SONY GV-D200で8mmビデオをデジタル化してみた 2022

概要

SONY GV-D200ポータブルビデオレコーダーのDV端子とWindows10パソコンに取り付けたIEEE 1394ボードをケーブルで接続し、PowerDirector 365で8mmビデオをデジタル化した。

問題点(1) 取り込もうとすると数秒でビデオレコーダーが停止してしまう → PowerDirector 365の設定変更で解決した

問題点(2) 複数の8mmカセットを再生していたら(画面が黒いままで)再生できなくなってしまった → クリーニングカセット使用で解決した

問題無かった点 他のWebページで指摘されているIEEE 1394ドライバーの問題は無く、IEEE 1394ボードをパソコンに取り付けた時に自動インストールされたドライバーのままで使用できた。

昔、8mmビデオカメラ8mmビデオデッキで録画した8mmビデオカセットを再生しデジタル(動画)化しようと考えた。業者に依頼するのが最も簡単だがラベルも記入していないような8mmカセットが沢山あり、まず自分で視聴しなければ始まらない。

8mmビデオデッキはすでに手元に無いので調べてみると生産終了した最新機種はSONY GV-D200GV-D800(液晶モニター付き)であり、これらの製品のレンタルも行われている。正確に言えばこれらはデジタル8用録画再生機であり、ビデオ8、Hi8カセットは再生のみ可能。が、デジタル8機種である大きなメリットがありなんとビデオ8、Hi8カセットがDV端子(i.Link、IEEE 1394)からデジタル再生可能なのである。これならコンポジットビデオをキャプチャーするより画質が良さそうだ。ここではDV・i.Link・IEEE 1394どれも1つの同じデジタル信号を意味する。

このWebページでWindows10パソコンにIEEE 1394ボードを取り付けDV信号を取り込む方法が紹介されていたのでやってみることにした。

まずSONY GV-D200の中古品を¥74,800で購入。レンタルでは日数が限られ厳しく、ならば中古品を買ってデジタル化が終了したらレンタル2回分くらい安くしてメルカリで売った方が良いと考えた。IEEE 1394ボードはAmazonで安かったこれ、取り込み・デジタル化ソフトウェアはPowerDirector 365を購入。使っているパソコンはWindows10上でWindows11アップグレード可能と表示されるi7CPUマシン。

パソコンにIEEE 1394ボードを取り付け、PowerDirector 365をインストール。GV-D200の4ピンDVコネクタとIEEE 1394ボードの6ピンコネクタをケーブルで接続。電源オン一発でパソコンからDVデッキを認識してくれた。デバイスマネージャーで表示されたものがこれ(一部表示)。

PowerDirector 365から「取り込み」画面へ行き画面の再生ボタンを押すと見事取り込み再生が出来た!と思ったがなぜか数秒で勝手に停止してしまう。取り込み録画でも同様に停止してしまう。これは参考にしたページ他のページでも指摘されているIEEE 1394ボードのドライバー問題なのかと思ったがそうではなかった。PowerDirector 365の「編集」「基本設定」「取り込み」内の「DVパラメーター」で「テープに長いブランクがある場合、取り込みを自動停止する」のチェックマークを外したら問題解決。やれやれ。

取り込み時GV-D200の操作はPowerDirector 365の画面上ボタンから行え(DV-D200には触る必要が無く)大変便利である。

ところが手当たり次第に古い8mmカセットを再生していたら画面が黒くなり、未録画だったかなと元のカセットに戻しても再生できなくなってしまった。ちょっと青くなったが持っていたクリーニングカセットSONY CLEANING CASSETTE V8-25CLHを使用したら復活、問題なく再生できるようになった。古いカセットにはテープが劣化しヘッドを汚してしまうものがあるようだ。古い8mmカセットのデジタル化にはクリーニングカセット必須である。

