KBS レザリアムセンター -3- 1978

KBS レザリアムセンターは1978年3月19日に公演終了となり、同年10月から東京池袋サンシャインシティで公開されることになる。

公演終了記念として”レーザーとホログラフィー展”が開催された。
こちらに終了間際のレザリアムをレポートした記事がある。
以下は”レーザーとホログラフィー展”のパンフレット。京都のレザリアムをもう一回観に行った記憶が無いので、東京でのレーザー関連の展示会か何かで手に入れたのだろうか。
Laser_and_Holography1.jpg
Laser_and_Holography3.jpg
Laser_and_Holography2.jpg


2014年3月8日

サンシャイン・レザリアム -1- 1978

1978年10月から、池袋サンシャインシティのプラネタリウムドームでレザリアムが公開された。

プログラムの内容は京都で上演されていたものと同じである。
こちらの8ページ目に見学記が載っている。
以下はパンフレットで2種類手元にある。10月5日公開決定!と記載されている方が公開間近に配布されたものだろうか。
サンシャイン レザリアム パンフレット1
サンシャイン レザリアム パンフレット2
サンシャイン レザリアム パンフレット3
サンシャイン レザリアム パンフレット4



2014年3月8日

サンシャイン・レザリアム -2- 1978

サンシャイン・レザリアムの入場券、裏は広告。以下画像クリックで拡大。

サンシャイン・レザリアム チケット1
サンシャイン・レザリアム チケット2


多分、入場者に配布されたと思われるプログラム。21cm×20cm。巻々四つ折になっている。
表紙と裏表紙。
サンシャイン・レザリアム プログラム1
サンシャイン・レザリアム プログラム 裏表紙


見開き。
サンシャイン・レザリアム プログラム 見開き


全部広げた左3面。
サンシャイン・レザリアム プログラム 三面


広告ページ表、裏。光洋は今でも有楽町ビルで営業中
サンシャイン・レザリアム プログラム 広告1
サンシャイン・レザリアム プログラム 広告2


2014年3月21日

サンシャイン・レザウンド 1986

これは和製レザリアム?といったようなもので、1986年10月~12月の3ヶ月間サンシャインプラネタリウムで行われたレーザーショーである。下はパンフレット(クリックで拡大)。

Sunshine_Lassound_pamphlet1.jpg
Sunshine_Lassound_pamphlet2.jpg


勤務先の仕事として私も制御系開発担当として関わっていた。
少なくとも1984年に京都で開催された国際伝統工芸博サントリードームの時にはレーザーショーシステムをSMPTEタイムコードで音声や外部機器と同期できるようにしていて、ここではその改良版システムが使われていたと思う。自動再生で上映中のオペレーションは不要だった。下はプログラムより。
Sunshine_Lassound_program1.jpg
Sunshine_Lassound_program2.jpg
 
 
 

Sunshine_Lassound_program3.jpg


確かFM局とタイアップして聴取者ご招待上映会もあったと思う。
さて、ここをご覧の方でレザウンドをご記憶の方 がいらっしゃいますかどうか。。。

2014年4月12日

浅草松屋 スカイクルーザーはどこに設置されていたのか?2 2016

前回のブログで、航空艇の乗り場が後にスカイクルーザーの乗り場に改修されたのでは?と推測したが他の画像からそれで合っていたことが分かった。

以下屋上遠景2点と航空艇乗り場を切り出したもの
松屋絵葉書1.jpg航空艇乗り場1.jpg

松屋絵葉書2.jpg航空艇乗り場2.jpg












左端に航空艇乗り場が見えている
20080302173625.jpg

2016年1月11日

浅草松屋 スカイクルーザーはどこに設置されていたのか? 2016

何十年かぶりに?浅草松屋の屋上に行ってみた。

以前書いたスカイクルーザーはどこに設置されていたのだろう。
デパート竣工時の屋上(クリックで拡大)赤矢印のが現在のこの建物だろう
竣工時屋上矢印.jpg
塔屋1.jpg


