30年スライダー3つの位置関係 2026

佃・湊・明石町・築地・月島・勝どき・豊海・晴海・豊洲を含む、3つの30年スライダー(1989年と2019年を行き来できる画像スライダー)を載せてきたので、各スライダーの位置関係を1つの画像にまとめてみた。

勝どき・豊海・晴海・豊洲 1989年から2019年まで30年間の変化が一目で分かる時間スライダー 1989 2019

今までの30年スライダーに含まれない勝どき・豊海・晴海・豊洲の国土地理院空中写真(航空写真)から30年スライダーを作成してみた。2019年の空中写真は1989年版と1枚で重なる画像が無かったためCKT20191-C28-90とCKT20191-C29-85をつなぎ合わせている。

今回の画像で気付かされたこと(1)1989年、晴海団地横の東京都港湾局専用線ヤード(操車場)跡は2019年で空き地となり2026現在のgoogleマップでも駐車場などで建物は建っていない(2)1989年の晴海団地には晴海団地高層アパートが健在(3)1989年、豊洲の東京ガス工場から埋め立て地の先へ向かったところに旧ガスの科学館(1986~2006)があったこと、これはYouTubeの旧ガスの科学館で撮影された動画から分かった。

こちらのスライダー(外部リンク)は画像拡大できるので細部が確認可能。

勝どき・月島・佃・湊・明石町・築地 1989年から2019年まで30年間の変化が一目で分かる時間スライダー 1989 2019

豊洲の30年スライダーに続き、今回は勝どきから佃にかけての国土地理院空中写真(航空写真)から30年スライダーを作成してみた。地域はかなり広くなり勝どき・月島・佃・湊・明石町・築地が含まれる。

1989年隅田川の中央大橋と築地大橋は未だ架かっておらず、佃大橋から晴海方面へ向かい朝潮運河を渡る朝潮大橋は架橋工事中。佃と越中島をつなぐ相生橋も1926年完成の古い橋で、橋の架け替えのための仮橋架橋工事が始まっている。

こちらのスライダー(外部リンク)は画像拡大できるので細部が確認可能。

豊洲 1989年から2019年まで30年間の変化が一目で分かる時間スライダー 1989 2019

国土地理院の1989年と2019年の空中写真(航空写真)の向きとサイズを重ね合わせ、豊洲の30年間を移動できる画像スライダーを作成してみた。

東京都江東区豊洲に初めて訪れたのは1986年、ドゥ・スポーツプラザ晴海ラケットボールスクールに通い始めた時。「晴海」の看板は偽りありだが当時豊洲と言ってもおそらく場所が分かりにくく、知られた「晴海」と名付けたのだろう。未だ有楽町線は豊洲まで伸びておらず東銀座から送迎バスが出ていた。1987年末にプラザ勝どきに引っ越してからは月島駅が開業するまで都バスで通っていたと思う。

当時IHIの造船所は現役で高さ5m位はあろうかというコンクリート塀に厳重に囲われており、豊洲はIHIの企業城下町感があった。

1989年の画像を見ると工場や倉庫(+何かの貯蔵タンク)が多く、東京都港湾局専用線の線路・線路跡が残り豊洲運河に架かる鉄道橋、豊洲橋梁も残っている。2019年にはマンション・タワーマンション、オフィスビルに埋め尽くされているのが分かる。2026年現在、結婚式場アニヴェルセル豊洲等はすでに建て替わり変化の早さを感じられる。

こちらのスライダー(外部リンク)は画像拡大できるので細部が確認可能。

西仲通りにあったスーパー 1990

「勝どき・月島の思い出」の中で「西仲通りに小さなスーパーがあったような気もするがよく覚えていない。」と書いたが、以前にもリンクさせていただいた「昭和回顧録 建築編」「セイフー、池本酒店/月島3丁目」のタイトルでセイフー月島店の画像があった。思い出させていただいて感謝。