女の子が作ったパソコン通信ガイド 1988

1988年5月1日アスキーから初版発行の本である。今ではちょっと付かないであろうタイトルだが。

1章ではパソコン通信でできることの解説から始まり、2章で実際にゼロからパソコン通信を始めるまでの手順を日記風に紹介し、3章「よろしく、私たちネットワーカーです」では運営やシグオペやヘビーユーザーとしてパソコン通信にかかわる女性たち18名が紹介され、4章でパソコンやモデムや通信ソフトなどが具体的に述べられて巻末には東京秋葉原・大阪日本橋のショップMAPやメジャーなパソコン通信サービス、用語集などが載っている。

私は最初テスト運営時代のアスキーネットに参加し、アスキーネットがACS・PCS・MSXに分かれたあたりからニフティ・サーブに移っていった。

読み返してみて意外だったのは1988年でまだ通信速度が最速2400bpsだったことと、紹介されていたPC-9801VX21(5.25インチフローピーディスクドライブ2台内蔵)の本体価格が¥433,000もしていたことである。エプソンのVX21互換機で¥298,000とやっと30万円を切っている。今から考えればモデムやソフトなど周辺機器+電話代(テレホーダイは1995年とまだまだ先)と多額の費用をかけて文字だけの通信をしていたのだ。

またなるほどと思ったのは当時ワープロ専用機でもモデムを接続・内蔵してパソコン通信可能な機種があったこと。ワープロ機で十分ならコストが抑えられてこれも実用的だったろう。ここでワープロオアシスとニフティ・サーブについて詳しく述べられている。

東京秋葉原マップも懐かしい。なにせ神田青果市場が健在。家電量販店は石丸電気サトームセン第一家電ナカウラ皆盛業中。牛丼どんどん、アキバに行くとよく利用してた。石丸電気の領収書 1982

この本でパソコン通信にかかわる人達をネットワーカーと呼んでいるのが興味深い。パソコン通信はインターネット接続とは別物なのでアクセス手段としてのネットワーカーという言い方は間違っているのだが、結果的に人脈が広がるという感覚では合っている。

この本でネットワーカーとして紹介されている女性たちの中に知り合いが3人いて後に1人とパートナーになったことは、内緒にしておこう。

COMKIT 8060に付属していた「APPLICATION FOR NIBL VOL.1」平綴じ冊子 1978

自分でNIBL BASICマシンを自作した話は先日書いたが、仕事でもアドテックシステムサイエンス製COMKIT80608061あるいは8062(搭載RAM量の違うモデルか?)を使用したレーザーディスプレーコントローラーを製作して1980年頃に新宿のディスコに納入したことがある。

そのCOMKITに付属していたのがAPPLICATION FOR NIBL VOL.1なるタイトルのB4用紙を横方向にホチキスで綴じた冊子。

NIBL BASICのプログラム24例と、未完の大作?!NIBL TREKが載っている。文章が全て手書きであることにまず驚くが、つまり日本語を扱えるPC・ワープロがまだ無かったということだ(正確にはこの年東芝が初の日本語ワープロJW-10を発売したが630万円した)。プログラムリストもプリンタ出力を切り張りした感じである。

APPLICATION FOR NIBL VOL.1.PDF

表紙

まえがきと目次

大越電機工業製作所の販売基板で製作したCRTターミナル 1979頃

NIBL BASIC ROMを買ったのは東急ハンズだった! 1978 の中で書いた自作CRTターミナルに使用した基板の資料が出てきた。

購入した基板と一緒に送られてきた回路図その他である。まず、コピーが青焼き。
大越電機工業製作所 雑誌広告
これはトラ技の広告原稿そのものと思われる。
左側の22,23,24番3枚の基板を購入した。
大越電機工業製作所のウェブページ
両面基板作成可能だがスルーホール無しというのはこの当時と同じ。ガーバーデータ受付なし、短期間作成も不可と我が道を行ってます。
あれ?更新日2008年6月1日で「現在、受注を中止しております」だって?
(22)CRTディスプレーキャラクター用基板
大越電機工業製作所 CRTディスプレーキャラクター用基板回路図
22ptn2.jpg

(23)CRTディスプレーコントロール用基板
大越電機工業製作所 CRTディスプレーコントロール用基板回路図
23ptn.jpg

(24)UART・エンコーダー・フルキー用基板 および22,23,24基板間接続図
大越電機工業製作所 CRTディスプレーUART・エンコーダー・フルキー用基板回路図
connect.jpg
keyptn.jpg