屋根周りの装飾や外壁のタイルなどは失われているが、窓の位置、入り口ドアの位置、ドア上の庇の形状が一致している。
結論から言うとこの塔屋の上にスカイクルーザーが設置されていたと思われる。
そして竣工時画像左端、手前の塔屋には屋上に上る階段がすでにある(下端1/6追記参照)。
以前の記事中でも引用させていただいた1955年の映画「東京暗黒街・竹の家」から、この塔屋の階段側から見たシーンがこれ↓
竹の家塔屋1-1.jpg


そして乗り場側からの遠景だと↓

竹の家塔屋1・2.jpg

塔屋1・2.jpg

乗り場へ上がる階段が付いているのが、この画像左側の塔屋だろう。現在画面奥から上ってくる階段は、塔屋左手から右手踊り場に上がり折り返して左手屋上へと設置されていたようだ。
以下「東京暗黒街・竹の家」から別なシーン
↓乗り場階段下側より見上げる
竹の家塔屋1・2-2.jpg


↓乗り場へ向かう階段(かなり急だ)

竹の家塔屋階段.jpg
竹の家塔屋から屋上.jpg


↑乗り場への階段からカメラを右へふった画像だが、右手前に豆汽車、奥に飛行塔、最も奥に円盤が斜めに回転する乗り物(外周に回転方向を向いた座席が付く・名前に「ロケット」が付いていたと思う)、左奥には動物のいる檻、その奥には観覧車が見えている。これ全部乗ったなぁ。
スカイクルーザー乗り場から見たと思われる東武の鉄橋と隅田川(左)、屋上からだが現在の風景(右)
竹の家東武鉄橋.jpg

東武鉄橋・ツリー.jpg


「東京暗黒街・竹の家」の予告編を観て動いているスカイクルーザー(02:04あたりから)を発見!
座席の動きが記憶通りで安心したが、前回記憶で書いた回転構造と違っていた。
台座上に載っている鉄骨製の回転筒?と中央の半円地球儀が一体で回転しており、回転筒に斜めに取り付けられた観覧席部分がそれとは逆回転していたのだった。
単純に回転しているだけでも当時十分であっただろうに、凝った構造にしたものである。
1/6 追記
デパート竣工時の画像を見ていてアッと気が付いた。画面左端にスカイクルーザー乗り場に向かう階段がすでにあるではないか!ただ塔屋屋上には後に無くなっている張り出し部分が付いている(「乗り場階段下側より見上げる」画像と比較)。
ロープウェー(航空艇)は屋上を斜めに縦断しており、竣工時の画像でロープウェーが画面奥まで進んだ端の画像がこれ↓だ。煙突が写っているので間違いないだろう。
浅草松屋航空艇終端.jpg
こちら側には乗降用ホームがない。
後のスカイクルーザー乗り場の位置にロープウェーの乗降用ホームがあったのではないか。おそらくこのロープウェーは交走式で、1台の搬器がホームにいるときもう一台はこの画像の位置にいたのだろう。乗客は往復後降りることになる。
もう一点。竣工時画像左側奥にいくつか見える動物用の檻の内、最も奥の塔屋に接して建てられているものが上の「東京暗黒街・竹の家」豆記者や飛行塔の写っている画像にもそのまま残っているように見える。

2016年1月4日

浅草松屋 スカイクルーザー 1959

私は浅草近くの生まれで子供の頃は親に連れられて浅草松屋屋上の遊園地に遊びに行っていた。屋上は遊園地だけなくミニ動物園も兼ねており、アシカ(オットセイ?)の飼われていた檻を覚えている。

デパート内には大食堂やホール、結婚式場まであって今に例えるならショッピングモールや遊園地が合体したような施設だったと言えるだろうか。
屋上には「スカイクルーザー」という名の回転式展望台(展望アトラクション)があった。
実家にあった古い写真の背景に浅草松屋が写っている。1959年に父が私を写したもので、隅田川の対岸にあったアサヒビールの工場の前あたりから撮られている。画像はクリックで拡大。
matsuya1.jpg
屋上を拡大すると
matsuya2.jpg
左からスカイクルーザー、中央に飛行塔、右に観覧車が見え、またデパート壁面に「結婚式場」「大食堂」などの文字が掲げられている。
matsuya3.jpg
右側の輪の部分がスカイクルーザーの観覧席である。
左側の建物から斜めに伸びているのが搭乗用のブリッジと思われる。

