トイレの窓、開け閉めできる防寒対策DIY 2025

引っ越したUR団地のトイレには窓があり明るくて良い。が、気温が下がってきて窓を閉めていてもガラスとアルミサッシから冷気が(冷蔵庫のドアを開けたように)伝わってくる。

そこでプラダンで窓をふさぎ防寒対策することにした。とはいえ気候によっては窓を開けて換気したいので工夫してみた。

窓サッシサイズは縦62cm横47cmなので91cm*91cmのプラダン1枚と直径22mmの粘着用マジックテープ4組*2をアマゾンで購入。

プラダンの等間隔に並んだ柱(リブ)が横方向になるように縦62cm横47cmにカット。次に縦方向の半分位置の片面の板表面(ライナー)だけを横方向にカッターで切り折り曲げられるよう加工する。

次にプラダン固定用マジックテープを窓サッシとプラダン側両方に貼る。位置合わせのためまずマジックテープのフック(オス)側を窓サッシに貼り、ループ(メス)側を面付けする。ループ(メス)側の接着面が上に向いた状態で位置に注意しながらプラダンを押しつけプラダン側にループ(メス)側マジックテープを貼り付ける。

一度に複数箇所ではなく1カ所ずつ貼る方が失敗しにくい。

以下のように窓サッシ6カ所にマジックテープを貼り付けプラダンを固定した。

マジックテープの貼り付きは予想より強力で、プラダンの開閉のために取っ手が必要となった。そこで100円ショップで吸盤(吸盤フックからフックだけを外した物)と吸盤用の透明円形接着テープ(プラダンに吸盤が付かないため)を買い、取っ手代わりに2つ取り付けた。

プラダンの縦半分位置の窓側表面をカットしているためプラダンは内側に開き、窓サッシを開閉できる。上に開いてどう固定しようかと考えたが、すぐ上に突っ張り棚のパイプがあるためとりあえず洗剤ボトルをパイプに引っかけ固定することにした。

そこそこ見栄え良く、窓開閉の可能な防寒対策が出来た。プラダンを閉めると明らかに冷気が感じられなくなる。

費用はプラダン¥700、マジックテープ¥440、吸盤+吸盤用シール¥220、計¥1,360となった。

映画『交通.通信機関の今昔』に観る東武隅田川橋梁、浅草寺と浅草松屋屋上 航空艇 1932

国立映画アーカイブ 『交通.通信機関の今昔1932年(昭和7年)に東武スカイツリーライン隅田川橋梁と周辺の興味深い風景、浅草松屋屋上のロープウェー航空艇が写っていた。

隅田川橋梁東武浅草駅浅草松屋が完成・開業したのはこの映画前年の1931年(昭和6年)である。

橋梁や架線柱の特徴ですぐに隅田川橋梁だと分かる(12:43~)。右奥に見えるモダンな建物は1930年(昭和5年)に建てられた復興小学校浅草小学校

東武浅草駅名物の大カーブに差し掛かると何と浅草寺が見え、周囲に高い建物が無かったことが分かる。しかも撮影時浅草寺本堂は大営繕中で仮覆い屋根で覆われているという大変珍しい動画となっている。営繕後の空中写真が浅草寺のこちらのページに載っている。

2009年(平成21年)から2010年(平成22年)にかけて行われた「平成本堂大営繕」と同じような仮覆い屋根がこの映画撮影時から1933年(昭和8年)まで浅草寺本堂を覆っていたのだ。

しかしながらこの映画から13年後の1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で仁王門・五重塔・本堂共に全焼してしまう。仁王門は1964年(昭和39年)の再建時に宝蔵門と改称された。

大カーブを抜けつつ電車は浅草駅構内へと入っていく。現在と異なりホームが建物内部に収まっているのが分かる。4両編成位だったのだろうか?