これが変な並びのキーボード(当時書いた配置図)。
うーん(笑)。
基板だけ買ってよく動いたものである。
確かパターン修正しないと動かなかった記憶もあるし。。。

2013年9月23日

LMD-649に使用したメモリボードMD-64 1981

LMD-649に使用したメモリボードの資料が出てきた。画像クリックで拡大。

まず以前のブログでメーカー名を間違っており、株式会社テックメイト製だった。

MD-64 64Kバイト ダイナミックRAMボード パンフレット 1
MD-64 64Kバイト ダイナミックRAMボード パンフレット 2

右が価格表。今から見るとどうしてボード単体やキットで売っているのか不思議に思うかもしれないが、当時はおカネのないユーザー向けに出す必要があったのだろう。
価格表の日付は1978年なので私が購入したときは価格が下がっていたかもしれないが、メモリの値段が凄い。ビット構成をよく見て欲しい。
キロバイトの時代である。
上左のパンフレットにも書いてあるが、外から見るとスタティックRAMボードと同様に使えるのがメリット。
このボードにDRAMを64KB積み、2枚(8bit+4bit)使って12bitA/D,D/Aに対応させ、パンフレット左の図にある8080システムの接続方法で使用していた。このLMD-649を正面から見た画像のケージ一番右寄りの2枚である。
このパンフレットの住所に直接買いに行った記憶があるが、併設されたショップはガラスショーケースが1つ2つある小さなものだった。

他にもメモリボードのパンフレットがあったので載せておく。

MC-16 16Kバイト メモリボード パンフレット 1
MC-16 16Kバイト メモリボード パンフレット 2
MS-16 16Kバイト スタティックRAMボード パンフレット

上中央のパンフレットの中の「市販のマイコンキットの中には、アドレスのデコーディングが不完全なため、不使用空間のほとんどないものがあります。」の一節が当時の状況を偲ばせる。
メモリ増設を考慮せず、というよりICチップ数を減らして全体を安く(簡素化)するため簡易なデコードで済ませていたのだ。

MR-16 16Kバイト RAM/ROM/PROMライタボード パンフレット 1
MR-16 16Kバイト RAM/ROM/PROMライタボード パンフレット 2

上のPROMライタ付きRAM/ROMボードは、レーザーディスプレーの仕事で使っていた。
当時単体のPROMライタは値段が高く、ボード単体ソフトいらずスイッチひとつでPROMに書き込めるので便利だった。
なんとこちらのサイトでこのボードのマニュアルボード画像(スクロールすると出てくる)が公開されている。
物持ちの良い方があちらこちらにいらっしゃるのには感心・感謝である。

8KスタティックRAM 8308ADP

こちらは上で紹介したボード画像にも出てくる。
本来ボードに載せるべきRAMが手に入りづらいため、半分の容量のRAMを2個乗せて代用させるアダプター付きRAMである。

2013年9月9日

パソコン自作力検定を受けてみた 2012.1.29

今日、パソコン自作力検定を受けてみた。

パソコンスペック記憶力検定だった。パソコンショップパーツ売り場店員採用試験と言えば分かりやすいだろうか?私自身は何とか70点位はいけたかなといったところ。
確かにスペック知識も自作の大切な側面だと思うが、全くパソコンを自作したことのない人間でも今日の問題なら暗記で満点近い点数が取れるだろう。
記憶力だけではまずいと出題者が思ったか、自作にもスペックにも関係ない小ネタ問題があったのも?だった。あと、正解のない問題が1問あったような気がする。
何の役に立つのか分からない第1回検定なのだからもう少し楽しい問題だったら良かったのだが(それを言ってしまうとペーパーテストでは無理かもしれない)。
取材の方が数名いらしていたようなのでどうだったか明らかになると思うが、試験会場をざっと見渡したところでは女性の方はお見かけしなかった。ちょびっと悲しい。
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・試験問題の再現 
方法の如何を問わず再現、試験問題の全部もしくは一部またはそれらの概要を、インターネット・テレビ・ラジオ・メール・文書・講義の他の手段を用いて不特定または多数の者が閲覧・視聴可能な状態に置くことを禁止します。
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って主催者は言っているので以上なるべく曖昧に(笑)。
試験の開始時、パ自検公式サポーター嬢にご挨拶(MC)いただいたのだが、会場の雰囲気との落差ぶりに受験者全員がコケた(嘘)。彼女が公式サポーターコスチュームの印象とは違いかなりな着エロ系なことがアキバらしいとも言える。