現在の様子をストリートビューで見たのが以下の画像。スーパーはダイエー月島店になっている。

プラザ勝どきは解体を免れたが 2026

プラザ勝どきの建て替え計画が変更されリノベーションということになった。

乾汽船 2026年4月~2029年3月 中期経営計画 ~明日も元気~ 内の「3つのセグメント ③不動産事業」の資料を見るをクリックでプレゼン資料が表示される。

個人的にはリノベーションによってプラザ勝どき屋上の奇妙な三日月オブジェが無くなってくれたら良いと思う。がしかし、上記の~明日も元気~内でプラザ勝どきを突然「PK」リノベーション後を「PK2」と称するのを見るに、その思いとは逆に三日月オブジェのセンスが建物全体に広がって奇妙な加飾で覆われてしまわないか心配である。

プラザ勝どき周辺の空中写真 1992

「ピア晴海の空中写真 1992」に載せた1992年10月10日に撮影された国土地理院CKT921-C10-37の中に「勝どき・月島の思い出 1990」で書いた勝どき1丁目も写っていた。以下に角度は異なるがGoogleマップの勝どき1丁目の画像と並べてみる。

1992年10月にはすでにイヌイビル・カチドキが建っている。また中央区立月島第二小学校の建物もプラザ勝どきパンフレットの1986年頃の航空写真と異なり建て替わっていることが分かる。小学校Webページによれば1990年に建て替わったようだ。古い小学校は晴海通り側の校舎の窓が騒音対策のためか全てガラスブロックで塞がれていたのが印象的だった。これも国土地理院のサイトではより高解像度の写真が見られ飲み屋街や銭湯の建物もよりはっきり分かる。

この銭湯についてブログ「昭和回顧録 建築編」内の月島浴場/勝どき1丁目に詳しく書かれていた。なんと昭和2年に東京市によって建てられたモダン建築の公衆浴場で確かに高解像度版の空中写真で見ると瓦屋根ではない四角い建物であるのが分かる。このブログには他にも勝どき・月島の懐かしい建物が多く載っている。こちらの中央区観光協会特派員ブログ内のかつて銭湯があった場所 その3には銭湯入口の写真が載っている。

ピア晴海の空中写真 1992

国土地理院の空中写真がブログなどで使用可能と知り、晴海埠頭の写真を探したところ1992年10月10日に撮影されたCKT921-C10-37の中にピア晴海が写っていた。以下に「ピア晴海 1991」で載せた現在のGoogleマップと、空中写真から大体同じ範囲を切り取った画像(画像ソフトで拡大、文字を追加)を並べるので比較してみてほしい。

UR晴海4丁目市街地住宅(1969年築UR団地)とソフトタウン晴海(1983年築マンション)が残り、同じ場所であることを示している。見やすいように写真の向きを変え拡大したのが以下の画像。

埠頭に船も泊まっている。廃線跡も当時の記憶よりかなり多く残っていた。国土地理院のサイトではより高解像度の写真も見られるがダウンロード・画面コピー禁止なので興味のある方はそちらをご覧いただきたい。その写真だとピア晴海屋外テーブル席の様子や廃線の線路がはっきり分かる。

勝どき・月島の思い出 1990

ピア晴海 1991を書きながらプラザ勝どきに住んでいた1990年頃の周辺の様子を少しずつ思い出した。まず日常の食品などはどこで買っていたのか?プラザ勝どきパンフレット内の「LIFE INFORMATION」には今時住居紹介には欠かせないコンビニ・スーパーの記述がない。

実際すぐ近くにはコンビニもスーパーも無かった。黎明橋のたもとにあった黎明スカイレジテルの2Fに「O&O」という「まいばすけっと」位の小さなスーパーがありそこは確か夜10~11時くらいまで営業していて遅くに帰ってきたときなどよく利用していた。大きなスーパーと言えば今も営業している清澄通り月島の「フジマート」だけ。西仲通りに小さなスーパーがあったような気もするがよく覚えていない。あとは西仲通りの個人商店となる。