これほど高精細に写っている航空艇の動画は初めて観た(15:23~)。映画内では「エーア カー」と紹介されている。動画から判断すると三線交走式普通索道のようだが何だか支索(鉄道でいうレールに相当)がずいぶん緩く張られているように見える。搬器のキャリアが支柱をヨッコラショと乗り越えている。が、キャリアが乗り越える支索サドルもシーソーのように動いて追従しているのでこういう設計なのだろう。

交通.通信機関の今昔』にはこの他にも箱根登山電車(14:07~)や箱根登山ケーブルカー(14:39~)他が写っていて当時を知ることが出来る。

昔使っていたPCの写真 1980前後

昔使っていたPC(マイコン)の写真が出てきた。

これは1979年頃の自宅の写真(白黒ポラロイド)。右側は自作NIBL BASICマシンに接続した自作CRTターミナル。ビデオモニタでは無くTV2chで接続していたようだ。NIBL BASICマシン本体はどれか分からない。

左側には後に3DCGアニメーションを作成することになるシャープSM-B-80Tのメインボードと中央手前の黒い専用キーボードが写っている。その奥に自作した風の10キーらしき物が写っているが何に使っていたか不明。

これは1980年頃。NIBLマシンは姿を消しシャープSM-B-80TにSM-B-80T/GT(グラフィクスボード)を接続しSM-B-80T/GT用フルキーボードとビデオモニタが写っている。ボード本体は背後のケースに入れたようだ。

モニタ画面に表示されているのはsubLOGIC社製3D グラフィクスパッケージ(ソフトウェア)を使った3Dワイヤフレーム。以下の写真も同様。これらの画像を8mmフィルムカメラでコマ撮りし3DCGアニメーションを作成した。

これはシャープSM-B-80Tの後に手に入れたAPPLEⅡ違法コピー機と純正フロッピーディスク diskⅡ。10キーとジョイスティックが一体になったコントローラーをつなげており、こちらでも3Dワイヤフレームを表示させている。このdiskⅡの構造が単純で面白くヘッドの移動はらせん状の溝を持った円盤をステッピングモーターで回すだけであり、らせん状の溝にかんだヘッドが平行移動する仕掛け。

こちらのページこの画像でdiskⅡの構造がよく分かる。感謝。

この写真は仕事場で撮っており1984.7.27の日付が入っている。Z80 CP/Mマシン SANYO MBC-200について以前載せたがその1年後位、本体は写っていないがおそらく初代NEC PC-9801と並んで置いてある。この時点で使用していたか不明だがPC-9801にはカノープス製Z80ボードを取り付けZ80の開発環境をMBC-200からPC-9801上のZ80へ移行させていった。写真左端に写る赤いのはCPUの足を挟んでロジックアナライザに接続するクリップだろう。

シャープSHARPマイクロコンピュータSM-B-80Tシリーズのカタログ 1980

8ビットCPUで作成したCGアニメーション 1980で使用したシャープ製ボードコンピューターSM-B-80Tシリーズのカタログが出てきた。

立派なフルキーボード、各種拡張ボードやユニバーサルボードまで用意されている。にもかかわらずこちらのページにもあるようにちゃんとしたカードケージもケースも無いのが不思議である。

プラザ勝どきの間取りプラン集 1987

以前プラザ勝どきのパンフレットや賃料表を載せたが、今度は入居時にもらったプラザ勝どきプラン集が出てきた。住居だけでなくレストランやスポーツクラブの間取りが掲載されているのが興味深い。住んでいたのはA棟4階銀座サイドのワンルーム。

では1987年に戻りどの間取りでも選んで(2年間はタダで)住んで良いとなったらどれにしよう?

第一希望はA棟最上階の銀座サイド1K(Ⅲ)A-1402となる。使いにくいこと間違いなしだが25.4畳1/4円形ワンルームは面白すぎる。第二希望はやはりA棟最上階銀座サイドの2LDK(Ⅰ)A-1404,1405(Ⅱ)A-1406。間取りは普通だがリビングダイニングに珍しい吹き抜けトップライトがあって開放感と室内の明るさが最高だろう。現実的に3年目以降も住むなら第三希望はB棟2階~13階(なるべく上階)の角部屋1LDK(Ⅱ)B-0207,B-0329~1329。L字バルコニー付きで窓が2面にあり明るく眺めが良さそうだ。また廊下の端となるので廊下に面した窓が無い。