2012年1月29日

月刊ログイン アダルトソフトウェアコンテスト 1984年10月号

今回は少し恥ずかしい(笑)過去の出来事である。

月刊ログインで1984年に数ヶ月にわたってアダルトソフトの特集が組まれたことがあり、そのイベントとしてアダルトソフトウェアコンテストが行われ1984年10月号で結果発表された。
そこで1位を取ってしまった。賞金10万円20万円也。
当時PC-9801に接続できるビデオキャプチャー装置(ボードではなく3Uラックマウントケースくらいのサイズのもの)とビデオカメラ(白黒・SONY製)を持っていた。
それで神田で売っていたグレーゾーンのグラビア誌を取り込み、20枚くらいの画像をつなげて大きな仮想スクリーンとし画面上で自由にスクロールして好きな画像が見られるような、今で言えば画像ビューワーソフトを作った。TurboPascalで書いたかBASICだったか覚えていない。どの98でも動作するようにBASICで作成したと思う。
ソフトウェアのタイトルは”Windows”。翌1985年にアメリカで発売されることになるWindows1.0を意識してそういう名前にしたような記憶もある。
まぁ勝手に取り込んだ画像だったので、発表時にログインに掲載するのだったらグラビア誌の発行元に確認しておいて欲しいと編集部に頼んでおいたのだが、連絡がつかないとかで何となくうやむやに終わったように思う。まぁ、階調も解像度も良くなかったということもあっただろう。

1980 続 YMO FROM TOKIO TO TOKYO 武道館コンサートステージ電飾はPC-8001で制御されていた

ずいぶん時間が経ってしまったが前回のブログに追加。

電球数分のリレーを駆動したことは前回書いたが、当時でももっとスマートな方法はあったと思う。
しかし電飾装置がこのコンサート専用で仕込み日まで存在しないため、電飾屋さんとリレーの仕様さえ決めておけば駆動系を製作できるし単純な方法のほうがリスクも少なく、何より責任分担が明確にできる(リレーの駆動まではこちらの責任、その先は電飾屋さんの責任)ためリレーを並べることになった。
仕込み日、早速電飾装置とPC側とを接続して点灯チェックしたがリレーが動かない。
確認したところ駆動回路中の抵抗値を私が間違えていた。他のスタッフにアキバまで走ってもらいしばし中断(武道館でよかった、近くて)。なかなか点灯しないことにしびれを切らした電飾屋さんに「何待ちですか?!」と険しい顔で問われ、事情を話して平謝り。
やがて抵抗が届き、集合抵抗をICソケットに挿していたので交換は素早く出来た。
今度はリレーが威勢良く?ジャッジャッと動いて無事点灯。ステージ裏でオペレーションしていては見られないので交代してもらいステージ正面で確認したが、その時次々繰り出される電飾パターンを観てポカンとしていた電飾屋さんの顔を覚えている(笑)。点灯したことで険悪なムードも消え、その後電飾屋さんには大変協力していただけた。
電飾が白熱電球であることがよく分かるシーンがある。Citizens of Scienceのバーグラフ風パターンで上の方が暗いことに気付かれると思うが、これは点灯時間が短すぎて100%光っていないためである。
また赤い電球も仕込まれていてRydeenなどで点滅しており、Mapsで全点灯している。が、実は回路数を減らすため赤はズルしていて、全点灯の1回路と確か10~20個程度の散らばった個々の赤の回路しかなく全ての電球を個々にON/OFFすることは出来なかった。なので赤の点灯しているシーンを全部よーく観ると、個々に点灯している赤の位置は決まっていることが分かる(かもしれない)。
この翌年、私はLMD-649の製作でまたYMOに関わらさせていただくことになる。