 

以下、他のページの画像にリンクさせていただく。クリックで元ページを表示。
Skycruiser3.jpg
この絵葉書では松屋屋上の飛行塔と観覧車が見え位置関係がわかる。
スカイクルーザー乗り場への階段はお客さんでいっぱいで人気があったようだ。
スカイクルーザーという名前、今でも古びた感じがしない。ミニバンのネーミングにありそうだ(笑)。
なんて言ってたらバーB747のネーミングに使われていた。
1950年登場当時どんなにかっこよく聞こえたことだろう。
Skycruiser1.jpg
左の画像でスカイクルーザーの構造がよく分かる。
観覧席の回転軸は垂直ではなくやや傾いている。
それだけでは斜めに回るだけだが、建物上の取付台と観覧席部分の間に見える多角柱を斜めにカットしたようなくさび型の部分が観覧席とは逆に異なるスピードで回転する仕掛けになっている。

回転式展望タワーのようなゆっくりとした回転ではあるが、2つの回転の組み合わせにより回転と傾斜方向の予測がつかずなかなかスリリングだった。

Skycruiser2.jpgこちらの画像は1955年(私の写真の4年前!)のアメリカ映画「東京暗黒街 竹の家」のワンシーン。
背景の赤い細長い屋根は仲見世と思われる。
観覧席には当然?!安全ベルトなどというものは無く、外側の手すりも頼りないくらい低い。
私の写っている写真を見直していただきたいが、松屋の隅田川側は2階建ての木造家屋ばかりであり、隅田川の反対方向に当たる左の画像方向でも最も大きな建物が国際劇場位で、スカイクルーザーから見た景色の開放感たるや素晴らしい(結構怖い)ものだったと記憶している。

Matsuya_amusement_park.jpg

浅草松屋の屋上遊園地営業終了を伝える左のニュース内に1971年当時の空撮映像があり、外観は異なっているがスカイクルーザーらしきものが映っている。
Wikipedia他のページでも1960年に撤去されたと書かれているが、さて実際はいつまで現役だったのだろう?

2013年1月3日

LMD-649に使用したメモリボードMD-64 1981

LMD-649に使用したメモリボードの資料が出てきた。画像クリックで拡大。

まず以前のブログでメーカー名を間違っており、株式会社テックメイト製だった。
テックメイトMD-64.jpg
テックメイト価格表.jpg


右が価格表。今から見るとどうしてボード単体やキットで売っているのか不思議に思うかもしれないが、当時はおカネのないユーザー向けに出す必要があったのだろう。
価格表の日付は1978年なので私が購入したときは価格が下がっていたかもしれないが、メモリの値段が凄い。ビット構成をよく見て欲しい。
キロバイトの時代である。
上左のパンフレットにも書いてあるが、外から見るとスタティックRAMボードと同様に使えるのがメリット。
このボードにDRAMを64KB積み、2枚(8bit+4bit)使って12bitA/D,D/Aに対応させ、パンフレット左の図にある8080システムの接続方法で使用していた。このLMD-649を正面から見た画像のケージ一番右寄りの2枚である。
このパンフレットの住所に直接買いに行った記憶があるが、併設されたショップはガラスショーケースが1つ2つある小さなものだった。
他にもメモリボードのパンフレットがあったので載せておく。
テックメイトMC-16_1.jpg
テックメイトMC-16_2.jpg
テックメイトMS-16.jpg


上中央のパンフレットの中の「市販のマイコンキットの中には、アドレスのデコーディングが不完全なため、不使用空間のほとんどないものがあります。」の一節が当時の状況を偲ばせる。
メモリ増設を考慮せず、というよりICチップ数を減らして全体を安く(簡素化)するため簡易なデコードで済ませていたのだ。
テックメイトMR-16_1.jpg
テックメイトMR-16_2.jpg