さてそれぞれの部屋の賃料は、A-1402¥230,000+管理費¥15,000、A-1404~1406¥180,000+管理費¥15,000、B-0207,B-0329~B1329¥122,000~¥126,000+管理費¥10,000となる。

30年間暮らしたタワマンからUR団地へ引っ越した件 3 2025

UR団地に引っ越して1ヶ月半が過ぎた。天井は低め、窓やドアの高さも低めなのにあまり狭さを感じないのは何故かと考えたら建物が壁式構造だからだった。今まで住んできたマンションは全てラーメン構造で部屋の角に柱や梁の出っ張りやベランダ側へ吸排気のダクトを通すための偽梁?もあった。今の部屋はキッチンのレンジファンはベランダ側の壁から直接排気で天井のダクトも無い。

構造としての壁のためドアや窓の大きさを変えられないデメリットがあるが、部屋のコンクリート壁は220mm位の厚みがあり箱として十分頑丈そうだ。

COMKIT 8060/61 BASIC GRAMMAR 1978

NIBL BASICの文法マニュアル。COMKITに付属していた物と思われる。「APPLICATION FOR NIBL VOL.1」とは異なり活字で印刷されているが当然ワープロでは無くおそらく和文タイプで清書したのだろう。下線や枠線、記号などが手書きで加えられている。

COMKIT 8060,8061のカタログ、価格表 1978

アドテックシステムサイエンス社製、COMKIT8060,8061の価格表やカタログが出てきた。COMKITというだけあって共にパーツキットとなっている。

なぜキット販売されていたか価格表を見て分かった。既にラインナップされている同一バス規格のボード類を組み合わせてBASICコンピューターとして使えるようにした物だった。8060と8061の違いは拡張性で8061は外部にバスを引き出すことにより各種のインターフェースボードを使えるようにしてあった。なので以前書いたレーザーディスプレーコントローラーはおそらくCOMKIT8061を使用していたと思う。

またNIBLBASICを走らせるために自作したCRTターミナルのカナキーの並びが変だと以前書いたがCOMKIT8060,8061も全く同じ変な並びだった。NIBLBASICの仕様だったのか? 自作CRTターミナルではアルファベットしか使えなかったのだがCOMKITではカナが表示できたようだ。

以下の価格表のG その他の7. シュガートミーフロッピードライブ?!とは何ぞやと調べてみたらシュガート ミニフロッピードライブのミスタイプだった(笑)。

プラザ勝どき解体 2025

先日勝どき駅前バス停から有楽町へ都バスで向かう際、プラザ勝どきへの通路が閉鎖されていた。プラザ勝どき解体・建て替えのニュースは知っていたがとうとう解体かと感慨深かった。

1987年末完成後から1995年までA棟4階のワンルームに住んでいた。1986年からラケットボールをするためにドゥ・スポーツプラザ晴海へ東銀座から送迎バスで通っていた(豊洲駅は未だ無い)。バスで勝鬨橋を渡るときに見える建築中のプラザ勝どきにある日入居者募集の垂れ幕が掛かり、引っ越し先を探していた私は立地に惹かれたのだった。当時勝どきに住んでいると言うと「人が住んでいるの?」と訊かれたような場所。

建築から40年経たないうちに解体とはずいぶん早く経済寿命が来たものだ。

入居前に室内やベランダからの風景を撮ったポラロイド(ノイズ除去済み)が出てきた。

キッチンは電熱ヒーター1台のみ。A棟は大型給湯器からの集中給湯で住居にガスが配管されていない。ガラスが田の字にはまっている白いドアを友人から「男女7人夏物語の扉」と命名されたが確かに似ている。当時流行っていたのだろう。

ベランダから勝鬨橋を見た画像には二葉亭(後のデニーズ)の屋根が写っている。視点は異なるが現在のストリートビューではニチレイとその横の倉庫が無くなりニチレイのビルになっている。築地市場の立体駐車場も無い。

ベランダから隅田川上流側を見た画像にはIBMビル(当時)、三角形の築地永谷コーポラス、明石町ポンプ所、つきじ 治作(料亭)が写っており皆現存する。画像右端のマンションは建て替わりその先に聖路加タワーが建つことになる。