2012年1月12日

LMD-649のその後 LINDAシステム 1984

「LMD-649の製作 1981」の最後にふれたが、Mさんがファンハウスに移られたあと製作されたのがLINDAシステムである。私はソフトウェアの作成でお手伝いすることになった。

どうしてLINDAという名前だったのかシステム構成がどうなっていたのか忘れていたのだが、雑誌記事が出てきた。サウンド&レコーディング・マガジン1984年8月号である。
LINDA1small.jpg
LINDA2small.jpg


LINN DRUMをプレーヤーとして使用するのでLINDAだったのだ。
PC-9801からROMエミュレーターを介してリンドラムのROMコネクタに接続し、リンドラムから見るとROMだが実態はPC-9801で録音・加工・編集出来るRAMとなっている。
PC-9801側のA/D,D/Aは8ビット折れ線。リンドラムも8ビット折れ線だったのだろうか?
調べてみると初期型LM-1は8ビット、後期型LM-2が12ビットとなっていて、この雑誌画像はLM-2のように見える。とすると4ビットシフトして上位8ビットのみ使用していたのかもしれない。
ソフトウェアはPC-9801MS-DOS上のTurboPascalで開発したと思う。
エディタ環境がかなりカスタマイズでき使いやすかった。この後PC-9801のCRTのキャラクターを小さくして文字数、行数を増やすソフトウェアが出たのだが、簡単にカスタマイズ可能だった。
今回雑誌を発掘していたらボーランドから送られてきたTurboPascal V2.0発売のチラシとメールが出てきた。価格は$49.95となっており当時非常に安価だったことを思い出した。
borlandmailsmall.JPG
turbopascal2small.JPG

2012年1月10日

NIBL BASIC ROMを買ったのは東急ハンズだった! 1978

1月の「初めてのマイコンECOM-800は自作だった 1978」で以下のように書いた。

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このあと、SC/MP-IIを使いROMで売られていたNIBL BASICを買って回路を組み、シリアルポートに自作のキャラクタディスプレーターミナル(トラ技の後ろのページに載ってた自作用基板+ジャンクの電卓キーをばらして組んだキーボード+ビデオ出力)を接続してビデオモニタに40*25キャラクター表示させてBASICをプログラムできるようにした。
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このターミナルの写真が出てきた。 以下画像クリックで拡大。

自作CRTターミナル

うしてわざわざ電卓キーなんかばらしてキーボードを作るのか今考えれば不思議だが、当時、コンピューター用キーボード(PCはまだ存在しない)は高価だったしPS2コネクタみたいな統一規格もなかったからである。
それによく見るとこのキーボード、並びがすごく変である。アルファベットは問題ないが、カナがキーボード最上段左からアイウエオカキクケ..と並んでいて、じゃ2段目もそうやって続いているのかというとバラバラだ。
電卓キーに合わせて自分でも少し入れ替えたかもしれないけど、このターミナル基板はキーボードマトリクスでキーを読み込んでいたはずだから、このターミナル基板の設計がそうなっていたのだろう。
いずれにせよNIBL BASICではカナは使えなかったので問題なかったのだが(笑)。
さてそのNIBL BASIC ROMを買った時の領収書が出てきた。
NIBL BASIC ROM 東急ハンズ領収書な、なんと東急ハンズで買っていた。
1978年11月26日。
てっきりアキバのロビン電子とかで買ったものとばかり思っていた。
なんでまたハンズで買ったのだろう。
すっかり忘れているが無理やりこじつけてみると。。。
考えてみれば当時個人が買えるような価格のパソコンというものは存在せず、アマチュアが買えるのはCPUメーカーの出していた自社CPUチップの売り込み用評価用キット類(あるいは自作)しかなかった時代。
まぁ、いうなればアマチュアにとってはDIYホビーだったわけで、となれば東急ハンズにマイコンコーナーがあっても不思議ではなかったかな?と。
いまなら大人の科学マガジンといったところか。
しかしTinyBASIC入りのROMが1個¥24,000、よく買ったなぁ(笑)。

2011年8月18日