上のPROMライタ付きRAM/ROMボードは、レーザーディスプレーの仕事で使っていた。
当時単体のPROMライタは値段が高く、ボード単体ソフトいらずスイッチひとつでPROMに書き込めるので便利だった。
なんとこちらのサイトでこのボードのマニュアルボード画像(スクロールすると出てくる)が公開されている。
物持ちの良い方があちらこちらにいらっしゃるのには感心・感謝である。
テックメイト8308ADP.jpg
こちらは上で紹介したボード画像にも出てくる。
本来ボードに載せるべきRAM手に入りづらいため、半分の容量のRAMを2個乗せて代用させるアダプター付きRAMである。

2013年9月9日

32年前の今日 “YMO FROM TOKIO TO TOKYO” 1980

音楽テクニカルライター布施雄一郎さんのブログ“口は災いの素”にコメントを書いたところ、ご返事のコメントをいただいた。

その中で、32年前の今日武道館で行われた”YMO FROM TOKIO TO TOKYO”公演中の電飾について(以下引用)
…と今日、当時を懐かしみながらコズミック・サーフィンの画を見ていたら、イントロからAメロに入る瞬間に、センターに『M』の文字が一瞬見えまして。左右の端がフレームアウトしているのですが、その瞬間『あれ?』と思って見直したら、このタイミングの一瞬だけ、『YMO』と表示されていたんですね!!!
http://twitpic.com/bplmo1
とあったので補足させていただく。
この日ファイアクラッカー後アンコールに入り、パネル全点灯のままタイトゥン・アップ。
次のコズミック・サーフィンのイントロで”YMO”の文字を残すようにパネルがポツポツ消えていき、Aメロで”YMO”を表示。
その後”YMO”の文字を連続して上スクロールさせる演出だったのだが、どのタイミングまでスクロールさせていたか忘れていた。が、今日DVDを観ていて私自身映像からそのタイミングを思い出すことができた(笑)。

“YMO”の文字が表示され、この後文字が1ブロック上に動くのが一瞬見える。
YMO_Logo1.jpg


そしてスクロールは続き。。。
このカットで背後に”Y”の右上のブロックが見え、
YMO_Logo2.jpg


次のこのカットで”Y”が1ブロック上へスクロールしていることが分かる。
YMO_Logo3.jpg


そしてこの後文字は消え、四角ブロックの点滅へと切り替わっていく。
布施さんのブログにコメントを書かせていただいた時点で日付は全く意識していなかったのだが、
奇しくも32年後の今日このブログを書けるとは、布施さんに感謝いたします。
探せばまだこんな小ネタが出てきそうである。

2012年12月27日

YMO The Beeライブ画像 1979

The BeeにYMOがやって来た 1979 の中で、このライブ(YELLOW MAGIC SHOWと題された関係者向けショーケースライブ?)の画像や動画があったら見てみたいと書いたが、自分で持っていた(笑)。

といっても雑誌GOROの「テクノ・ポップス」特集記事(文・北中正和)内の小さなカットである。
このカットに撮影データはついていないが、背後にレーザーが投影されているディスコのダンスフロアでのYMOライブといえば”The Bee”しかない。
ページだけ外してとってあったのでいつの号かは不明。綺麗じゃないのはご勘弁を。クリックで拡大。
YMOatTheBee.jpg


背後のリサージュ波形は赤のようだが上のライン(レーザーで面を出していたかな)でクリプトンレーザーの4色であることがわかる。
これ自分がオペレートしてたんだなぁ(遠い目)。
2014.2.12 追記
2003年に”Weekly YMO web magazine”なる有料メルマガがあったことを今日知った(笑)。
その中にこのライブも取り上げられており画像があったかもしれない。
メルマガ目次                    10 11 12
おまけ
“The Bee”の原始的レーザー図形再生機で使用していた”The Bee”のロゴデータシート。
beelogo1.jpg
beelogo2.jpg
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2014年2月9日