プラザ勝どきパンフレット内の航空写真と、同じ構図で見たGoogle3Dマップを以下に比較してみる。

プラザ勝どき航空写真
1986年頃のプラザ勝どき周辺

こちらが現在のプラザ勝どき周辺3Dマップのリンク。上手く埋め込めなかったので比較しづらいが上の航空写真をクリックすると別タブで開くので見比べてほしい。隅田川の手前勝どき地区はほとんど跡形も無く変わってしまっている。ぱっと見勝どきで残っているのは以下の円で囲ったプラザ勝どき、中央区医師会館マンションだけ。

晴海通りからプラザ勝どきを見てすぐ右手、晴海通りから道路一本裏手に左右に木造の店が建ち並ぶ路地の飲み屋街があった。客用の共同トイレが路地に面してあったのを覚えている。この飲み屋街は検索しても見つからなかったが晴海通りの向かいにあった数軒の店のとても懐かしい写真(2007年)を掲載しているサイト「昭和レトロ放浪記」があった。昭和レトロ放浪記の写真にある「東京エースレーン」看板「にこみ 千福」はよく覚えている。「にこみ 千福」は勝どきサンスクエアB1Fに移り営業中

また「佃島・月島百景」[動画]勝どきに四階建ての都営住宅ができた頃内に1989年に晴海通りと清洲通りの交差点から都営アパートを撮った写真があり背後にプラザ勝どき、都営アパート群と銭湯、道路沿いの商店が写っている。銭湯があったのか!すっかり忘れている。

こう見てくるとプラザ勝どきの入居パンフレットのイメージにはなかなか無理があったことが分かる。モデルの背景は勝鬨橋と築地であり勝どき側ではなく、イメージ画像も銀座の和光。航空写真を載せたのは築地や銀座が近いアピールだったと思うが、清澄通りまで画角に入っていたのは良心的だったかもしれない。

ピア晴海 1991

1991年8月中央区晴海にシーフードレストラン「ピア晴海」がオープンした。

このブログの「晴海運河(晴海埠頭)の北側にあったのは…?」に当時のイラストマップがあり、以下のgoogleマップの晴海臨海公園水辺のテラスからザ・パークハウス晴海タワーズ クロノレジデンス建物にかかる位の敷地にあった。

当時勝どきのプラザ勝どきに住んでいたので近く、週末はたまに食事に行っていた。店内にはジャズが流れ食事は和洋中幅広くどれもおいしく自分たちの食事の締めはパエリアが多かった。電子端末で注文を取りに来るアルバイトのせいだったか分からないが、残念なことに注文が通っていなかった事が数回あった。この店の目玉は生け簀にいる(はさみをゴムバンドで閉じられた)ロブスター。総じて食事の注文まではファミレス並だったが料理はシェフがちゃんと調理している印象だった。

店内には貸し切りの部屋もあり結婚式の2次会を見たことがある。店の横に魚介類を直送してきたらしい九州からの大型トラックが駐まっていたりした。当時晴海埠頭には大型船が入港でき海外の海軍が表敬訪問することもあり、いつぞやは確かフランスのミサイル巡洋艦の四角いミサイルランチャーを見ながら食事するというシュールな経験をしたことがある。ホテル浦島の裏からピア晴海に向かう途中にはまだ部分的に貨物の引き込み線が残り、手前にあった小ぶりなHARUMIドーム21ではプロレスイベントなどをやっていた。またピア晴海から見えるニッスイの大型倉庫の壁面には大きなロブスターのイラストが描かれていた。ちなみにピア晴海グッズのロブスターぬいぐるみ(全長35cm)は今でも元気にしている(笑)。

上記の海外海軍の表敬訪問でいえば、停泊中の外出許可をもらったであろう制服姿(水兵姿)の若い乗組員のグループと晴海通りを走る都バスに乗り合わせたことがある。