営団地下鉄有楽町線月島駅はまだ存在せず(開通は1988年6月)、都バスで銀座方面に出るか日比谷線築地駅まで歩くかいずれかだった。

プラザ勝どきの隅田川対岸や、勝どき橋を挟んだ向かいのたもとにはまだ倉庫が残り、晴海通り向かいにはゴルフ練習場!があった。

西仲通りのもんじゃ焼きはすでに有名だったがもんじゃ店の数は今よりずっと少なく、魚屋、煎餅屋、味噌樽を並べた乾物屋等他の商店の方が多かったと思う。引っ越した当初、月島もんじゃ元祖と呼ばれる好美家さんに行ったことがある。

当時晴海団地晴海高層アパートは健在。2階建ての教習コースのコヤマドライビングスクールも現役。そして晴海には東京国際見本市会場があり、晴海団地沿いに左へ行けば豊洲の造船所があった。当時豊洲はIHIの企業城下町感が強かった。

プラザ勝どきのパンフレット 表紙・裏表紙

プラザ勝どきのパンフレット 1

プラザ勝どきのパンフレット 2
航空写真に注目!

プラザ勝どきのパンフレット 3

共益費

お申込みからご入居まで

プラザ勝どき 新築時の賃料表
賃料表 私が住んでいたのはワンルーム

浅草寺五重塔に上ってみた2 2018

2018年12月8日、1年ぶりに浅草寺五重塔に上った。これが2回目。もちろん本来の目的は五重塔最上層聖佛舎利の参拝であり、五重塔牌殿への参拝と回向法要のためでもある。

五重塔は牌殿の回廊に囲まれた地上から2.5階位の高さの広場に建っているので、五重塔基壇(1層目)は地上から3階位の高さとなる。

今回気が付いたのだが五重塔内の階段は右回りと左回りの二通路あり、上り下りで別な通路を通る流れになっているので狭い階段ですれ違わなくて済んでいる。

五重塔院入口 観光客向けに「members only」表示があった(笑)
間近から五重塔を見上げる
回廊広場から見上げる五重塔
基壇への階段左右一対の蓮
五重塔基壇(1層目)から伝法院方向を見る
五重塔基壇から本堂を見る
五重塔基壇から宝蔵門・スカイツリーを見る
五重塔最上層から本堂を見る
五重塔最上層から宝蔵門・スカイツリーを見る
五重塔最上層から花やしきを見る
五重塔最上層から伝法院庭園を見る
五重塔最上層から仲見世を見る
浅草寺五重塔に上ってみた 2017

浅草寺五重塔に上ってみた3 2019

IMAXで「2001年宇宙の旅」を観る 2018

11/1、TOHOシネマズ日比谷で公開最終日最終回21時から「2001年宇宙の旅」を観た。

この日は実家の父が60年ぶりの引っ越しという大イベント日だったのだが、前日の夜引っ越し先でニトリの家具を組み立てながらTBSラジオを聴いていると、ライムスター宇多丸氏が現在IMAXで「2001年」が公開されていて明日(11/1)が最終日と言っているではないか!知らなかった、観るしかないでしょとスマホで予約。

「2001年」は1968年公開当時京橋のテアトル東京でシネラマで観た。劇場前のスペースにモノリスのレプリカが立ち、入場者に向けてモノリスとは何か?なるモノリスクイズイベントが行われていたと思う。

ちなみにこの前年テアトル東京で観たのは「グラン・プリ」。当日のF1レースを舞台にした映画で本田宗一郎をイメージした日本人経営者役に三船敏郎、フェラーリチームのベテランF1ドライバー役にイブ・モンタン!といった配役で、今でも迫力はありそうだが60年代中頃の懐かしさも満点だろう。

「2001年」と今並べたらとても1年差で日本公開された映画とは思えまい。

今回の上映で気づいたこと

宇宙ステーションへのパンナムシャトル機到着シーンで機体が入ってくるステーション内のドッキング空間の四方に窓越しのコントロールルーム室内と人々が合成(多重露光)されているが、その中に位置が一瞬ずれる窓がある。デジタル化で画面位置がビシッと静止した結果アナログ上映では問題なかったカットが気になってしまうのか。こちらのブログの最後でもふれられている。

パンナムシャトル機、月面へのシャトル船やスペースポッドの操縦席はグラスコックピット化されており、操縦桿ははっきり分からないがジョイスティック風で現在のエアバス機と同じと言える。しかし今回見つかりました、数字表示のニキシー管!惜しい。

エンドロール終了後も美しき青きドナウが流れ続けること。現在の映画からは信じられないくらい短いエンドロール終了後、フェードアウトするかと思いきや曲終わりまで流れていた。テアトル東京で上映前の暗闇の中で前奏曲を聴いたのは覚えているが、最後は覚えていなかった。また、今回前奏曲部分ではうっすら灯りが点いていたが、個人的には映画上映時と同じく灯りは消して欲しかった。

今回の上映で驚いたこと

映画の内容ではない。「2001年」には途中15分間の休憩が入る。トイレから戻って来ると何と客席にポツポツとスマホの灯りが見える。多めに言って観客の1/4~1/5位?オイオイ歴史的名作を鑑賞中なのにそんなに現実に引き戻されたいか?!と突っ込みたかったが、約1時間半の映画上映でスマホ禁断症状が出たのかも、と考えたら怖くなった。